狐の嫁入り_4
久しぶりに足を踏み入れた裏庭は、きれいに手入れされて、記憶の中の土蔵よりさっぱりしていた。小さな頃は雑草が伸び放題で、その丈の高い草の間に隠れて遊んだような気もする。
そして古びた土蔵が昔と変わらずに建っていた。こみあげてきた懐かしさの中に、喪失感が混じる。何か大事なものを忘れてきてしまったような、途方に暮れた夕方のような気分がひたひたと押し寄せて、涙が滲みそうになった。
そんな自分を訝しく思いながら、皐月は土蔵の重たい扉を開けた。錆びてきしんだ音が響く。
電気をつけると、白色の蛍光灯がこうこうと蔵の中を照らし出した。遊んだ記憶の中で、土蔵の中はもっと広かった気がする。しかもさまざまな家財道具が所狭しと雑多に置いてあったけれど、今はだいぶ整理され、すっきりしてしまっている。ただ変わらないのは、埃とカビの入り混じった湿っぽい匂いばかりだった。
目当ての棚を見つけて、適当な一升瓶二本に手を伸ばす。腰をかがめた時、ひんやりした風が素肌を撫でた。顔を上げると、奥の方でぼんやりと白く浮かび上がる神棚があった。きちんと掃き清められ、そこだけ明るく見えた。普段は気にもとめないのに、なぜか手を合わせないといけない気がして近づいた。
祖母が安らかに眠れますように。
神棚の前でそう祈った時、ふと背後から呼ばれた気がして皐月は振り返った。
誰もいない。気のせいだったと前を向きかけ、また呼ばれた。
耳朶をくすぐる、低く、柔らかな男の人の声だ。
気になって、土蔵の扉の方を見た。
その向こうに広がる裏庭。
穏やかな午後の光の中に、影がさした。
逆光の中、誰か、立っている。
そのシルエットに、胸の奥がひどくざわついた。
風がまた吹き込んできて、背後の神棚の紙垂や神札が擦れ合う音を立てた。
「誰?」と聞くと、「皐月ちゃん」と答えた。その声は遠く、はっきりとは聞こえない。でもとても甘く優しく、誘うようだった。
無意識に扉の方角に足を踏み出した時、ふいに大きな音をたてて、風が吹きこんだ。巻き上がった髪を慌てて抑え、皐月が顔を上げた時にはすでに扉に佇んでいた人の姿はない。一瞬にして、風に攫われてしまったようだった。思わず駆け寄るように扉の外に出て、辺りを見渡した。
裏庭は来た時と変わらず、隅に生える草がかすかに揺れているだけで、誰の姿もない。
でも、その人が誰か分からなくても、皐月がずっと会いたい誰か、だった気がして、たまらなく切なくなった。




