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狐の声がきこえる  作者: ゴトウユカコ
第4章
12/41

過去の記憶_3

「え、少し遅れてるの?」

「なんか渋滞らしくて。まあ十五分くらいのことらしいから、そんなに影響はないでしょ」

「やだわ、兄さんに言っとかなくちゃ。護兄さんどこにいるか知ってる?」

「なんか神棚がどうとか言ってたけど」

 皐月は、出棺まで軒先でこれからの動きを確認しあっていたおばたちの会話に出てきた神棚のことに気をひかれて、親族の輪からそっと離れた。

 祖父から引き継いで、祖母が祈りを捧げていた土蔵の神棚のことを思い出したからだ。

 誰の気配もない裏庭は、昨日と変わらず背丈の高い草を風にそよがせている。目の前に聳える土蔵の鉄の扉をぐっと押し開けた。

 耳障りな音が思ったより裏庭に響く。日中だというのに、土蔵の中はあいかわらずうっすらとした陽の光しか差さず、そこかしこで暗がりが息をひそめている。

 暗さを無意識に見ないようにしながら、まっすぐ奥まで歩いた。

 紙垂がぶらさがった神棚は、小さな頃よりは手に届く高さにあった。

 元はきれいな白木だったと分かる棚には、埃がかすかに積もって、隅には蜘蛛の巣が張っている。小さな椀に盛られた白飯は乾ききって、いつ供えられたのか分からない。毎日新しい水を張っていただろう杯には、縁に乾いた水の線がついている。

 祖母が眠ったまま息を引き取ったのは四日前の早朝。前日までいつもと変わらず元気だったというのだから、五日前までは欠かさず祈りを捧げていたに違いない。

 でも神棚は、そのたった四日間で急激に時間を経てしまっていた。

 祖父、そして祖母が屋敷の中の神棚と同じくらい大切にしてきた土蔵の神棚。忘れられている神様の存在が哀しくなって、皐月は少しでもきれいにしてあげようと、はたきや雑巾を探して辺りを見回した。

 埃にまみれ、使われてない道具や家財の奥に、朽ちかけた梯子があった。足をかける横棒の木がところどころ抜け落ちて、すでに梯子としては使い物にならないけれど、記憶の中にあった、まさに天井裏ロフトにあがる梯子だった。天井を見上げると、ロフト部分は残っている。でも一部の羽目板が傾いで、だいぶ傷んでいるようだった。ロフトに何が置かれているのか、もう知る人は少ないにちがいない。

 時の経過ははやいものだと頭の片隅で思いながら、皐月はようやく神棚の脇の方に置いてある和箪笥の上にはたきを見つけた。それに手をのばしかけた時、何かに服がひっかかった。あっと思う間もなく耳障りな音と舞う埃に体を縮める。

 それは鉄砲だった。壁に立てかけてあったらしい。赤錆びた鉄の部分や、埃で白くなっていた銃身が光の筋の中で露わになった。撃鉄を起こしたところで、弾を放つことはできないくらい、素人の皐月にも分かるほど老朽化している。

 もう顔も覚えていない祖父は、百姓のかたわら猟師の顔を持っていたとも聞いたことがあった。

 そのことを思い出しながら手をのばしかけたそばに、また錆びた鉄網の檻が置いてあった。動物を捕まえる仕掛けのついた捕獲罠のようだった。人の手でつくられたのか、ところどころ歪んでいるけれど、妙に気になった。

 近づいて触ろうとした時。


 ーーさわるんじゃね!


 怒鳴り声が聞こえた気がして、皐月の体がぎくりと強張った。

 違う、現実ではない。昔の記憶だ。

 祖父の野太く掠れた声は、幼かった皐月にはただ怖かった。

 それでも必死だった。


 ーーそいつは悪さばっかすんだ、こんまま放っておくわけにはいかねえ。


 錆びていない銀色の檻の前で両手を広げて、それを庇いながら幼い皐月は祖父を見上げた。祖父がどんな表情をしているのかは、逆光で分からない。ただひどく苛立っていることだけは伝わってきた。子ども相手だろうが、容赦しないのが祖父だった。


 ーー皐月、どけ。聞きわけろ。もうそいつはこの世のもんじゃねえ。尾っぽが裂けてんだがら、山ん神さ返してやんなきゃダメだ。


 祖父が猟銃を肩からおろした。ガチャリと耳障りな音がして、同時に背後から低い動物の激しく警戒するうなり声が聞こえた。それに気を取られた皐月を、祖父は大きなごつい手でどかそうとのばした。皐月は怖い気持ちを必死で隠して、どかされないように檻にしがみついた。

 檻の中から、また低いうなり声が聞こえた。それでもひくわけにはいかなかった。

「そこにおんのは、皐月ちゃんか?」

 おじいちゃん!

 背後からの野太い声に、心臓が大きく縮んで皐月の口から悲鳴がもれた。

「あ、ああ驚かせたか。皐月ちゃんだっぺ?」

 記憶の中の祖父の声より若々しいことに気づいて、振り返った。祖母が亡くなった今、この本家をこれから盛り立てていく長男、そして母の兄である護伯父だった。

 逆光で、農作業に向いたごついシルエットが扉のところに浮かび上がっている。

「……おじさん」

「なんだ、どうした。こんなとこに一人で」

 長男らしい穏やかな物腰で、土蔵の中に入ってくる。

「……おじいちゃんかと思うくらい声が……」

 親戚のうちでは話しやすい相手に、思わず皐月の本音がこぼれた。

 護伯父は驚いた顔をして、すぐに照れ臭そうに破顔した。

「歳を重ねるたんび、死んじまったじいさんに似てくんだわ。親子だからしょうがねえ」

 気さくにそう言いながらそばまで来て、皐月をまじまじと見て微笑んだ。

「忙しくてろくに顔も見てねかったけど、きれいになったなあ、皐月ちゃん。小せえ時はあんなにお転婆だったのに」

「あはは、いつの話のことです、それ」

 久しぶりに顔を合わせた親戚との間では、まるで示し合わせたように皆小さな頃の皐月の姿を語った。十五年もほぼ本家に来なかったのだから仕方ないとはいえ、自分はよほどお転婆で落ち着きがなかったらしい。よく一人でいなくなったとか、屋敷の中でも走りまわってたとか、そんな覚えはないのに人間の記憶はあてにならない。

「しかしばあさんが生きてるうちに会えたらよかったけどなあ」

 胸を突かれたように皐月は俯いた。

「ばあさん、いつも皐月ちゃんのこと気にしてたよ」

「……はい」

 黙り込んだ皐月に、伯父は話題を変えるように神棚を見上げてふと眉をひそめた。

「なんだあ、風子のやつ。神さん放っときやがって。見とけってあんだけ言っといたのに」

「ちょうど雑巾でもないかなと探してて」

 話題がそれた安堵を隠して笑みを浮かべた。

「おお、偉いなあ。風子に聞かせてやんべ」

「もうやめてくださいよー、風子おばさんに睨まれちゃう」

 冗談に答えながら、屈みこんで倒れた鉄砲に手を伸ばした。

「じいさんの鉄砲か、それ」

 ずっしりと、片手でもちあげるにはそこそこの鉄の重さが腕に伝わる。

「ああ、いいいい。後でやっから」

 伯父の言葉に甘えて身を引いた。

「ねえ護おじさん。おじいちゃんって猟師だったんだよね?」

「おお、そらもうバリバリのな。小さい頃は連れてってもらった時もあったけんど、オレは見込みなくてな。でもじいさんは、この辺では一番の腕利きだったんだ。猟友会の支部会長も務めてたしな」

 やはり自慢なのだろう、誇らしげに鼻をふくらませた。

「どんなの獲ってたの?」

「んだなあ、シカだのイノシシだの害獣が中心だったけか。ああ、たまにはクマとかウサギもいたか。あとは……キツネとかだっけかなあ」

「キツネ? キツネも猟の対象なの?」

 胸騒ぎがした。

「あ? ああ、この辺はキツネがたくさんいんだ」

「つまり、撃ち殺すってことだよね?」

「そりゃそうだべ。あ、いやお狐さんだけは違ったか」

 お狐さん。

 キツネの呼び方に特別な響きがあった。

「え? お狐さんって、キツネのこと?」

「あ? ああ……いや、まあ……キツネっちゃキツネだけども」

 言葉を濁しかけた護伯父に、さらに踏み込んで聞こうとした時、不意に水を差すようにスマホから鈴を転がすような音が鳴った。思ったより土蔵内に音がこだまして、慌てて電話に出る。

「もしもし、お姉ちゃん? どこにいんの? 家ん中探してもいないんだけど」

「ごめん、裏庭」

「ええー、なんでそんなとこいんの!? ママーお姉ちゃんいたー! お姉ちゃん、もうすぐ出棺だよ?! もうなにやってんのー」

「ごめん、今行く」

 電話を切ると、母の渋い表情が目に浮かんだ。苦い気分が胸の奥に広がり、知らずにため息がこぼれた。

「依舞ちゃん、しっかりしてんなあ」

「ですね、私と違って。母も依舞の方を頼りにしてるし」

 つい拗ねたような口調になったのに気づいたのは護伯父が先だった。

「んなことねえっぺ。泉水は気持ち表すのが下手だからな、本当は皐月ちゃんのことちゃんと頼りにしてんべ、分かりにくいだけだ」

「そう、かな」

 疑念が声に出て、伯父は皐月の肩を優しく叩いた。

「お母さんこと、もっと信用してやれ」

 頷いて、皐月は神棚の方に向き直ると手を合わせた。

 土蔵を出ると、中の暗さと外の陽の光のギャップに、一瞬目が眩んだ。

「いたー。お姉ちゃん、こんなとこに……。えー何これ、こんなとこに蔵なんてあったんだ?」

 辺りをうかがうように裏庭に入ってきた依舞が、私の姿を見つけてホッとしたような笑みを見せて駆け寄ってきた。

「なんか辛気くさいとこだね。何してたの?」

「うん、おばあちゃんが蔵の中にある神棚にいつもお祈りしてたなあって思い出して」

「へー神棚なんかあったの? 知らなかった」

 依舞がたいして興味もなさそうに私の肩越しに蔵の中を覗きこむ。

「うっわかび臭そう。こういうとこあたしダメ。気が滅入っちゃう。あ、護おじさん!」

 護伯父が土蔵の奥から姿を現した。

「依舞ちゃん、相変わらず元気いいねえ」

「おじさん。そこは、相変わらずかわいい、でしょ」

「そっか、そうだな。ごめんごめん」

 依舞はすぐに興味を失ったらしく、「もう霊柩車きてたよ。おじさんも急いだ方がいいよ」と言って早足で歩き出した。

 皐月はもう一度振り返って、扉の間からうっすら見える土蔵の内部を見た。

 幼い頃、あそこで何かあった。それこそが、あの狐面をつけた男の子が言っていたことのような気がした。いったい自分は、あそこで、何を、なんの動物を、かばっていたのだろう。

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