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氷の王子  作者: 白石美里
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ハープ

 自室まで漏れ聞こえてくるハープの音色にレオンは耳を傾けていた。

 毒混入事件は、レオンが指揮をとり、一応の収束を見せた。エマの私室も調べ、皆の疑いを晴らした。これで、表立ってエマを疑うことはできなくなる。当の本人は不満そうではあったが。箝口令を敷き、秘密裏には調べさせてはいるが、おそらく何も出てこないだろう。 

 滑らかな演奏とは言えない音が、先ほどから同じところでつかえている。爪弾いている本人の姿は見えないが、一生懸命弾いている顔が容易に想像できて、レオンは知らず知らずのうちに口角が上がっていた。


「あなたのそのような顔は久しぶりに見ますなぁ」


 揶揄うような笑みを浮かべながら、ロイドはカップを傾けてお茶を飲む。レオンの私室だが、主人などおかまいなしにロイドは寛いでいた。レオンはそんなロイドを一瞥して、無駄だと思いながらも口を開く。


「もう少し、しゃんとせよ。主人の前ということを忘れるな」


 ロイドは、一瞬止まると、持ち上げたカップを置いた。


「おお! これはこれは、我が王太子殿下! この小生、気づかぬうちにご不興を買った様子。誠に誠に、申し訳ございませぬ」


 芝居がかった口調で、大仰に頭を下げるロイドを意に介さず、レオンは尋ねた。


「ところで、ロンプトンの様子はどうだ? なにか変わったことはあったか?」


 レオンに相手にされないので、頭を上げたロイドはつまらなさそうに足を伸ばした。ロイドは、さきほどロンプトンから戻ったばかりだ。


「街の様子は相変わらずですが、市長の様子がおかしいと噂されておりましたな。たびたび、王宮からの使者がやってくるそうですし……殿下の推察が当たりかもしれませぬ」


 それを聞いて、レオンは顔を歪めた。まるで、傷ついたように。


「そうか」


 ロイドはそんなレオンに気づかぬふりをして、苛烈な眼差しを向けた。


「軍を動かしますか?」


「いや。まだだ。確証がない」


「悠長なことは言っておられませぬ。ロンプトンに使者が来ているのは王宮だけではなく、ケアード王国からもたびたび来ているそうです。もし、ロンプトン市長の後ろ盾がケアード王国となれば、暗躍しているのはあの方でしょう。そうなれば、危ういのはあなたの身です」


 鋭い黒い瞳がレオンの脳裏によぎる。


「分かっておる」


 レオンの瞳をじっと見据えたロイドは、お終いとでも言うように肩をすくめた。


「それならば結構ですよ。私は殿下のご命令あらばいつでも動けるようにしておきます。あと、ノース王国の方は特に変わった動きはございませんね。まあ、あなたの顔を見れば疑惑も薄れているようですがね。妃殿下と仲睦まじいようで何よりですな」


 揶揄うようにロイドが笑みを浮かべるが、レオンはにべもない。


「エマは私とは全く違うところで生きてきたようだ。素直で、人が良い」


 ロイドも感慨深げに頷いた。


「さようでございますな。後ろ暗いところは感じない姫君です。しかし、あのご性格では我が国では生き残れなかったでしょうな」


 ロイドが強い眼差しでレオンを見据える。レオンは立ち上がり、窓際に行き、外を見やった。母もあのような素直な性格であったのかもしれない。もしかしたら、あのように天真爛漫に生きれたのかもしれない。父と結婚しなければ。自分を生まなければ。そう思っても、レオンには確認する術もないが。


「どうだろうな」


 自嘲的に笑みを浮かべると、ノックが鳴った。返事をすると、顔を覗かせたのはエマだった。


「殿下、失礼いたします。おかえりだと聞いたので……あら、ロイド!」


 いつの間にか演奏が止んでいたらしい。ロイドはエマの足元に跪き、手を取って唇を押し当てていた。


「妃殿下に再びお会いできて、恐悦至極にございますな」


「まあ、仰々しいのね。いつ戻ったの?」


 くすくすと、エマは笑う。


「さきほどですよ。全く、殿下の人使いの荒さは如何なものですかな。しかし、妃殿下の演奏に長旅の疲れも癒されました。ハープはもうお終いでございますか?」


 それを聞いたエマは顔を真っ赤にさせた。どうやら、ハープの腕前に関しては自覚があるらしい。


「まあ、嫌だわ。聞いていたの? 女官長が練習するように出してきたのよ。あら、もしかして、殿下も聞いていらしたの?」


 もともとそりが合わなさそうなエマと女官長だが、最近は軟化してきているようだ。女官長は、忠義が厚く信頼ができる。エマに厳しく当たっているが、それはレオンのためだった。レオンにこれ以上、害が及ばないように女官長は目を光らせてくれているようだった。


「このロイド・カーソン、妃殿下の染み入る演奏に、涙が……」


 ハンカチを取り出し、わざとらしく目頭を押さえている。本人のエマですら、信じられずロイドを睨めつけていた。それを見て、レオンは笑みが零れる。


「もう少し練習が必要だな」


 その言葉にエマは、がっくりと肩を落としてうな垂れた。


「もう……殿下がおかえりなら演奏なんてやめておけばよかったわ」


「いや、今度は私の前で、演奏してもらいたいものだな。どんな顔をして弾いているのか見てみたい」


 エマの顔がますます赤くなる。レオンにとっては、本心であったが、エマはからかわれたと思ったらしく頬を膨らませていた。一生懸命に弾いている姿はさぞ愛らしいだろうな、と思ったのだ。


「もう、ロイドだけではなく、殿下までそのようにおっしゃって。私、もう知りません」


 ぷいっ、と横を向いてしまった。そんなエマの機嫌を取ろうとロイドが言葉を並べているが、ますます怒りを増幅させているようだ。

 レオンは穏やかな気分で二人を眺めている。

 そして、もうあの頃に戻る気は無かった。母の呪縛から逃れたい。そのためにも、ロンプトンのことは見過ごすことはできないと思う。相手の出方次第では、穏やかに事が済みそうもないことに胸が痛む。しかし、自分が決断しなければ、目の前のエマたちに事が及んでしまう事は明白だ。それは、絶対に避けねばならぬ事だった。

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