<四の部屋>
ナオキはその言葉に対して正しい返しをすることができなかった。自分の命で両手が塞がっていた。
「でもやっぱり死ぬんは怖いわ……」
タクはついにこちらに振り向いて言葉を続けた。そのナオキの外側ではなく内側を見ているような目に見つめられると耐えきれなかった。
「そんなこと言わずに……まだきっと助かりますよ」
目を閉じて首を横に振るタク。外では、物音が数を増やしてきていて、三階の廊下にも何かいるように感じるので、ナオキは声を小さくして話した。
「三階まで奴らが来て追い詰められる前に、早く何か行動しないと、本当に死にますよ」
「そうなったらワシが大声で引き連れながら公園の中央まで走っちゃるから。兄ちゃんは休憩し」
「でも……」
ナオキはさっさと部屋から出ようと入口に進んだ。
「兄ちゃん。最後にもうちょっとだけ話そうや……ワシを信じてくれ」
ドアノブを回してから、そのまま開かずに話して、ナオキはタクの前に座った。覚悟ができているなら……死ぬ直前にこうして二人で一緒にいたのも何かの縁だ。
「話言うても大した話やないんやけど……ワシはおしゃべりが好きやから。聞いてくれるんやな?」
「はい」
「……ワシの好きな食べ物って何やと思う?」
「……えっと、おにぎり」
「ハハハ――そりゃおにぎりしか食うてるとこ見たことないもんな。ワシはな、お寿司が大好物や。ちらっと言わんかったっけ、マグロが食いたいって。うまいんじゃあの魚がのう。ガキの頃にお父ちゃんに初めて寿司屋に連れていってもらったときになあ、マグロを一口食べた時は感動したで。ありきたりな言い方やけどこんなうまいもんがこの世にあるんか思うてなあ」
集団が階段を上っているような音――どこかの壁を何度も殴りつけているような音――どんどん騒がしくなっていく。
「ほんでなあ。実はワシにも息子がおるんやけど――まあ息子と呼んでいいかも分からん。たぶんその子はワシのことなんてもう覚えてないと思う。名前を読んでくれるようになる前に分かれてしもうたけえ。……将来子供ができたら絶対寿司屋に連れていってやろう。マグロをたらふく食わせてやろうって決めとったんやけど……些細な夢やった。まあ、生きとっても叶わん夢や。それにもうその子も兄ちゃんと同い年ぐらいの年齢や。もうマグロなんて食うとるやろうし……」
もうそろそろ時間が無い――早く行かないと――でも、ずっとここに居たいような。
「先に死んだほうが幸せかも分からんしな。死んでみようかと思うたことなんて何度もあったけど、本気で死のうかと思うたことはないな……でも、本気でいかんと。どうせ死ぬなら誰かの為になりたいと思えてるしなあ……なあ、兄ちゃん。一個だけ頼まれてくれるか。誰かに思いを伝えるとかやあらへん。ワシにはそんな大切な人なんておらんけん……ただ、生きてほしい。ワシはあきらめたけど、どうにかここから出てほしい。人の命救って死んだことにしてくれ――」
タクは言い終わると、すぐに腰を上げて、ドアへ走った。ナオキが返事をしようとした時にはドアを開く。
「おおおおおーーいお前らーー。兄ちゃんっ!!がんばれえええ!!……兄ちゃんがんばれええ……おい、お前らああ」
ドアのすぐ前にいたゾンビは手を引っ張って連れていっていた。タクの声は階段の下のほうへ遠ざかっていく。
ナオキはモップを手に取り、倒れている職員の前に立った。腕の血管が異常なほど浮き出ていて、血走った目でこちらを見たそれは起き上がろうとした。頭へ一発、首へ一発叩き込む。
その時ナオキが殺そうとしていたのはゾンビじゃなかった。
廊下を確認すると、一匹残っていた。トイレから追っかけてきていたしつこいそいつにはこれでもかと振るった。
人間も顔を曲げただけじゃ死なないんだろうか……




