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狐の声がきこえる  作者: ゴトウユカコ
最終章
40/41

狐の嫁入り_5

 八十畳近くはあろうか、座敷には長方形の座卓が整然と並び、そこに喪服の人たちが頭を寄せ合うように集まっていた。テーブルの上の大皿料理をつついて、酒を酌み交わしている。皐月は依舞や従姉妹の姿を目で探しながら、酒が足りない卓に徳利を置いて回った。つい二、三日前にも顔を合わせた親戚が呼び止めるのをやんわり断っていると、ふと視界に、八重野の銀髪が飛び込んできた。護伯父と向き合って、何か話をしている。その両隣で本家に近い親族が頷いたりしているところを見ると、皐月が知らないだけで、風子伯母のように親交のある人も多いのだろう。彼がなじんでいることになんとなくホッとした時、こちらを向いた護伯父とばっちり目が合ってしまった。

「お、皐月ちゃん! ここ、ここ!」

 護伯父が大きく手を振って皐月を誘った。

 内心気が引けて、逃げる口実を探す。施主の護伯父が座るところは上座近くだということもあるけれど、その隣に八重野がいたのもその一因だった。

「なーにしてんだ、いいからこっちこっち!」

 護伯父の大声につられて周りの親族もそっちに行くように言い出す。親族の注目を浴びて、皐月は仕方なしに護伯父のそばへと近づいた。

「さきほどは、ありがとうございます」

 そばにきた皐月を見上げ、八重野が丁寧に頭を下げた。八重野の前には、数本のビール瓶だけでなく徳利と猪口が置いてある。だいぶ飲んでいるのだろう、その顔はかすかに赤らんでいて、男性なのに色っぽく見えた。

「主役の登場だっぺ。ほら、ここ座れ。ばあさんが可愛がっていた皐月ちゃんがいなきゃ話になんねえべ。手伝いばっかしてっから、もうだいぶ座も過ぎちまった」

 護伯父が八重野との間をあけて、軽く座布団をたたいた。

「女衆はそうそう腰を落ち着けてられないんだから仕方ないじゃない。おじさん、飲みすぎじゃないの?」

 軽く皮肉を言いながら腰をおろした。

「これで、ばあさんが可愛がっていた二人が揃ったべ」

 その言葉に、皐月は思わず八重野を見た。

 八重野は少し肩をすくめた。

「さ、皐月ちゃんも飲め飲め。そんでぇばあさんをしっかり送ってやれ」

 護伯父がビール瓶をとりあげて、慌ててグラスで受けた。ホップの香りが鼻先をかすめ、さわやかな苦みが喉をぬけた。知らないうちに喉が渇いていたのか、一気に半分ほど飲んでしまう。

「おお、おお、いい飲みっぷりだっぺなぁ」

「護おじさん」

 返すビールで、護伯父のグラスにも注いだ。そして八重野にもビールを傾ける。

「ありがとうございます」

 護伯父は、感慨深げに皐月と八重野のやりとりを目を細めて見つめていた。

「それにしても、皐月ちゃんはきれいになったなあ」

「もう冗談ばっかり。おじさん、だいぶ酔ってるでしょ」

 笑いながら受け流すと、護伯父はおもむろに八重野の方を見て同意を求めた。

「んなことねえっぺ。な、白彦くんもそう思うべ?」

「はい、とてもきれいです」

 思わずむせた。護伯父の世辞をまじめに返した隣を見ると、八重野は、静かに微笑んだ。あまりに人間離れした美しい顔だと嫌味など感じないのだと思った。

「やめてくださいよ、八重野さんまで。みんな、昔はお転婆だったとか、そんなことばかり言うくせに」

 照れ隠しになじると、護伯父はしばらく八重野と皐月とを見比べるように見て言った。

「昔は昔。今は今だべ。そんなんで、結婚もまだっつうんだがら、なあにが悪いんだべ」

「あのね、おじさん。今どきアラサーだからって皆が皆、結婚するわけじゃないの」

「でもばあさん、皐月の結婚こと、気にしてたかんなぁ。せめて彼氏の一人でも連れてこねえがって」

「おじさん!」

 慌てふためく皐月に、隣の八重野が堪えきれないように小さく吹き出した。初対面の八重野の前で、結婚だの彼氏だの持ち出されて、皐月は穴があったら入りたい気分だった。

「そういや二人とも同い年だしな、まあせっかくだし、ここは若いもん同士だな、交流深めてみたらどうだべか」そう言うと、護伯父は掛け声とともに腰を上げた。

「えっ、ちょ、ちょっとおじさん? もう行っちゃうの? まだ」

 護伯父を思わず引き止めた。

「他にも挨拶まわんなきゃなんねえんだ、残ってっがらよ。ま、仲良くやんなさい」

 満面の笑みを浮かべて皐月に笑いかけ、護伯父は去りしなに八重野の肩を軽くたたいた。

 困惑を隠すように、皐月は八重野に「なんかごめんなさい」と謝る。

「いいえ、護さんはたぶん僕に気を遣ってくれたんです、皐月さんと話したがってたの知ってるから」

「え、あ、……そう、ですか」

 戸惑って、つい間持たせに目の前の徳利に手を伸ばした。

「お酒、強いんですね?」八重野が横から手酌を制するように徳利を先にとりあげた。

「ええまあ……。あ、ありがとうございます……」

 恐縮しながら猪口で受けて、一口含む。ガツンとした辛口の日本酒が喉から胃へと焼くように落ちていく。今度は皐月が八重野に徳利を傾けた。地酒の美味しさが、つい精進落としだという場を忘れさせて、杯を重ねさせた。

「あの、もともとおばあちゃんとは仕事でってことでしたけど、どういう?」

「僕の家は、古宇里山のそばなんですけど、目の前がこちらの田んぼなんです。で、小さな頃からいろいろと米づくりを見てたりするうちに、僕もだんだん興味をもって」

「じゃあ……農業を?」

 なんとなく予想はしていたけれど、やはり八重野の雰囲気からは意外だった。

「ええ。家は普通のサラリーマン家庭なので、光子さんから指導いただく形で。学生の時に、農業がさかんな地域を巡ったりもしたんですけど、やっぱりここでできる米も野菜も味の濃さや栄養価が別格なんですよね。調べてみたら、どうやら気候だけでなく、地質や水質の条件が、ここで昔からつくられてきた米や野菜にとても適しているみたいで」

 八重野は猪口を傾けながら、穏やかにこの地での農業のことを話し始めた。その口調は、熱っぽすぎず、だからといって突き放しているわけでもなく、自分の生まれた地で生き、死ぬという当たり前のことを優しく愛しげに見つめているようだった。その語り口に、胸の奥にぬくもりを灯されたみたいに、いつのまにかひきこまれていた。

「有名な人が確か……言ってるでしょう? 人は土から離れては生きていけない。僕にとって、農業は、人そのものを生かしも殺しもする根源的で、とてもクリエイティブな仕事なんです」

「クリエイティブ、ですか?」

「ええ、どう捉えるかは人それぞれですが、より良いものを求めて手をかけた分だけ相手からの反応というか、応えてくれるんですよね。それに二度と同じものはできないんです。天候なんて毎年違いますし、それに伴って水質だって土だって、変わってきます。僕ら人間ができることなんて、自然の力に比べたら本当に些細なことだけなんですけど」

 話しながらも、八重野には日本酒の香りを嗜むような品の良さが漂う。

「農業って、実は繊細なんですね……」

「そうですね……、繊細というより、どうしたって自然は人智をこえたところにあるので……。米や野菜って人を直接つくるものでしょう? その日だけではなく、毎日毎日積み重ねて、それは五年、十年、その先にも人の体に影響を与え続けるものだから。それって、子どもを持つ女の人にとってはさらに大きなことで、自分が口にしているものが間接的に産む子にも受け継がれる。そういうふうにして、昔から人の体はつくられてきたんだと思います。だからできるだけ人間という動物に備わった自然に近い形で、体をつくる食べ物を口にするのが理想だなって……。遺伝子工学も医学も情報技術もあれだけ進んでいるのに、人体が本当に欲しているのは、最後には山や川や海が育んだものなんです。それが僕にはすごく興味深いんです」

 そう静かに語る八重野の姿に、既視感を覚えた。こういうふうに、語る人を皐月はどこかで知っていた。

「……私、祖父母が農家なのに、そんなこと考えたこともなかったです」

「僕はまがりなりにも農業でなりわいをたてていますし、なにより光子さんから教えをいただいている身ですから」苦笑しているけれど、皐月が得られなかった祖母との濃密な時間を過ごしてきたであろうその八重野の笑みは眩しかった。

「おばあちゃん、嬉しかったでしょうね。八重野さんみたいな方が農業を志してくれて」

「だと良いですけれど、よく怒られもしていたんですよ。そのやり方はここの土では米をだめにするとか、土の養分を生かしきれてないとか。もっとおおらかに捉えろ、とも……」

 怒られるというのは、それだけ相手のことを思わなくてはできないことだ。祖母は本当に、八重野に心を砕いていたのだろう。人生で培ってきた、あるいは先祖代々受け継がれてきた知恵やノウハウをすべて注ぎ込もうとしていたのかもしれない。でもそうしたくなる気持ちは、八重野の農業への想いの片鱗に触れただけでも分かった気がした。

「農業がお好きなんですね」

「そうですね。僕には、自然の循環に寄り添った人間らしい営みだと思いますから」

 祖母の眼差しを思い出した。自分の信じるものを真っ直ぐに見つめている強さと、そして深いところから世界を見つめる清澄さが、今の八重野の眼差しととても似ていた。

 祖母にとって、農業は大事なものだ。それが生きる糧だったということもあったろう。でもそれ以上に、八重野が言うように、人の営みから分かちがたいものとして捉えていた。

 人は、人以外の命で生き、そして人そのものに支えられて生きる。

「……うらやましいです、なんだか。私はおばあちゃんとは疎遠になっていたから」

 ぽろりと本音がこぼれた。こうして祖母に想いを馳せると、同時に苦い痛みも思い出す。

「でも、皐月さん。光子さんのことをひと時たりとも忘れてなかったでしょう?」

 忘れるはずがない。忘れることなんてできない。あまり良い別れ方をせずに、この世での別れになってしまったのだから。

 八重野は黙ってしまった皐月を優しく包むような眼差しで言った。

「その時の事情や背景、そこに渦巻く感情がどうあっても、心にかけているだけで違うと思いますよ」

「そうでしょうか?」

「相手を想う、というのは人の武器だと、光子さんがよく言っていました。例え会えなくても望んだ結果に繋がらなくても、それは巡り巡って、相手に通じるのだと」

 八重野の表情から、慰めるとか同情とかは感じられない。本当にそう思っているのだと分かり、皐月も本当にそうなのかもしれないと思い始める。

「光子さん、だから、折にふれて気にされていましたし、ことあるごとに、皐月は元気でやってっかなあとか、会いにいく時間があればなあと……。想っていれば、いつか皐月さんが帰ってきた時、例え自分がいなくなっても、この土地の稲や草木や鳥や、そういうものが……そして、僕みたいな他の人が、その心を伝えてくれるんじゃないかって……皐月さん?」

 気遣う声音が低い声にまじって、ハッとした。いつのまにか皐月の頬を涙が流れ落ちていた。止まらない涙を振り切るように慌てて天井を仰いだ。

 祖母はいつだって、自分を想ってくれていた。

 こうして、八重野という男性を介して、祖母はまたそばに寄り添ってくれている。

「……ああ、もう。私ってば情けない」涙をぬぐって立ち上がった。

「飲み過ぎました。ごめんなさい、少し外の風に当たってきます」

 八重野の反応を待たずに座敷を足早に出た。足元がおぼつかないけれど、玄関に向かい、外へとおりた。そのまま坂を下り、長屋門の前の道路まできて、歩をゆるめた。

 風が田んぼを渡っている。稲が揺れ、音を立てた。古宇里山は、昔も今も変わらず険しさと懐の深さをあわせもちながらそびえている。

 この景色を思い出すといい。そう言った祖母の言葉を思い出した。祖母の心が、この土地のあらゆるものに宿って、大きな腕の中に皐月を包んでくれている気がした。

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