お茶会 1
ラナティア王国王太子の執務室。国王が臥せっているため、事実上の政はこの執務室で行われていた。また、国王の代わりに現在国を動かしているのはレオン王太子だった。
王太子の執務室を文官が尋ねると、王太子宮へ昼食をとりに帰り、まだ戻っていないという。
「これは、珍しいことですね」
「いえ、それが、最近は火急の用件がなければ、ご昼食は宮へお帰りになられておりますよ」
王太子の執務室付きの文官は、にこにこと微笑んで答える。
「夜も以前に比べると早く仕事を切り上げられて、宮へお帰りですよ」
「さようですか」
不思議に思い首をかしげた。王太子と言えば仕事漬けという言葉がぴったりな人物だと文官は思っている。自分だけではなく、彼の仕事ぶりを知っているものは皆がそう言うだろう。しかも、目が回るような仕事量をこなしていても、涼しげな表情を変えない。まるで彼の周りに爽やかな風が吹き抜けているかのように。そんな仕事人間が早々に宮へ帰られるとは、あまりに不自然だ。
そんな相手を見てくすくすと笑い出した。
「妃殿下がお輿入れされたばかりですからね。異国でご不安もおありでしょうし」
「ははあ、左様で…はっ」
文官は驚いて思わず声を上げてしまった。たしかに、先日盛大な婚礼が執り行われた。しかし、あの氷の殿下がご自分の妃とはいえ、人の気持ちを慮って自分の時間を割くなどとは信じられなかった。
「ご用件は代わりに承りますが。殿下には、急いでご判断いただくものはございませんので…お戻りは遅くなるやも知れません」
「いや、また改めて参ります」
そう言って執務室を後にした。今聞いたことを、自分の仕事場へ戻って話をしたところで信じるものがいるだろうか。文官は、頭をぽりぽりと掻いた。
「お茶会?」
「ええ。王妃陛下のお茶会にご招待いただきましたの」
エマは好物である鴨肉を頬張った。昼食から、前菜からデザートまで食べる習慣はなかったが、食事に関してはすぐに慣れた。食べることは好きだし、ゆっくりとレオンと食事を楽しむことができるのでエマにしてみれば嬉しいことだらけだ。実は、仕事の鬼と呼ばれているレオンは昼食を取らないことの方が多かったというのは、エマは知らない話。エマが心配しているのは、体重が増えてしまうのではないかということだ。
「それはよろしいですな。王宮はまたこちらとは違い豪華ですよ」
そう言ってロイドはワインを口に含んだ。今日は彼も一緒に席に着いている。
「緊張いたしますわね」
「気乗りせぬなら、行かなくてもよい」
レオンはにべもなく言う。彼自身がどう思っているのかは、エマが碧い瞳を覗き込んでもうかがい知れない。
「そんなことはございませんわ。せっかく陛下からお誘いいただいたのに」
王妃陛下は、レオンの実の母ではない。レオンの母の死後、国王が再婚されたのだ。故国ではそう聞いていたが、実際レオンの口からは何も聞いたことがない。
「この宮にいても退屈でしょう。なにせ無表情な殿下しかおりませぬからなぁ」
ロイドと話すのはまだ二度目だ。最初はレオンへの遠慮のない物言いに驚いたが、もう慣れた。今では、侯爵家の息子というのが疑わしいとエマは思っているし、本人に面と向かって言えるほどだ。
「まあ、ロイド! そんなことありませんわ。この宮では殿下のおかげで何不自由なく過ごせますし、お庭の散策も楽しいですし…たしかに殿下は無表情ですが、私は殿下とお話ができるのが何より楽しみなのですわ」
エマにとっては何を考えているのか分からない夫なので、なおさら会える日が楽しみなのだ。レオンのことをもっと知りたいと思っている。
「エマ、私のことをそんな風に思っていたのか?」
レオンが動かしていたナイフとフォークをぴたりと止めてエマを横目で見た。その横でロイドは堪えきれないとでも言うように、横を向いて笑いを噛みしめている。その顔を見てエマは、ロイドの言葉に賛同してしまったと思い当たる。
「いやだ、殿下。違いますわ。私は無表情なんて思っておりませんわ。ただ、表情が動かないというだけで…えーと」
「つまり能面のようだ、ということですね」
「そう、能面のようですわ」
ロイドが破顔した。エマはさらに焦ってしまう。
「いいえ、いいえ、違うのです。間違えてロイドの言葉を反芻してしまっただけですわ。嫌だわ、殿下、そのようなお顔をなさらないで。えーと、なんて言ったらよいのかしら……もう、ロイドったら笑いすぎよ!」