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狐の声がきこえる  作者: ゴトウユカコ
第2章
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狐面のこども_2

「さすがに土間は冷えるわあ……」

「話長すぎなの、ママたち。座敷から移動しなきゃよかったのに」

「だって圭吾兄さん達が棺守りでそこにつめるっていうんだもの」

 話し声とともに襖が開き、パジャマの中の体を縮こめるようにして座敷に母と依舞が入ってきた。二人は腕で体をさすりながら、敷かれていた隣の布団にすぐに滑り込んだ。

 布団の中でうつらうつらしていた皐月はうっすらと目を開けて、視線を隣に向けた。

「姉妹が四人もいると気が紛れるんじゃない?」

 母は末の妹だ。上に三人の姉と四人の兄がいる。ここに残っているのは一番上の兄と姉だけで、他はみんな都心や地方に散っていた。

「そうねえ。さすがに昨日はお棺の中に納められたおばあちゃん見た時は参ったけど、泣くだけ泣いたからね。やっぱり風子姉さんたちがいると、少し気持ちが楽になる感じはあるわね」

 亡くなった祖母のそばに夜通しつめる役割も含め、家の遠い親戚は泊まることになっていた。そのため久しぶりに集った母たち姉妹は、通夜がひと段落した頃から祖母の思い出話に花を咲かせていたのだ。途中までは輪に加わって話を聞いていた皐月も、近況や親戚内の結婚の話が出たあたりから話の雲行きが怪しくなり、仕事の確認を口実に席を外してしまっていた。

 親族の多い場は得意ではないし、とりたてて他の従姉妹たちと交流が深いわけでもない。何より伯母達の話の矛先がいずれ自分に向くことが見えていた。

「そうだお姉ちゃん、逃げたでしょ。風子おばさん、彼氏とか結婚とか気にしてたよ」

「そうそう、そうなのよ。ねえどう、皐月。お見合いする気ない?」

 まるで世間話の一つでもしているような母の軽い言葉に、気持ちがざらついた。土間での様子からその辺りの話が出るのは見通していたものの、母との間でその手の話をするのは苦手だ。

 なにより見合いで人生の伴侶を決めたいとは思っていない。結婚というものに対して、ひどく醒めている自分がいた。

「まだ早いって」

「そんなことないわよ。私が皐月くらいの年の時は、お見合い写真たくさんもらってたし、別に見てみるくらいどうってことないじゃない」

「早いうちから目を養っておくってことも必要じゃん? 別に見合いしたからって、そのまま結婚にすぐ結びつくわけじゃないし、そっちの方が珍しいんだし」

 呼吸の合った母と依舞ほど手強いものはない。思わず小さく嘆息した。

「じゃあ依舞がお見合いしてみたら?」

 押し切られる前に投げやりに言うと、依舞は皐月と母に挟まれた真ん中でおおげさに枕に突っ伏した。

「えーまだ学生だし、彼氏いるし。なのに、見合い相手にすっごい惚れられちゃったらどうすんのよぅ」

 理想の旦那様でも想像しているのか、にやにやしている。

「できれば高収入で、+αで見た目もいいといいわよねえ」

「高収入は絶対条件! 経済的にしっかりしてないと子ども育てることも難しい時代だしー」

「今彼はどうすんのよ」

 何度か挨拶したことのある依舞の彼氏を思い出す。誠実そうな雰囲気をもつ、好青年だった。なのに依舞は見合い話にまんざらでもなく、恋愛と結婚は別物と当然のように達観している。

「いいとこ就職してくれたら考えないでもないけど、あいつ意外と夢見がちなのよねー。ダメになる時はそれまでだし、ま、ああいう彼氏も経験のうち、みたいな?」

「そうね、何事も経験。それにママみたいに失敗しないように見る目養っとくのは大事よー。写真見るだけなんてどうせタダなんだから」

 ママは失敗したから。

 いつもの口癖に、依舞の向こうで眠る態勢に入っている母の横顔に視線を走らせた。ショートボブの黒髪には白髪が交じり、余計な肉がついていないシャープな輪郭が強くなったその顔は、年齢よりも老けて見える。離婚する前は天真爛漫だった母のこれまでの年輪が、くっきり浮かび上がっていた。

 母が、娘二人を抱えて苦労を重ねてきたことは十分分かっているつもりだ。自分にできることなんてたかが知れていたから、せめても心配や迷惑はかけないようにしてきた。

 でもいつ頃からか、母の口から自分の人生を失敗したものと捉えた言葉が増えた。それを聞く度に、皐月は、自分という存在の虚しさを突きつけられているような気がしていた。

 父と母の結婚は、結果として失敗だったかもしれない。でも確かに愛し合い、その結晶として自分と依舞がいる。でもすべてが失敗だというなら、娘たちはどう生きていけばいいのだろう。

「皐月、おばあちゃんにおやすみの挨拶してから寝なさいね……」

 すでに夢と現実をいったりきたりし始めている母に、皐月は「わかった」と返事をした。

「ママ、だいぶ疲れてるね」

 スマホをいじりながら依舞は皐月の方に向きを変えた。

「おばあちゃん亡くなったばかりだし……。それに兄弟姉妹だからといって、こんなに多いと、ね。家族もそれなりに出入りするから。どうしたってこういう場は気疲れするよ」

「お姉ちゃん、そういう意味では、疲れてなさそうだよねー」

 笑いながら皐月を見て、すぐに依舞はスマホに視線を落として指を動かした。おおかた話題に出た彼氏とメッセージでもやりとりしているのだろう。依舞が、言うほどには彼氏を信用してないわけではないことくらい分かっていた。よく軽口や冗談を言いはするけど、それは依舞なりの処世術だ。実際は慎重で、軽はずみな行動をしないのが依舞だった。

「これでも気張ってるんだけど……」

「お姉ちゃん分かりにくいからね。ほんと将来生きていけるのか心配だよ」

「なに言ってんの。少なくとも社会生活は営めているわよ」

「そうじゃなくて。なんかこう、……うまく言えないけど、なんか、違うの」

 少し怒ったような拗ねたような口調になった依舞を静かに見つめた。本気で心配してくれていることが分かる。いつのまに六歳下の妹は、自分のことよりも姉の心配をするようになったのだろう。心配させているつもりはないのに、心配させる何かがあるらしい。それが何かは、皐月にはどうしても分からなかった。

 皐月は小さくため息をついて依舞の向こうで眠る母を見つめた。

 主婦をしていた頃の無邪気な母の姿からは信じられないほど、母は通夜振る舞いで気を配ってきびきびと働いていた。あの気遣いは、離婚後に勤めるようになった保険の営業の仕事で培われたものだと容易に分かるくらいに。

 棺に入って穏やかな顔で眠る祖母を見た時の、母の号泣を思い出す。

 あの時だけ、母は皐月や依舞のことも忘れて対面していた。普段、娘の前では「おばあちゃん」と呼んでいたけれど、あの時ばかりは、母はまぎれもなく娘だった。

 その様子を見つめながら、皐月はというと泣けないでいた。

 どんなに穏やかな表情に見えても、祖母はすでに血の通っていない、機能を止めたただの肉体に還っていた。それまで祖母を構成していた核みたいなものは、それは魂というものかもしれないけれど、一体どこに消えたんだろう。

 母の号泣が響いて、それを支えようと寄り添う依舞をぼんやり見つめながら、皐月はただ黙って蝋細工のような肌の祖母を見下ろしていた。

「ねえ、お姉ちゃん、ホントにお見合いとか考えてみなよ」

「だから、私の結婚のことはいいって」

「だってさ、ずっと彼氏いないじゃん。大学生の時にできたかな、って思ってたけど、別れてるっぽいし。社会人って出会い少なそうなんだもん」

「別に出会いなんて求めてないもの」

「そんな枯れたこと言わないでさあ。行かず後家なんて、あたしやだからね」

「行かず、って……すごい言葉知ってんのね」

 隣を見ると、スマホをいじっていた依舞が私を見てにやりと笑った。

「人生設計しっかり考えてると、いろんな言葉がひっかかるんですー。やっぱほら、年上の未婚の身内がいるいないでは、ちょっと違うじゃん?」

 痛いところを容赦なく突いてくる。心配して言ってくれているのは分かるけど、なかなか素直にきくのは難しい。

「だからさ、写真見るくらいいいじゃん」

「見るくらいってね、相手に期待させたり、なにより見合い写真をもってくるおばさんたちの顔だって潰せないでしょう?」

「そんなの、相性だってあるんだし、プッシュされたら会うだけ会って、ごめんなさいでいいじゃん」

「そんな軽いもんじゃないの。ほら、明日も忙しいから、そろそろ寝ないと」

 依舞のおしゃべりを止めるため、天井からぶら下がった電灯の紐を引っ張ろうと体を起こした。

「あ、でも、お姉ちゃん出会いあったね」

「え?」

 依舞は、秘かな楽しみを見つけたみたいに笑った。

「ほら、えっと悟おじさんとこの、白彦さん? 見た目はクリアしてるから、あとは財力よねー。なんかいい感じになっちゃったりー?」

 おしゃべりに飽き足らず、想像力までもたくましくし始めている。

「ならないから」

 言い切ると、依舞は疑わしそうな目で皐月を見上げた。

「幼なじみみたいなものだし、依舞が期待しているような関係じゃないの。小さな頃はよく遊んだけど、もういい大人だしね。それにあれだけ顔も性格もよいんだもの、私なんかより素敵な彼女か、奥さんとかがすでにいるわよ」

「どうかなー、いないと思う。あの人、ちょっと変だもん」

「変、ってそんな失礼な」

「だってスマホ、持ってないんだって。ガラケーもだよ? 電波系一切ダメとかでメールもしないって。スマホなくて平気な仕事ってあんのかなあ。今じゃ就活にだって必須ツールなのに、このご時世、よく生きてけるよね」

「生きてけるっておおげさ……っていうか、ちょっと待って、なんでそんな話になったの」

「連絡先、教えてって言ったー」

「……なんでまた」

 呆れた顔をすると、依舞は楽しげに笑った。

「だって、あんなモデル顔負けの彼氏、は無理でも知り合いいたら自慢できそうじゃん?」

「あのね、いちおう従兄弟なんだから、この先何かあればその都度顔合わせるかも知れない相手を、一時の感情でどうこうしようって思わないの」

「わーかってるって。それにもうそんな気ないもん。なんか、スマホ持ってない時点でありえなーい」

 連絡先を聞き出そうとした割に、ありえないとか言い出し始めた依舞につき合っていられず、大きなため息をついて電灯を消した。

「おばあちゃんに挨拶してくるから、先寝てなさいよ」

「うん、おやすみー」

「おやすみ」と言いおいて、廊下に出た。

 わずかに他の座敷の襖から漏れる明かりと、ところどころの電灯がぼんやりと濡れたような板張りを照らしている。先ほどまでの喧騒を忘れたかのように、しん、と静まり返っていて、五月とはいえ、夜の空気が床の方に溜まった廊下はひんやりと冷たく、素足に染みた。

 祖母の棺が安置された仏間に近づくにつれて、線香の匂いが強くなるのに気づいた。日中は人が動いて空気が常に攪拌されていたせいか、それまで感じていなかった線香の、どこかしんみりさせる匂いは、この古い屋敷が今まさに死を纏っているのだと思わせる。

 その気配の中を歩いていくと、普段は親族が集う居間として使われている座敷から廊下に明かりが漏れていた。

 祖母の遺体が安置されている仏間の隣からだ。皐月はそこで足をとめて、襖を開けた。

 母の兄である二番目の圭吾伯父と三番目の悟伯父が棺守りのためにつめていた。といっても、座って腕を組んだ圭吾伯父は毛布をかぶって舟を漕いでいる。

「皐月ちゃん、眠れねえのか?」

 小さな音声でテレビを見ていた悟伯父は、切れ長の瞳を細めて皐月を見上げた。白彦に似た涼しげな雰囲気は、さすが親子のものだ。

「ううん、おばあちゃんにおやすみの挨拶しに」

「そうが。まあゆっくり挨拶してけ。もうこの世にいられんのも、残り少ねえしな」

「この世?」

 もう祖母は、この世にはいない。

 おかしな言い回しに聞きとがめると、悟伯父は答えるのが億劫そうに手を振った。

「ああ、ああ、なんでもねえ」

 そういえば、悟伯父のいい評判は聞かない。白彦の父といはいえ、関わり合いになるのは避けた方が良さそうだった。

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