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氷の王子  作者: 白石美里
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クーデター 2

 数日を経て、ロンプトン市へと入った。船旅はエマの心とは裏腹にスムーズに進む。陸路を進むことを思えば、日数も随分短縮されたはずだ。


 ロンプトン市城は、エマの目から見ると平穏だった。街も穏やか。道に座っている物売りたちの前に並べられているものは、エマが見たこともないようなものだった。目が明るくなるくらいの南国特有の濃い色の果物や、色とりどりの魚を並べているもの、変わった編み方で編まれた籠。物売りの着ているものも鮮やかな色をしている。何もない田舎町だとロイドは言っていたが、とんでもない。こんな連れ去られた形での訪問でなければ、エマは楽しめただろう。強い太陽の光を浴びたような色をしている果物を口にしてみたいと思う。首都から離れた街では、中心地での騒ぎなどは余所事のようだ。寒さが厳しい北国とは違い、暖かさというのは人の心を穏やかにさせるのだろうか。元々、市民の気質も農業をしているものが多く、南国らしくのんびりとした街らしい。


 エマは、高台に建つロンプトン市城の一室に軟禁されていた。見張りには、エレン。彼女とは、話をしていない。ブレイン公に裏切られて、失望していたが、エレンにも裏切られていたのかと思うと、何も信じられない気持ちになった。ただ、思い返せば、エマが本当に信頼できる人はいるのだろうか。レオンのことももう何も知らなかった時のように無心では慕えない、と思考は底なしの沼に沈んでいくようだ。


 ブレイン公はロンプトンに着いてから姿を見ていなかった。食べるものは勿論だが、着るものにも不自由していない。王太子妃として扱われていたときと同じく、上質なものが用意されていた。頼めば、大抵のものは手に入りそうだ。ただ、自由はない。


「妃殿下。ロンプトン市長がお見えでございます」


 先触れの声が終わる前に扉を開けて入ってくる。薄衣に肉厚の体を詰め込んで、滝のような汗を拭っている。つるりと禿げ上がった頭を見ると父親より年上だろうかと、当たりをつけている。しかし、おおよそ威厳というものは感じられない。人の顔色を伺うようなねっとりとした、へびのような瞳は、いやらしさすら感じられ、エマは嫌悪している。エマの午前中は市長の相手をすることだ。決まりごとのように毎日、部屋へやってくる。


「妃殿下におかれましては、ご機嫌うるわしゅう」


 ちっとも気分はすぐれぬが、曖昧に微笑んでおく。どうせ、市長はエマの表情など見てはいないのだ。椅子に掛けるよう促し、エマもその正面に腰を下ろす。エレンがカップをエマと市長に注ぎ、エマが口をつけていないにもかかわらず、市長はごくりと飲んだ。出された菓子にも、躊躇なく手を付ける。

 

 エマはそれを見届けてから、自分もカップに口をつけた。渇いた喉に水分が通っていく。無意味な時間だが、この市長のおかげでエマも口を付けることができるのだ。


「こちらには、妃殿下も慣れましたかな? ロンプトンは何でも豊富で、よき街です。この菓子一つとっても王宮で出されるものと遜色ないでしょう」


 市長は焼き菓子を指先でつまみ、口の中へ運ぶ。目をつぶり、味わいに満足している様子で咀嚼する。四角い形に切られた、きつね色をしている甘い焼き菓子。それが、何で作られているのかエマは知らないが、普段エマが口にしているものは、もっと凝っていることは分かる。


「妃殿下がお召しになっているものも、私が揃えました。何か足りないものはございませんか?」


 上から下まで舐めるように視線が動く。気持ち悪さに声が出そうになる。生まれてこのかた、そんな視線にさらされたことはなかった。大体、王族に不躾な視線を向けるなどは不敬罪に問われるのだ。


 エマは深呼吸をする。気持ちを落ち着けて、ゆるゆると首を横に振った。


「そうですか。何か足りぬものがあれば遠慮なく、なんでも、この私目におっしゃってください。妃殿下のお世話ができるなんて、光栄なことですからね」


 ヘビの目を細める。まるで、自分の言っていることに悦に入っているかのようだ。市長の自分が、王族の面倒を見ている、しいては生殺与奪を握っているということに。リネットがこの状態を見たら何て言うだろうか。無礼だと市長に食ってかかるか、もしくは、あまりの非常識さに卒倒してしまうかもしれない。大騒ぎをするリネットを想像したら、エマは自分の立場も忘れて久しぶりに笑みがこぼれた。


 エマが微笑んだのを見て、市長は満足そうに笑い、皿の上の菓子に手をのばした。望んだわけではないが、エマが喜んでいると、勝手に勘違いをしてくれたようだ。


「失礼いたします。至急、お耳に入れたきことがございます」


 扉の外から声がする。市長は、もう一口菓子をつまんで口に入れ、その油で光る指先を舐めとると、扉近くに控えていたエレンに目配せをした。扉が開かれると、転びそうになるほど慌てた青年が、飛び込むようにして入ってきた。城で働いているものだろうか。市長も青年の騒々しい様子に呆れていたが、耳打ちされると、みるみるうちに顔色が青くなった。


「それは、まことか?」


「は、はい」


 市長は、カップを持つと一気に飲み干した。すぐにエレンがお代わりを注ぐ。


「閣下にはお伝えしたのか?」


「いま、お伝えに向かっております」


 市長の様子が普通ではない。閣下とは、ブレイン公のことだろう。


「どうかなさいましたか?」


 勢いよく立ち上がった市長は、椅子を倒してしまったが、おかまいなしに、部屋をぐるぐる回り出した。考え事をしているらしく、独り言をなにやらぶつぶつと言っている。ところどころで、大丈夫だ、と言っているのが聞き取れた。でっぷりとした市長がぐるぐる回っている姿は、まるで腹を空かせた動物のようだとエマは思った。


「市長、どうしたというのです?」


 エマの声など聞こえないようだ。理由が分からず、イライラとしてくる。


「私にもいよいよ運が回ってくるところだ。大丈夫だ。なんてったって、ケアード王国がついているからな。これで、私も宰相の地位が約束されるんだ」


「市長!」


 エマの声が苛立ちも含めて大きくなる。しかし、返ってきた声は、エマの声をかき消すほどの怒声だった。


「うるさい!」


 市長はヘビの目を見開いて、エマを見据えている。聞いたこともないような怒鳴り声に、エマは体を強張らせた。そんなエマの様子を見て、市長は落ち着きにっこりと微笑んだ。


「王太子の軍がこちらへ向かっているそうだ」


 王太子の軍ということは、レオンがこちらへ来る! レオンの端正な顔が頭に浮かび、安心感にまるで心に灯がともるようだ。そして、無性にあの碧い瞳を眺めたくなった。エマの髪を優しく撫ぜる、あの手に触れたい。ほんのすこし前まで、すぐ触れられる距離にいたのに、その日常が遥か昔のようだ。


「だが、残念だったな。王太子は負ける。そして、閣下が新しい国王になられるのだ」


「ブレイン公が?」


 レオンではなくブレイン公が国王になる? エマの頭は混乱する。


「そうだ。閣下には、ケアード王国の後ろ盾がある。まもなく、ケアードの援軍がやってくるだろう。対して、王太子の旗印は近衛隊だけだという。ロンプトン兵を相手にするなら十分だろうが、ケアードの軍隊とはそういうわけにはいかない。その時が、王太子の終わりだ。そして、勝利を収められた暁には、国王になられるのだ。私は、宰相の地位が約束されている。少しは、自分の立場を理解したか? 王女だろうが、王太子妃だろうが、ここでは何の役にも立たない。いくら身分が高かろうが、ここではお前は、ただの人質なんだということをよく覚えておけ」


 吐き捨てるように言うと、市長は大きな足音をさせて部屋を後にした。



「あなたを怒鳴りつけて、平常心を取り戻したみたいね」


 エレンが、市長が倒した椅子を元に戻していた。


「驚いたでしょうね? そんな扱いを受けたことないでしょうし。でも、気にすることはないわ。ただ、八つ当たりされたぐらいのことよ」


 ふふっ。

 そう面白くもなさそうに笑う姿は、王太子宮で見ていたあどけない少女の顔ではない。貫禄すら感じさせるような女の姿。


「立場は、考えたほうがいいわ。王太子が負けた後、自分がどうなるかよく考えて、行動することね。このままでは、あなた用が済んだら、殺されるわよ。そうね、例えば……閣下に媚びて命乞いをするとか」


 今度は、さも可笑しそうに笑っている。


「ま、今のあなたには無理ね。けど、命が迫って切羽詰まったらどうかしら? 人からかしずかれた事しかないあなたでも変わるわよ。どんな風になるのか楽しみだわ」


「いつからなの?」


「え?」


「いつから、私たちを欺いていたの?」


 エマの知っているエレンは、おしゃべりで、噂好きで、あどけない少女だ。箔をつけて結婚したいと言っていた。


「やだ! そんなの最初っからに決まってるじゃない! まだ信じているの? 王女様ってこんなに世間知らずなのねぇ。信じられないわ。最後は、女官長にも怪しまれて、目をそらすのが大変だったっていうのに。肝心のあなたは何も知らないのね」


「女官長が?」


「あの女は、堅苦しくて規律に厳しい。しかも、その規律は王太子の為になる事っていう、自分の正義に基づいている。だから、取り入ろうとしても、無駄だったわ。だけど、あなたの連れてきたリネットは、お人好しの世間知らずよね。よっぽど平和に過ごしてきたんでしょうね」


 エマの幸せだけを考えてくれるリネット。エマのために輿入れにもついてきてくれたのだ。世間知らずと言われても、エマもリネットも故国では、平和に暮らしてきた。国王が暗殺されたり、誘拐されたりなど、想像すらした事がなかった。


「もしかして、陛下を毒殺したのもあなたが?」


「ええ、そうよ。閣下の命令で」


 表情すら変えない。エマは、人の命を殺めても平然としている目の前の若い女が恐ろしくて仕方ない。


「なぜ、あなたはブレイン公に尽くすの?」


「閣下が、国王になったら父を復職させてくれるって約束してくださったの。私の父は大臣を務めていたわ。由緒ある伯爵家。それを王太子が、失脚させたのよ。爵位も剥奪されて。その後の生活がどんなに大変だったか! どんなに惨めだったか! あなたには分からないでしょうね」


 たしかにエマには想像もできないが、目の前の女の貫禄を見ると苦労をしてきたことは分かる。


「そんな時、閣下が声をかけてくださったの。それで、簡単に王宮にも入れたわ」


「なぜ、殿下は失脚などさせたのでしょう?」


 エレンは悔しそうに爪を噛んだ。


「見せしめでしょう。父はたまたま王太子に目をつけられたのよ。さすがに人の心が分からないと噂されているだけはあるわ。そんな気まぐれに付き合わされた私たちはどんな目に……あなたも思い知ればいいわ。ここへ着いた時が王太子の命運が尽きる時よ!」

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