己が道
「いくぞー」
タクが投げた球が飼い犬のように真っ直ぐ飛んでくる。運動がどちらかといえば得意なナオキはそれをキャッチして投げ返した。
「おお。兄ちゃん良い球投げるやん」
タクもボールの扱いには慣れている様子で胸より少し高いちょうどいい高さで毎回ボールを投げてくる。それにしてもお互いダサい服を着ていて、複雑な状況の公園でキャッチボールをしているなんて、傍から見れば完全に変人である。
ボールの往復をさせながら、公園を取り囲む柵に目を向ける。上って飛び越えるの難しくない高さではある……問題は見張りにいる警察達をどうするかだ……
使えそうな道具はないか、身を隠す術はないか。単調に体を動かしていると頭が良く回る――けど、これだというものを掘り当てることができない。
まだ午前中だし、焦ることはない。確信を持ってから事を起こすべきだ。それに明日だって平和かもしれないし――
「何か安全が確認できたら皆ここから出られるんですよね?」
「そうや。言うてなかったっけ。7日から10日くらいで準備して来よるねん。ゾンビっちゅうのはなあ。感染したら1日くらいですぐなるもんやから。そうやなあ……もうあと5日くらいしたら出られるんちゃう」
そう、ただ待っていても脱出できる可能性があるのだ。
タクがゾンビと言ったとき道行く人が肩を叩かれたようにピクリと反応した。普通の人はゾンビが怖くて内心怯えているのだろう。ヘラヘラしているのはタクと――ナオキもそうだった。
学生時代からゾンビを題材にした映画や海外ドラマは大好物だった。死がとなりにあるように感じるスリルと人間同士の争いがたまらない。
「ちょっと休憩しようか」
タクはそう言うとその場であぐらをかいて座り、ナオキに向かって湯船をかき混ぜるような大げさな手招きをした。
ナオキが考え事をしたまま隣に座るとタクは急に緩んだ口元を締めて眉間に皺を寄せた。
「兄ちゃんなんかずっと思い悩んどるようやけど何を気にしとんや」
「えっと……」
「ええ。ええ。言わんでもええ。とにかく悩むなってことを伝えたいねん。……この世界は空っぽや。今まで生きてきてそう思った。泣いても笑っても世界がどうなるわけでもない。上手い飯食って良い家に住んで長生きしてから死のうが貧しいまま交通事故で死のうが結局死んだら皆等しく土に還る。100年後の未来には何も残らん。だったらずっと笑ってたほうがええやろ。……だから手に持っとる水は空っぽの世界にかけるより自分で飲んだほうがいいんや。世界ではなくて自分を満たせ。何が言いたいかっていうと、人生は自分がやりたいことを最優先に考えろってことや。己が道をただ真っ直ぐに進めってな」
ナオキは今、人生について悩んでいたわけではないので、しっかりと言葉を受けとることはできなかったがなんとなくその重みは伝わってきた。
「兄ちゃんにはまだ、未来っていうやつがあるんやからなあ。でもまあそれも深く考えんでええ。今の自分の気持ちを大切にっていうのがワシからのアドバイスや。どうや?」
「はい……」
タクの眼差しから目を逸らして、空に浮かぶ雲を見た時に出そうになったあくびを一つ我慢した。
何でもない時が過ぎてその日も日が暮れた。あまりウロウロしすぎると昨日もそうだったので怪しまれると思ったナオキは端っこのトイレ周辺で、寝転んでみたりタクの無駄話を聞いてやっていた。
何もしなくても出られるかもしれないということがナオキの本気さを無くして、深夜に見張りが薄くなっていたら状況に応じて行動すると曖昧な答えで納得していた。
モデルのような背が高くて目立つ美女がいる中学生が60人、そのほかの家族や散歩、スポーツ、を楽しんでいたであろう人達は管理棟の職員含めて大人が50人、子供が10人。ナオキが暇だし知っておくかと、半日公園を眺めて大体で把握したここにいる人の、人数はこのくらいだった。
そしてタクが寝た後、数時間野球のボールだけで暇を潰したナオキはドアがあった方角のフェンスへ歩いた。
昼間は公園の四隅に二人ずつ、それよりも遠い外周にちらほらと警察が待機していた。深夜にはどうなっているだろうかと木や枯れ葉を踏まずにフェンスに近づくと、警察の姿は見当たらなかった。
腰まであるコンクリートの土台の上にある網目状のフェンスに顔をつけて見ても警察の姿はなかった。二度見、三度見した後、ナオキはフェンスに足をかけて上り上まで行くと飛び降りて、膝で上手くクッションを作って外に着地した――
「止まれ」
驚くことにすぐ横から警察が自分に向けて拳銃を向けていた。




