婚礼 2
婚礼の儀の後、夜の寝台で男女がすることは故国の家庭教師から一通り聞いてはいた。
しかし、エマにとっては想像が追いつかなかった。そのようなこと、私にできるのかしら? と王太子の肖像画を眺めながら疑問に思うばかりだ。肖像画の中の男性は、美しい顔をしているが、温度を感じさせないような美貌に硝子のような碧い瞳、まるで額縁の中にしか存在しないように感じさせた。
「閨のことに関しましては、王太子殿下にすべてお任せして、お体をお預けくださいませ。ええ、姫様は何も心配なさらずとも、大丈夫でございますよ。殿下だって一目姫様をご覧になられば、すぐに夢中になられますわ」
リネットといえば同じ言葉をずっと繰り返していた。彼女がそういう経験があるのか聞いてみたい気もしたが、どんな返事が返ってくるのか怖くて聞くことができなかった。
女官たちが、恭しく一礼してお支度の間へ入ってくる。揃いのお仕着せの彼女たちは、無言で箪笥を開き、衣装を取り出す。阿吽の呼吸で跪いた彼女たちを見て、それまで見守っていた年嵩の女官が、エマに歩み寄った。
「それでは、お着替えをさせていただきます」
エマの着替えは先ほどリネットが済ませたところだ。別段、女官たちが持っている寝衣と変わりはない。
「エマ様のお着替えは済んでおりますが…」
リネットの声は戸惑っていた。
「今後は、お気に入りのご側近しかいないところでのお支度はお控えくださいませ。何か後ろ暗いことがあると思われても仕方がございません」
後ろ暗いこと。この女官たちは、エマ様がなにか危険なものを隠し持っているのではと疑っているのかと、リネットはたちまち怒りで顔が火照ってくる。
「なんと! エマ様に対して無礼な! そなたたちの王太子妃殿下であるぞ」
「これは、王太子殿下のご命令でございます」
ぴしゃりと女官が言った。
エマは血の気が引いた。よろめきそうになるのを、踏ん張って留まった。
王太子殿下のご命令。つまり、王太子自体が、エマを疑っているということだ。
「なんと。殿下が…ですが、あまりにもエマ様に対してこれでは」
エマは、リネットを手で制した。
「もうよい」
着替えをするために立ち上がる。エマは女官の手で一度裸にさせられ、彼女たちが用意した寝衣に着替えさせられた。先ほどまで着ていたものは、彼女たちが目を凝らして検分している。
リネットは悔しそうに見ていた。
針でも仕込んでいると思われているのかしらとエマは悲しい気持ちになる。
歓迎されているわけではなかったようだ。そう思うと、この場にいること自体が恐ろしくなってくる。この者たちだけではなく、夫となる殿下が自分を疑っている。味方が誰もいないなんて。故国では誰もがエマに優しく、こんな冷たい仕打ちを受けたことなどない。エマは、心細さで震えてくるようだった。
「大事ございませんでした。結構です。以後はお気をつけくださいませ」
慇懃に女官は頭を下げた。
「それでは、こちらの扉を開けますと、ご寝室は続きになっております」
片開きの扉をそっと開き、エマだけ入るように促す。王太子に会うのが、とてつもなく恐ろしいが入らぬわけにもいかない。
エマが部屋へ入ると扉はすぐに閉められた。するとすぐに、中央にに天蓋付きの寝台が置かれているのが目に入る。エマにとっては、それはすでに恐ろしいものだ。
寝台の隣の椅子には、長い足を持て余すように組んだ、肖像画で見たままの男性が座っていた。王太子だった。
なんてこと。エマは思わず息をのんだ。
絵と同じく温度を感じさせない整った顔立ち。肩にかかる金色の髪は本物の方が絵より濃いぐらいの違いしかない。動かなければ、生きていることを忘れてしまいそうだ。ただ、硝子のような碧い瞳がこちらを見ていた。まるで検分するように。先ほどの女官のようだとエマは思った。