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氷の王子  作者: 白石美里
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お茶会 3

 王妃の住まう後宮は、王宮の奥深くにある。以前はたくさんの妃たちで賑わっていたそうだ。王の寵愛を競い合う美しい姫君たちで、華やかに彩られていたという。しかし、それは昔の話。カーソン6世が病床ということもあり、今はといえば、王妃であるオレリアと数人の側妃と言われる女性がいるだけだ。再婚とは言え、ラナティア王国では、王に次ぐ権力を持つ。故国の母には、よく話を聞き、王妃に従うようにと言い含められていた。


「どのような方なのかしら…」


 王宮へ向かう馬車の中で、ぽつりとエマは呟いた。


「お美しい方ですよ」


 にこにこと微笑んで答えたのは、エマの向かいに座るエレンだ。見るからにそわそと浮足立っている。王妃のお茶会へ行くと言うと、絶対に自分も付いていきたいと立候補したそうだ。エマのお付きとして、リネット、エレン、そしてお目付役であろう女官長が随行している。


「それだけではなく、とても聡明なお方です。そうはお見せになられないところも美点でございます」


 女官長がエレンの後を継ぐ。うっすらと微笑んでいる彼女を見ると、厚誼を持っているのだろうとエマは思った。エマに対する冷たい視線とは大違いだ。


「そのような方にお仕えすることは、我々にとって喜びでございます。エマ妃殿下にお仕えすることは、王妃陛下にお仕えすることと思っております」


「私もエマ様という素晴らしい主にお仕えできることが、喜びでございますわ」


 すかさずリネットが笑顔を貼り付けて応戦する。それを見て女官長は鉤鼻を鳴らして視線を外した。エマは何てことないような顔をして、聞き流すことにした。意外と冷静にいられることに、自分自身でも驚く。理由は自分でも分かっている。レオンの『私は嫌いではない』という言葉のお陰だ。レオンが自分のことを嫌っていないのであれば、それでいい。一番信頼して欲しい人が、自分の味方になってくれるのであれば、女官長の言葉など聞き流せるとエマは思う。精一杯大人を装ってみる。


「そのような素晴らしい方、お会いするのが楽しみだわ」




 王宮の門をくぐり、さらにその深く後宮にある王妃の私室へ向かう。馬車を降りれば、ロイドの言葉通り豪華な風景が広がっていた。どこまでも続くようなぴかぴかに磨かれた廊下。柱の一本一本に細かい彫り物がされており、窓を見やれば、よく手入れされた庭園で色とりどりの花が咲き誇っている。朝廷を抜け、後宮へ続く廊下。ここを通ることができる人物は限られているというのに、なんて荘厳な光景なのだろうとエマは息を飲んだ。


「もし、これは王太子妃殿下でいらっしゃいますか?」


 廊下を振り返ると、腰に剣を携えた男性が立っていた。立派な身なりから、身分の高さがうかがえる。女官長たちが頭を下げた。


「ブレイン公です。王太子殿下の弟君でございます」


 女官長がエマにそっと耳打ちをした。レオンとちっとも似ていない姿にエマは目を見開いた。漆黒の髪に、射抜くような瞳は同じ色だ。額に垂れ下がる髪は、きついウェーブがかかっている。見上げるほどの長身というのは、レオンと同じだが、彼を包む雰囲気はエキゾチックだ。一度見たら忘れられないような強い印象を受ける。


「まあ、ブレイン公。ごきげんよう」


 エマはドレスの端を持ち、お辞儀をした。婚礼の儀で会っているはずだが、頭に載せた物の重みでレオンの顔さえ見えなかったのだ。もちろんブレイン公の顔など見ていなかった。


「呼び止めるようなご無礼をお許しください。一度、お話をさせていただきたいと思っていたところにお姿が見えたので……義姉上とお呼びしても?」


 柔らかく微笑みながら話すブレイン公が、温和な人柄にエマには感じられた。射抜かれるような切れ長の瞳は、微笑むと印象ががらりと変わる。鋭利な印象から、とたんに親しみやすくなった。


「もちろんですわ。そのように呼んでいただけて光栄ですわ」


「私のことは、気軽にガイとでもお呼びください」


 にっこりと微笑まれるが、そんなに気安く名前は呼べない。エマは曖昧に笑みを返した。


「あの、私たちは王妃陛下のお茶会に招かれておりますの。公はどちらへ?」


「ああ、私は父上のお見舞いです」


「国王陛下のおかげんはいかがですの?」


 ブレイン公は、眉を下げて笑みを作った。


「兄上にも顔を見せるように伝えてもらえませんか。忙しいようですが、きっと兄上のお顔を見れば父上も喜ばれると思うのです」


 国王の病症は思った以上に悪いのかもしれないと思い、エマは頷いた。


「新婚早々申し訳ないですね。ところで、こちらへ来て不自由などはございませんか?」


「ええ、至れり尽くせりで、故国よりも暮らしやすいぐらいですわ」


 十分に満たされた部屋にエマは言葉もないくらいだ。


「要らぬ気遣いのようですね。あの兄上がご結婚されると聞いて、実は心配していたのです。ほら、あの人は、人を寄せ付けないところがあるでしょう。そんな、兄の態度に心を痛められるのではないかと」


 小首を傾げるエマを見て、ブレイン公は目を細めた。部屋ではなく、レオンのすげない態度にエマが悲しむのではないかと、心配してくれていたのかと合点がいった。


「しかし、噂で王宮は持ちきりです。兄が仕事を切り上げて、早々に宮へ帰られる。しかもそれがあなたと過ごすためでは、と。結婚されて変わられたのではないかと」


「まあ」


 なんて答えていいのか分からず、エマは口を手に当てた。そんなことが噂になっているとは、ちっとも知らずにいた。レオンは知っているのかしら、と頭を過ぎったが、例え知っていたとしても動じることなどないのだろうと思い至った。

 しかし、もしその噂通りだったら、とエマは赤面する。自分と過ごすための時間をレオンが作ってくれているのならば、こんなに嬉しいことはないと思う。


「あの兄が、あなたを大切にしているようで安心しました」


 ブレイン公は、エマの真っ赤な顔を見て、目を細めた。そして、ほっとしたような表情を浮かべている。


「もし、何かあったらおっしゃってくださいね。私でよければいつでも力になりますよ」


 そう言うと、そっとエマの手を取り甲に唇を押し付けた。女官長が、そろそろお時間です、とエマに耳打ちをする。


「ご心配ありがとうございます。ブレイン公、そろそろ陛下との約束のお時間ですので、失礼いたしますね」


 ブレイン公はエマの手を離した。


「おお、これは長話をしてしまいましたね。では」


 一礼すると踵を返して、ブレイン公は王宮へ戻って行った。すっと伸びた背中は、颯爽とした騎士のようだった。


「何とも雰囲気のあるお方ですねぇ」


 リネットがため息を吐く。


「王宮でとっても人気のある方ですよ。まだ、ご結婚されていないということもあって、若いご令嬢たちが熱い視線を送っておいでですし。もちろん、私たちのような下々の者にもお優しくて、男女問わず人気ですわ。私こんな間近でお顔を拝見できて嬉しいです」


 鼻息荒くエレンがまくしたてた。


「たしかにねぇ……」


 印象的な顔立ちに、温和そうな物腰。人気があるのはよくわかる気がするとエマは思う。


「妃殿下。ブレイン公とは、必要以上に親しくなされませぬように」


 女官長がぴしゃりと言った。


「あら、どうして?」


 特別、ブレイン公と親しくするつもりはないが、そんなことを女官長に言われる筋合いはないと思う。レオンの弟なのだ。むしろ親しくせねば、失礼に当たるではないか。女官長の不遜な態度に、エマの鼻息も荒くなってくる。リネットとエレンは、心配そうな表情で二人を見ていた。


「王太子妃殿下という、お立場にいらっしゃるからです」


「意味が分からないわ」


「王太子殿下も同じことを申されることでしょう」


 エマとは対照的に、女官長の声は冷静だ。全然納得ができないエマは、さらに口を開こうとした。


「これ以上、私が申し上げることはございません。さ、参りましょう。陛下をお待たせするわけにはいきません」


 話を切り、エマに向かって頭を下げた。エマが動き出すまで、頭を上げる気はないようだ。ダメだと言うくせに、理由を教える気はないらしい。私は、王太子妃ではないのか……と唇を噛んだ。


「この話、殿下に聞いてみますわ」


 レオンも同じ意見ならば、彼の口からでも理由を聞きたいと思う。女官長の頭は下がったままで、エマと視線すら合わせない。まるで、ご自由にどうぞ、と言っているようだ。余裕さえ感じられ、ますますエマはくやしくなる。


「あと、あなたの態度も殿下に言いますからねっ」


 エマは勢いよく王妃の私室へ向かって歩き出した。女官長が動く気配を後ろで感じる。

 告げ口をすると宣言してしまった。これでは、我儘な子供の虚勢ではないか……とエマはこっそりとため息を吐いた。

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