夜会 2
「なぜ、このようなところで一人でいるのですか?」
ブレイン公は、一人で外を眺めているエマを見て、眉を顰めた。どうやら、居場所がなく中心から離れて、一人寂しく外を見ているように思われたようだ。見透かされてしまっているが、その通りだと知られるわけにはいかない。エマにだって王太子妃としてのプライドがあるのだ。
「ちょっと夜風にあたっておりましたの」
余裕を込めて笑顔を作る。しかし、エマの言葉など信じていないとでも言うように、ブレイン公は眉を顰めたままで、ため息を吐いた。
「夜風ですか……。まったく、兄上にも信じられないな。あなたを一人にさせて心細い思いをさせるなんて」
「そんなことありませんわ……」
エマが慌てて言うと、ブレイン公は悲しそうに笑みを浮かべた。
「そうですか? ここの者たちは、口さがないでしょう。あなたも悲しい思いをしているのではないですか?」
「そのようなことございませんわ。それに、もし、もしもですけど、そのようなことを言う者がおりましても、私は気にしませんわ!」
ーー信じられない! まるで子供じゃない
ーーあんな子供の相手をしなきゃならないなんて、殿下がお可哀そうだわ
先ほど聞こえて来た言葉が、エマの頭の中で繰り返される。あの時、隣にいるレオンには聞こえなかったのだろうか? レオンが知らぬふりをするならエマもそのように振る舞うつもりだった。大したことではない、と言って気に留めないように振る舞うのが大人の女性のあるべき姿だとエマも思うが、それでも傷ついていないなどとはやはり言えない。
「私の前では、強がらなくてもいいですよ。あなたの気持ちは少々は分かっているつもりです。実は、私の母も口さがない連中の言葉に心を痛めていたのです」
ブレイン公はエマの横に立ち、バルコニーに肘をついた。
「母は、一人でよく悲しそうな顔をしていました。幼い私は、母を笑わせるためにおどけて見せたりしてね。しかし、あまり慰めにはならなかったようです。人を慰めたり勇気付けたりするというのは、あまりに難しいことだとその時に痛感しました。ですので、私はあなたを慰める言葉は持っておりません。ですが、私の前では辛くない演技をする必要はありませんよ」
自然体でいればいい。そう言われると心が軽くなるような気がした。ガイには気を付けよ、とレオンは言うし、皆も毒を盛った犯人として濃厚だというが、ブレイン公が紡ぐ言葉は丁寧で信頼できるようにエマには思える。ましてや彼が毒を盛るなどというのも信じられなかった。
「ブレイン公はお母様思いでいらっしゃるのですね」
母に笑ってほしくて、おどけてみせる幼いブレイン公。レオンだって母に詰め寄られようが、そばにいたという。息子たちにそんなに思われていたのに、レオンに毒を盛らなければならなかったというのは、なんと悲しいことなのだろうか。
「母には味方がおりませんでしたからね。ああ、そんな顔をしないでください。私は、兄上と違って自由がききますからね。兄上は幼い頃から王太子としてみっちりと教育されてましたが、私はのんびりと育ったのです。しかし、その教育のせいですかね。氷の王子などと呼ばれるのは。上に立つものは、弱い人の心が分からないようだ」
「そんなこと……! 殿下はお優しいですわ」
「ああ、兄上を中傷するわけではありません。上に立つものは、時に非情な判断をすることがある、ということです。国を背負うというのは、個人の感情は不要です。あの人は決して感情的に行動したりしませんからね。そういう意味では、上に立つのに相応しいのでしょう」
「ブレイン公? おっしゃっていることがよく……?」
「兄上は立派な王太子でいらっしゃるが、あなたの夫としてはどうでしょうか? と思いましてね」
「公は殿下のことをよく思っておられないのですか?」
レオンは普通の兄弟ではないと言っていた。お互いに複雑な思いがあるのかもしれない。
「いえ。そんなことはありませんよ。私は、立派な兄上を尊敬しております。ただ、あなたにそのような顔をさせているのを看過できないだけですよ」
外を眺めていたブレイン公は、エマに向き直るとそっとエマの頬に手を滑らせた。その瞳は悲しげだ。もしかしたら、自分の母親と重ねているのかもしれないと思うと、エマはその手を振り解けずにいた。
「その手を離せ」
鋭い声に振り向くと、こちらを睨みながらレオンが近づいてきているところだった。とっさにエマはブレイン公の手を振り解こうとしたが、逆にその手を握りこまれてしまう。エマの手をすっぽりと覆ってしまうブレイン公の手は力強い。手を抜こうとしたら、もう片方の手もやすやすと捕まってしまう。
「公?」
「何をしているんだ!」
声を荒げているレオンをエマは初めて見た。ブレイン公は、そんな声など聞こえないかのように、エマの両手をそっと開き、その手の甲に唇を押し付けた。その手が緩んだ隙に、エマはさっと捕らわれていた手を引っ込め、自由になった。そして、すぐそばに来たレオンがエマの肩を自分の方へ強引に引き寄せた。肩を抱く腕は痛いほどで、その荒々しい仕草は普段のレオンからは想像もつかないものだった。
「そんなに大切なら一人にしなければいいでしょう」
「何だと!」
「そんな怖い顔をなさらなくても大丈夫ですよ。お一人で寂しそうだったから声をかけただけです」
そう言うとブレイン公は、エマたちに背を向け去ろうとした。
「待て。何を考えているのか知らぬが、エマにはもう近づくな」
「残念ながら、お約束はできかねますね」
声を荒げているレオンとは対照的に、ブレイン公の声は落ち着いていた。背を向けたまま答えると、足を止めずに広間へ戻って行く。それを見届けると、レオンはエマの肩から手を外した。
「で、あなたはなぜガイと一緒に?」
「たまたまですわ。私が一休みしていたら、ブレイン公がいらっしゃって、少しお話していただけですわ」
「話か……」
そう言うとレオンは、先ほどのブレイン公のように、エマの頬に手を滑らせた。エマを見つめる碧い瞳は、普段と違い怒りの感情を映していた。
「どんな話をしていたのか知らぬが、私は気安く他の男に肌を触れさせるような者は好かぬ」
「そ、それは、ブレイン公がお母様と私を重ねていらっしゃるようで……お母様に手を差し出されている様子だったので、振りほどくことが出来ずにいたのですわ」
ブレイン公に悲しげに見つめられて振りほどくことを躊躇してしまったが、それではいけなかった。レオンが怒るのも当然だとエマも思う。
「それが、あなたと何の関係が?」
「軽率でしたわ。申し訳ございません」
エマは誠意を持ってレオンに頭を下げた。そんなエマを見て、レオンは怒りを収めようとため息を吐いて髪をかきあげた。
「誰かに見られて、いらぬ誤解を受けても面倒だ。立場をよく考えよ」
「はい」
「広間へ戻る」
そう言うとエマの腰に手を添えて、広間へ戻るように促す。エマは皆の前に戻る前に聞いてみたかったことをレオンに尋ねた。
「殿下は、私のことを広間の女性たちが噂をしていたのをご存知でしたか?」
「噂?」
やはり聞こえていなかったのだろうか。それならば、わざわざ自分で言うのは嫌だったが、レオンが返事を待っているので仕方なく口を開いた。
「殿下に似合わないとか、子供っぽいとか……」
「くだらぬことだな」
レオンはにべもない。
「くだらぬこと?」
「気にしなければ良いことだ。いろいろ言う者はどこにでもおる。それをいちいち気に留めている方がどうかしている」
「そうですか……」
レオンは強いからそうなのかも知れない。人の噂など気にならない強さがある人は、エマが傷つくような中傷も、くだらないことになるのだろう。しかし、エマはそのくだらないことで、心を痛めているのだ。
(氷の王子って呼ばれているのも分かる気がするわ……)
ブレイン公が言うように、弱い者の気持ちは分からないのかも知れないとエマは感じた。
「もう、よいか?」
広間へ行ってもよいかと聞かれたので、エマは頷いた。しかし、心はレオンに納得できるはずもなく、がっかりとしたままだった。こんな気持ちのまま人に会いたくはなかったが、笑顔を貼り付けて広間へ足を進めた。
「殿下! こちらでしたか」
ロイドが息を切らせてやってきた。侯爵家の息子だから夜会に出席してもおかしくないのだろうが、腰に剣を差している勇ましい姿は楽しむ様子ではない。そして、すぐさまレオンの耳元に顔を近づけ、何やら囁いた。それを聞いたレオンの顔つきも変わる。ロイドもいつもの飄々とした態ではない。何やら、ただ事ではない様子だ。
「すぐに向かう」
レオンはエマの腰を抱くようにして、足早に広間を後にした。エマはなされるがままだ。ロイドも足音も立てず後ろから付いてきている。
「どこへ行くのですか?」
「陛下の居室へ」
広間を出て、廊下に出れば喧騒は嘘のように静まり返っていた。これから国王陛下のところへ行くというのだろうか。エマの疑問に答えるように、レオンは声を潜めた。
「陛下が崩御された」
「えっ!」
「しかも、人の手に殺められてだ。陛下の寝台のそばには女物の首飾りが落ちていたらしい」
その後をロイドが引き継いだ。
「その首飾りは、妃殿下の物だと女官が証言しております。立派な蒼玉が付いている物らしいですが、覚えはございますか?」
二人がエマを見る瞳は、鋭く、冷たかった。




