008・土門一式
深呼吸し、ナナは半身に構える。
ヤマトを部屋に案内してから、まだ三十分も経ってはいないが着替えは済ませた。
今は、くたびれたTシャツに短パンというラフな格好で、シャツを掴まれても簡単に破れ、動きを封じられないようにといった考えで選んだ服装である。
相手は自分の上司……ヤシロ運輸の社長で、こちらは棒立ちのまま構えは取っていないように見える。が、踵をわずかに浮かせ、軽く膝を曲げ腰を落としていることにナナは気づいていた。
一見しただけでは棒立ちに見えるが、実は臨戦態勢に入っているのだ……ならば遠慮はいらない。
相手が素人なら、初擊で顔面に蹴りを入れてやるのだが社長は素人ではない。
ナナも修めている土門一式という格闘術の使い手で、その技量はナナの上をいく。
土門一式とは、琉球唐手と古式柔術をチャンポンにした格闘術で、特別選抜隊の総隊長たるドモンハジメが編み出した武術である。
ドモンハジメ式格闘術を漢字表記した結果、一式と誤読された事から土門一式の名が冠されたというワケだ。
空手ではなく唐手……明治維新後の廃刀令で帯刀を禁じられた士族が、剣術に代わる護身術を求め大陸に渡り格闘術を学んだ。中国……唐の手技。そこから唐手となり、空の手……素手の格闘術という意味合いも持たせ後に空手となったそうだ。
滞在期間も限られていたため、日本武術を下敷きに中国拳法の打撃技を取り込む形となった……これが中国拳法と空手の足運びにおける決定的な違いとなったわけである。
琉球唐手の名は、琉球に伝わる中国拳法に似た手技という意味らしい……これらは社長からの受け売りだ。
……というか、ナナの土門一式の師匠が社長というだけである。
打撃技は、自らの体重を相手に叩き込むのだ。つまり筋力のみならず自身の体重も威力に直結する。
一見してナナの身体は細いが、実は強化人間である。筋肉と骨の密度は常人の倍近い……つまり見た目より遥かに重いのだ。同様に社長も強化人間だ。
ディアス多星系連邦の最新技術が使われているナナの方が身体能力は上ではあるが、一回り以上もある体格差の不利を覆せるほどではない。しかも技術ではナナの上をいく。
相手が素人で単なる喧嘩であれば、ハイキックで顔面を打ち抜き戦意を挫く方向に持っていくが社長には通用しない。
そもそも、社長に上段蹴りを繰り出すのは自殺行為だ。足を掴まれ動きを封じられてしまう。
……と、ナナは勝ちを拾う方法を考えてみたが、八方塞がりだ。
勝機は薄いが、技比べに持っていくしかないわけである。
蹴りを繰り出すと見せかけ一歩踏み込み、体重を乗せた拳を繰り出す……が、社長が繰り出した拳を掴むと、腕に纏わり付くよう身をよじった。
気がついたときには、ナナの身体は宙に舞っていた。
腕から手を離してくれたため、膝立ちでの着地は難しくない。だから着地後、間合いを取り直して仕切り直しを……
「博打打ちだね~……」
どこか呆れたヤマトの声に、ナナは気を乱されて尻から着地した。
「あいたたたぁ……」
尾てい骨を打ち、思わず声が出てしまう。
「博打打ちかつ気を乱されやすいってのは宜しくないね……けど、蹴りと見せかけての正拳突きなのに、上手いこと力を乗せていた。直撃させられたら、そこから流れを自分に持っていけたはずだ」
ヤマトの口調からは、それで勝負が決められたとは思ってはいないようだ。
「とは言え、自分はナナの癖を知っていますので読めてましたけどね……」
裏をかけるとは思っていなかったが、ここまで見事に読まれているとも思っていなかった。その現実を突きつけられ、ナナは落ち込んでしまう。
「まあ、手の内を知られた相手に勝つのは難しいさ。俺もドモン隊長には、結局は最後まで勝てず仕舞いで終わったよ」
ドモンは特選隊最後の戦闘で戦死している。つまり、再戦は不可能だ。
「それは、格闘術ですか? それとも空戦?」
社長が問う。
「両方……あと、俺に敬語はいらないよ」
アマツ最強と謳われた戦闘機乗り。そのヤマトが空戦で勝てない相手が居たことは驚きだった。
「ですが大尉は、あのレッドバロンに勝ちましたよね?」
レッドバロンはアイゼル側で最強と謳われた戦闘機乗りだ。その技量は、ドモン隊長の上を行っていた。
「勝つには勝ったが、そのあと赤い悪魔の残党にタコ殴りにされて冗談抜きに死にかけたよ」
『神速の魔術師』は激闘の末『レッドバロン』に勝利したものの、『レッドバロン』が率いた隊の残党から集中攻撃を受けて撃墜され瀕死の重傷を負ったそうだ。
その後、戦争末期まで戦場に姿を表さなかったためアイゼル側では死亡説も流れていたらしい。その安否はアマツ側でも明かされなかったため、アマツ側にも死亡説を唱える者もいたほどである。
「復帰後、教官を経て『ファイブカード』の初代隊長に着任。その直後にテストパイロットとして引き抜かれ、スーパー・レッドホークの開発に参加。開発後、テスト機を用いた強行偵察隊『ウェット・レトリーバー』の隊長に着任し劣勢だった戦局の建て直しに貢献……でしたよね?」
レッドバロンに勝利したエースであるにも関わらず、それ以降は『神速の魔術師』の噂が戦争末期まで流れなかった。その理由は、ヤマトが戦場を離れ裏方に行ったためだろう。
撃墜数が比較的少ない理由にも頷ける。
そこまで黙って話を聞いていたが、ナナはヤマトも土門一式が使えるということに気づいた。
「ヤマトさんも土門一式は使えるんですよね? お手合わせをお願いします!」
思わず、そう口にする。
手の内を知られていない相手との勝負、それをしたいのだ。
このハルバ基地で、土門一式を使えるのは、社長の他にはマツシマ司令ぐらいしか知らない。が、マツシマ司令は基地司令……このハルバ基地の総責任者だ。対戦相手に指名などできるはずがない。
「一応は使えるけど、ヤダよ?」
ヤマトの返事は素っ気ない。
「大尉が結構な使い手だってことは、親父から聞いてます。手加減も上手いそうなので、お願いできますか?」
ヤマトは嫌そうに溜め息を吐く。
「手の内を知らない相手だと手加減ができないんだが……」
不満は言えど、社長には逆らう気はないらしい。ナナの前に立つと、やる気なさそうに半身に構える。
……明らかに嘗められている。
そう判断したナナは、一気に勝負を着けるべく、ヤマトの顔面を狙い上段蹴りを放つ……が、見事に空振りした。
間合いの中に居たはずのヤマトに、いつの間にか間合いの外へと逃げられていたのだ。
そして、蹴りを放ち伸びきった足を掴まれる。
「初っ端の顔面狙いは、素人相手の喧嘩なら有効だ。けど、手の内を知らない相手には博打要素が強すぎる……あと、コレさっき使うつもりの手だっただろ?」
「手じゃありません、足です!」
思わず言ってしまう。
「いや、手段って意味で言ったんだけどな……」
そう言いつつ、ヤマトは足を離してくれない。
片足を掴まれ、振りほどくこともできずナナの動きは完全に封じられてしまった……身長は大差ないのに、ヤマトの力は最新の強化人間であるナナより強いのだ。いや、力は明らかに社長より強い。でなければ、重いスペースジャケットを二枚重ねで着て涼しい顔などできないはずだ。
……幼い頃の栄養失調さえなければ、ヤマトはかなりの長身になれたと言っていた。背こそ伸びなかったものの、筋力自体は本来の身長に迫るぐらいあるのかもしれない。
「ヤマト大尉だけど……間違いなく俺より強いぞ?」
社長が自分より強いと評価する相手に、いきなりハイキックは自殺行為である。
背こそ大差ないものの力に関しては圧倒的にヤマトの方が強い。
深くは考えなかったが、ヤマトを基地に連れて帰る際、明らかに車の加速が悪くなったのだ。
同じく強化人間である社長と乗る時より加速は悪かった。
そこで見た目以上にヤマトが重いという事に……つまり強化人間である事に気づかなければならなかった。
大した荷物など持っていなかったが、長旅を終えた旅行者と言うことで深く考えなかったのだ。
ナナは大きく息を吐く。
「ヤマトさん……本気を出しますから手加減できなくなります。いいですか?」
「かまわんよ?」
緊張感の欠片もないヤマトの言葉がナナの神経を逆撫でする。
それもヤマトの策なのだが、それを見抜けるほどの経験はナナには無かった。
片足で床を蹴って飛び上がり、掴まれた足の膝を曲げヤマトとの距離を無理やり詰める……つもりが早々に手を離されてしまう。
そして、あっさりと床に転がされ目前に映るのは迫る靴底。
直後に視界が開け、頭のすぐ横へと足を踏み下ろされる。
強烈な風圧と轟音……ヤマトに、その気があったら間違いなく殺されていた。
そう気づいた途端、股の間が生暖かくなる……失禁してしまったのだ。
「ヤマト大尉。もう少し、こうなんと言うか、手心と言うか……」
同情したような社長の言葉で、視界が歪む。
勝負の形にすらならず秒殺された……あげく圧倒的なまでの実力差まで見せ付けられたのだ。
負けて悔しい訳ではない。圧倒的ともいえる実力差に気付けなかった事が悔しく、声を上げて泣いてしまいヤマトを慌てさせてしまった。