婚礼 1
「ちっともお顔は見えなかったわ」
「左様でございますか」
ゆっくりと何度も豊かな栗色の巻き髪を梳りながら、侍女のリネットは答えた。その彼女に身支度を整えさせている少女は平素と様子は変わらない。彼女の主人である少女はたった今、婚礼の儀を終えた花嫁だ。外では、未だにお祝いの祝賀会が開かれている。
「とってもお背が高かったの。それに私の冠やベールが重すぎて頭が上げられなかったのよ」
「はい。立派なご衣装でございました。さすが、我がノース王国国王陛下が姫さまのためにご用意されたものでございます。ラナティアの方々も驚かれたことでございましょう」
リネットは先ほどまでの花嫁衣装を思い起こしていた。純白の衣装にはもちろん、ベールに至るまでに宝石が散りばめられていた。また、衣装にふんだんに使われたレースやフリルは、姫の華奢な体にぴったりと似合っており、初々しさや清らかさを醸し出していた。姫の後ろに控えていたリネットにも、周りの感嘆したようなため息が聞こえてきて、そのたび誇らしい気持ちになったのだ。
「リネットは王太子殿下のお顔は見た?」
「まさか! エマ様、私には王太子殿下の前で顔を上げるお許しはございませんでしたわ」
「なあんだ。リネットなら、こっそり見たのかと思ったわ。つまらない」
そう言ってエマは頬を膨らませた。もし、こっそりと盗み見てばれてしまえば、リネットは咎を受けただろう。
「こっそりとは見れませんでしたが、王太子殿下はたいそうお美しい方だと評判でございますね」
「まあ、そうなの」
エマは全く未来の夫、婚礼の儀式を終えたので正真正銘の夫であるが、その夫について全く知らなかった。ラナティア王国の王太子に嫁ぐ。それは、両国の絆を強固なものにし、平和を永遠に導く。婚姻が決まったのは十五年も前だ。しかし、その相手はエマの姉だった。幼い時からラナティア王国に嫁ぐため、教育を受けてきたが、事故により顔に傷を負ってしまう。そのため嫁入り出来なくなり、代わりに白羽の矢が立ったのは、エマだった。他に年が合うものがいなかったため、二十六になる王太子に、十五になるエマが選ばれた。
姫への花嫁教育は急ぎ行われた。リネットには不憫に思われて仕方ない。リネット自信が子供の頃から仕えた大切のお姫様。まだまだ、少女である姫に国という重石が乗せられてしまうことに。
「たしかにノース王国に送られた肖像画はハンサムだったわね」
クスクスとエマが笑う。
「でも、肖像画は本物よりも幾分か素敵に書かれてるわよね。お兄様の肖像画をリネットは見たことがあって? 妹の私でもご本人とは分からないくらいの出来よ」
本人の顔を思い浮かべリネットも思わず顔を歪めてしまう。しかし、笑うなどとは王族に対して不敬罪だ。
対してエマは、兄を思い出すと先日別れたばかりの故郷が懐かしくなってしまう。ラナティア王国よりはるか離れた故郷。出立する日には家族皆が、エマとの別れを惜しんでくれた。父王の瞳にもうっすらと涙が浮かんでいた。エマは、思い出さないように努力していたが、ふいに会話に出てきてしまう。そうなると、とても懐かしく、すぐに望郷の念に捕らわれてしまうのだ。
コンコン、とノックが鳴った。
「妃殿下、ご用意は整いましてございますか」
そのラナティアの女官の声にエマは現実に引き戻された。ここは、お支度の間だ。ここを出て、寝室に向かい王太子との初夜を迎える。そうして、エマは名実ともにラナティア王国の王太子妃として認められるのだ。
リネットがうかがうようにエマの顔を見る。エマは是の意味でうなづいた。
「エマ様ご用意整いましてございます」
リネットが言うと、扉が両開きに開かれた。