~against the right reason~
夜空に、弦月。
「はあ…っ、はあ…っ。」
何処をどう走って来たのか、リュユージュには全く分からなかった。
それ以前に、今し方までの行動の記憶が断片的にしか残っていなかった。
彷徨った挙げ句に辿り着いた目前の石造の壁に、強く爪を立てる。
「くっ…!」
がりっという嫌な音と同時に、爪と肉の間に壁の石が食い込んだ。
「畜生…!」
それでも彼は構わず、壁を引っ掻き続ける。
「畜生…!畜生…!!」
次第に指の先から、血が滲み出て来た。しかし彼の行為は激化する一方だった。
「畜生ぉおぉーッ!!」
咆哮の様な大声を上げると拳で壁を殴り付けるだけに留まらず、遂には頭を叩き付け始めた。
「ッせーよ!!」
突然降って来た怒声に、流石のリュユージュと言えども酷く驚愕した。
「な…っ!?」
声が聞こえた頭上に彼が目を凝らすと、窓から顔を覗かせている男がいる。
「人が寝てるってのにぎゃーぎゃー騒ぎやがって!何だってんだよ、この糞ガキ!」
彼は窓外に身を乗り出すと、外壁を伝ってリュユージュの目前に姿を表した。
ただでさえ酷く思考が鈍っている今、不意を突かれたリュユージュは護身の為の抜刀すら忘れ、呆然と立ち尽くす事しか出来ずに居た。
戦場ではないとは言えども、その迂闊な行動は訓練された隊員とは到底思えない程だ。
「全く…。こんな夜中に一体何なんだ、あんたは。」
リュユージュは言葉すら発する事も出来ずに、一歩また一歩と自分に近付く男をただ凝視しているだけだった。
「何とか言え。糞ガキ。」
口調は乱暴だが、男から殺意や害意は一切感じられない。
リュユージュは本能的に危険はないと悟ると、彼に向かって手を伸ばした。
「これ、本物?」
そして惹かれるまま、その長い黒髪を引っ張った。
「おい、何すんだ!」
「初めて見た、黒いのなんて。染めてるの?」
「離せ!染めてなんかねェよ。」
男はリュユージュの余りにも遠慮のない行動に圧倒され、怯んだ。
「君、名前は?」
「あんた、どんだけ図々しい性格してんだ…。」
すっかり気勢を削がれた男は力無くそう呟き、呆れ返っている。
「あ、僕?僕はリュユージュ・ルード。」
「聞いてねェし。」
男は引き返すと、今下りて来た外壁を器用に上って行った。どうやら細い縄が垂れているらしい。
彼が窓から室内に入ると、それは滑る様に速やかに回収された。
「おい、糞ガキ!覚えとけ。」
リュユージュは下から、黙って彼を見上げていた。
「俺は『悪魔』だ。」
ドラクールは堅く窓を閉ざして頭から毛布を被ると、程無くして再び寝息を立て始めた。




