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狐の声がきこえる  作者: ゴトウユカコ
第4章
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過去の記憶_7

 火葬場の控え室で親族の話の輪には加わらず、外の空気を吸ってくると言い残して出た。悟伯父も白彦もまだ姿を現さない。そのことへの一抹の不安とともに火葬場の煙突を見上げた。

 祖母は約一時間半で肉体をなくし骨だけになる。もうどこを探しても、祖母の姿はないのだ。

 そのことがひどく空虚で現実味をともなわなかった。しかもこの期に及んでもまだ泣けない自分がいる。すべての出来事がまるで薄靄の向こうの現実のように、ぼんやりしていた。

 なんとなく火葬場の周りを歩いて、その裏手に足を踏み入れた時だった。

 言い争っているような声が聞こえてきた。近づきたくないと踵を返しかけて、ふと自分の名前をその声の中に聞いた気がして立ち止まった。

「さっさと手に入れればいいものを、なぜこう、もたもたしているのだ」

 苛立ちをぶつけるような声音は、悟伯父のものだ。とすると、話す相手は白彦にちがいない。

「僕にとって彼女は物じゃないし、搾取する相手でもないんです。人間だとしても、考えも感情もしっかりある、僕と同じ命ある者なんだ」

 建物の物陰からそっと伺うと、悟伯父と白彦が対峙するようにいた。悟伯父の顔は木立に隠れて見えず、白彦の横顔ははっきり見えた。その顔は皐月が今までに見たことがないほど険しい。

「命あるものなど、人間の他にいくらでもおる。いちいちそれにかかずらっていたら、我らの身の方がもたぬ」

「でも僕には、人間とかそういうこと以前に、彼女はただ本当に大切な存在なんです」

「ならば、それこそそばに置けばよかろう。たやすいことではないか」

「違う……そうじゃない、そういうことじゃないんです。なんといえば伝わるのか……、命をもつ存在は無数にあって、人間だろうとオキアミだろうと僕らには同じ消耗品でしかない。……前はそう思っていました。でも今は違う。たった百年も生きられない命なのに、いつだって誰かのために、自らがいなくなった未来のために、怒り、笑い、泣き、悲しむ……その生き方が僕には尊い……切なくて、愛しくて、たまらなく羨ましいんです」

「……だから、そこまで心を傾けるなら、力でもってそばに置けばよかろう? 仮にあの娘のそばにいられたところで、その命は我らに比べて脆く短い。お前はまた残されるのだぞ? 忘れてはおるまい?」

「それでも、それでも彼女は、人として生きるその自然のまま、ありのままでいてほしい。そうでいるからこそ、あの輝きがあるんです。僕が手を加えたら、それはもうまがい物だ」

「そこまであの娘にしてやる意味が分からぬ」

「理屈でも説明できるものでもありません。彼女が僕を助けてくれたあの瞬間、僕は囚われた。僕はただ彼女のそばにいたい。それ以上のことは何も望まない」

「ならば、あの娘の代用で賄うか?」

「それは、……それは、できません……」

「戯れ言を……自ら死を選ぶつもりか? ……のう白彦、いつからそんな腑抜けたことを言うようになった? こちらに出る時、いずれその魂を喰らいたいがためだと言ったことを忘れたか? それゆえに同胞も我もお前に許しを与えたのだ。自覚しておらぬわけではなかろう? さっさと喰らわねば、お前は近く朽ち果つ。下手すれば娘よりも先だ。ためらう時間など残されてはなかろう!」

「それでももう僕には……できない」

「白彦、もう少しではないか。もう少しで、あれほど望んでいた力が得られよう?」

「……あとひとつで、僕は圧倒的な力を手に入れられる」

「そうだ」

「……でももう……そこに欲しいものはないんです……」

 聞き取りにくいところがあるだけでなく、さらに白彦の声のトーンが弱く落ちた。

 皐月はその場から動けなかった。彼らが話す内容があまりに現実離れしていて信じられない。でもだからといって嘘をつく理由も見えなかった。二人の場に出ていく度胸もここから去る潔さもないまま、皐月はただ息をつめていた。

「同胞の中でも稀有な力を手に入れられるその幸運を、自ら手放すか……なぜ、なぜそうなったのだ、なぜ……」

 苦々しげな悟伯父の声もまた、トーンが落ちた。

「あの子が、僕をきよくんと呼んでくれたあの日、まるで新しい命を吹き込まれたみたいだったんです……。僕こそが、あの子に魅入られてしまった」

「分からぬ……もう一度考え直せ。これから何百年何千年と生きる中で、またお前が目にかけたくなる娘も現れよう?」

「……そうかもしれません。でも」

「でも?」

「あなたの気持ちは嬉しいです。父と母を一度きに喪った僕に一番目をかけてくれた。でも、……あの子が、哀しいほどに愛しいんです。例え彼女を失っても、彼女以外に僕が心を砕きたい相手は他にいない。僕だってこんな気持ちを抱くなんて予想もしなかった」

 懇願するような白彦の声音にかぶるようにして、くぐもったような卑屈な笑いが重なった。

「もうよいわ。やはり我には理解できん。しょせん人間は人間。たかが人間の女一人、我らよりも大切などと愚かな」

天白てんぱく

「白彦、選べ」

「……っそれは」

「我らか娘か」

 白彦の表情が苦しげに歪むのが見えた。無意識に握りしめていた皐月の手は、力を入れすぎたのか白く筋張っている。

「……選ぶことなど、できない。僕には両方、」

 押し出すような白彦の言葉が最後まで終わらぬうちに木立が動いて、悟伯父の姿が現れた。

「残念だ、白彦。貴様はもっと賢いと思っていたがな。裏切りのその重さ、覚悟しておけ」

「天白! 待ってください!」

 悟伯父が皐月のいる方に向かって歩いてくる。身を隠す場所もなく固まっている皐月が視界に入っても、悟伯父は表情も瞳の色も変えない。そのまま皐月のそばを通り過ぎるかと思われた時、悟伯父はぴたりと真横で立ち止まった。

「まさかミイラとりがミイラになるとは」

 あきらかに侮蔑をこめた物言いに思わず皐月は悟伯父を睨み返した。でもその瞬間、皐月を硬直させたのは、切れ長の瞳がたたえた底知れない嫌悪と忿怒だった。鳥居で見かけた時以上に、激しい敵意に一気に怒りが恐怖に変わる。

「皐月ちゃん!?」

 白彦が走り寄って皐月を背中に庇うように立ちふさがった。

 悟伯父は視線だけで皐月と白彦を交互に睨め付けて鼻で笑うと、そのまま何も言わずに立ち去った。

 その背中を見送る余裕さえなく、歯の根が合わないほどの震えがのぼってきた。抑え込もうとしても震える皐月に、白彦は一瞬だけ触れるのをためらってから、空気をとらえるように皐月を抱き寄せた。皐月はふらつきそうになる体の支えを求めるようにその腕にしがみついた。

「大丈夫だよ、皐月ちゃん。僕がいるから」

 どこかで呼応するようにもの悲しく鳥が鳴いた。

「……僕が、守る」

 白彦は、それ以上何も言わない。ただ力強いぬくもりが、皐月を安心させるようにそばにある。それでも皐月の震えはおさまらなかった。

 たったひとつ、突然浮かび上がった直感を、その時の皐月は必死で打ち消そうとしていた。

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