涙 2
「お母様?」
レオンは寝台に肘をつき、頭を凭れさせて半身を起こし、エマと目を合わせた。
「そう。父の後宮は華やかだった。私の母は、王の愛情が余所へ移ると精神を病んでしまったのだ。そしてーー」
言葉を切ると、自嘲的に笑みを浮かべる。
「そして、夫によく似た息子を殺そうとまでするようになった」
エマは驚いて口に両手を当てた。
「まさか、そんな……」
レオンは頷いた。
(実の母親に殺されかけたということ?)
驚くエマとは対照的に、レオンは何の感情も見せず淡々と語る。
「若き父上は、ケアード王国へ外遊した際に、王女である母を見初めたそうだ。そうして、自国へ連れ帰り王妃とし、私とガイが生まれた。私は王太子となり、母の身分はこの国で保障されていたはずだ。だが母は、弱すぎた」
二人の王子に恵まれ、順風満帆に見える生活。
「父の気持ちが余所へ移り出すと、母は精神の均衡がだんだんと危うくなってしまった。他の妃たちもそんな母にきつく当たるようになり……。母は、私に当たり散らす日もあれば、一日中泣いている日もあった。狂気じみてきた母のところへは、父の足は遠のく一方で、それが母の精神をさらに悪くしていった」
レオンはため息を吐き、目を伏せた。
「そんな時、私は母に毒を盛られたのだ。たまたま、側にいたものが気づき、未然に防げたが……」
エマは驚いたが、冷静に話しているレオンに気づかれないように、手をぎゅっと握りしめて平静を装うとした。しかし、握りこんだ手は細かく震えていた。
「なぜ、お母様はそのようなことをなさったのですか?」
伏せていた目をあげ、エマと目を合わせた。やはり、レオンの瞳は冷静で、感情は見えない。
「分からぬ。周りは、私が父によく似ておるからだと申すが、私には母が父を恨んでおったのかさえ分からぬ。母は、あんなに父の来訪を待っておったのに、いつからそのような気になったのかさえ……幼い私は、母のために父に会いに来てくれるよう、ねだりに行ったりなどしたものだ。父さえ来てくれれば、母の具合が良くなると思っておった」
エマが強く握りこんだ手に気づいたレオンが、一本一本ゆっくりと開かせる。
「結局、母とはそれ以来顔を合わせておらぬ。事が父にも知られ、母も王妃としてはおられぬようになった。親が子を殺めようとするなど、外聞が悪すぎるゆえ、母は病気療養の名目で僻地で幽閉される事になった。周りの反対も聞かず、ガイが頑なに母に付き従ったおかげで、晩年はガイと穏やかに過ごしたと聞く」
レオンは殺そうとしたが、ブレイン公は手元に置いていた。やはり、実の兄弟ではないのではないか、ということがエマの頭をよぎる。
「あの、殿下とブレイン公は、本当のご兄弟ですのよね……?」
「似てはおらぬが、本当の兄弟だ。ガイは母に生き写しのようによう似ておる。私は、父の方に似ているそうだ。そのせいで、母は私を可愛がったり、父に見立てて普段言えぬことを叫んだり。なじられた言葉は未だに覚えておる。母は、父に言いたくても言えぬことを私に言っておったようだ」
小さなレオンが、母親に詰め寄られている姿が思い浮かぶ。それは、どんなに辛かったことだろうか、とエマは悲しくなる。そんな中でも母親をよくするために動いていたのに、最愛の母から毒を盛られるなんて……。そんなことを冷静に話すレオンの気持ちはどんなものだろうか、とエマは思う。
「なぜ、あなたが泣くのだ?」
頬に手を当てると、濡れていてエマは驚いた。知らず知らずのうちに涙が溢れていた。
「殿下が、どんなお気持ちだったのかと思ったら、勝手に涙が……」
「あなたが悲しむ必要はない。もう、過ぎたことだ」
そう言うと、大きな手がエマの頬の涙を拭った。嘘。だったら、なぜそんな悲しそうな顔をなさるの。しかし、エマには言葉にすることはできず、ただ涙を流すだけだった。
「気にせずとも良いが、ガイには気を付けよ。あいつは何を考えておるのか分からぬところがある。私たちは母のこともあり、ほとんど一緒に暮らしてはおらぬから、普通の兄弟ではない。あなたのことを母に見立てて心配しているように見えるが……それだけならばよいのだが。まあ、あなたも厄介なところへ嫁がされたものだな」
感情のこもらない声は冷たく感じられるが、エマの頬を撫ぜる手は温かく優しい。
「そんな風におっしゃらないでください。政略結婚といえど、私は殿下とお会いするのを楽しみにしておりましたわ。送っていただいた肖像画を眺めながら思っておりましたもの。この方と夫婦になって、両親のような家庭を築きたいと」
エマの両親も政略結婚ではあるが、お互いを尊重し合っている夫婦だ。幼い頃から両親のようになりたいと思っていた。レオンは、エマの言葉に目を見開いた。
「本当はロレッタ姉様がこちらへ来る予定でした。しかし、落馬事故で顔に傷をおってしまって……。周囲からも美貌で有名でしたし、大きな傷は本人もさぞショックだったと思いますわ。だけど、お姉様は自分のことよりも、私の心配ばかりなさっておいででした」
乗馬が得意で、賢く美しいロレッタ。その得意な乗馬で落馬してしまったのは、不幸としか言いようがなかった。ロレッタが傷を負ったことは、エマたち家族にとっても悲しい出来事だった。
「傷を負ってもお姉様の美しさには変わりはありませんが、やはり輿入れとなると……。それで、私に声がかかりましたの。ただ、周りには不出来な妹が輿入れするのか、と頭を抱えたそうですわ」
くすくすと、エマは故国の大臣たちの難しい顔が、頭を悩ませている姿を想像して笑った。ロレッタであれば、なんでも上手にこなしただろう。美しいと評判な姉姫と、天真爛漫な妹姫。そう周囲から言われていたが、家族からは、呑気ものということだな。と、揶揄されていた。
「先ほど、厄介なところと殿下はおっしゃいましたが、殿下こそ厄介なものを妻になさったのですわ」
そう言ってエマは、にっこりと微笑んだ。それを見て、レオンも口角を上げた。
「自分のことをそのように卑下するものではない。私は、あなたがここへ来てくれて嬉しく思っている」
レオンは頬を撫ぜていた手を、エマの後頭部にまわし、自分の方へ引き寄せて唇を重ねた。エマは、力を抜いてされるがままレオンに寄りかかり、首にしがみついた。




