第88話:帝都との別れ
オレたちウルド荷馬車隊が帝都を離れる日がやってきた。
魔竜アグニを討ち取った激戦から、数日が経った朝である。
「ヤマトさま、荷の積み込みは完了しました」
「こっちも完了だぜ、兄ちゃん!」
村長の孫娘リーシャや、村の子ども達から声があがる。
帝都の市場で仕入れた品物の積み込みも完了して、いよいよ出発の時間となった。
今回は村からはウルド産の高品質な革製品や、織物・焼き物などの工芸品を持って来ていた。
帰りは逆に空になった荷馬車に、帝都で仕入れた香辛料・医薬品・鉱物などを満載して帰路につく。
辺境であるウルドの村に貨幣経済はない。大きな街で稼いだ硬貨は、基本的に仕入れで使い切る。
「みんな、また帝都に遊びにきなよ」
「ウルドの子ども達がいなくなると、オバちゃんたちも寂しくなるわ」
「道中も気をつけるんだよ、みんな」
出発前のウルド荷馬車には、市場の他の売り子たちが群がり、別れを惜しんでいる。
ウルドの幼い子ども達は朝から晩まで声を張り上げ、一生懸命に売り子に励んでいた。
その健気な姿に帝都の市場の誰もが、親しみをもってくれていたのだ。
帝都にいる間は小難しい外交交渉に専念していたオレは、そんな帝都の人々の温かい心意気を感じる。
どんな形態の国家でもあっても、住んでいる市民の姿はどこも同じなのであろう。
「じゃあ、オバちゃんたち、またね!」
「お土産、ありがとね!」
そんなヒザン市民の温かい心に触れて、荷馬車隊の子ども達も別れを惜しむ。
自分の家族の姿に、まだ幼い彼らは重ねているのかもしれない。満面の笑みで出発する荷馬車から手をふる。
「よし、城門へいくぞ」
撤収作業と別れの挨拶が終わる。オレは出発の号令をかける。
ここから向かうのは帝国軍専用の城門であった。
◇
ウルド荷馬車隊はヒザン帝国軍専用の城門へたどり着く。
ここは普通の市民や行商人は近寄ることもできない専用の門。周囲には一般市民の姿はない。
事前に用意してもらった許可証を見せる必要がある。
「ウラドおじ様、この度は本当にありがとうございました」
「イシスは愛娘が同然。またいつでも帝都に遊びに来い」
「はい! ウラドおじ様」
この軍事門を通る許可証を発行してくれたのは、帝国の老貴族ウラドであった。オルンの太守代理の少女イシスと別れを惜しんでいる
イシスの実父と旧知の中であるウラドは、イシスのことを昔から可愛がっていた。
ウラドには帝都に到着した当初から世話になっている。外交の根回しや巨竜討伐後の事後処理など、多方面にわたっていた。
第一線を退いたとはいえ、有力貴族であるウラドの権力は健在。現役の軍人時代は厳しいと噂のウラドは、今は目にしわを寄せていた。
そんな老貴族ウラドの先導で、城壁をくぐり抜けて街の外に出ていく。
「イシス殿とリーンハルト卿。そしてウルドの村の皆よ。このたびは本当に世話になったな」
城門を出た人気のない場所で、皇子ロキが待ちかまえていた。
一介の辺境の荷馬車隊を、帝国の皇子であるロキが見送りことは異例である。そこで、ひと気のないこの軍事門で見送ることになったのだ。
「ロキ殿下、こちらこそ。オルンとの友好条約の締結の件、本当にありがとうございました」
「イシス殿とリーンハルト卿には、帝都を救ってもらった恩がある。気にするな」
ロキとイシスは別れを惜しみながら、今後の両国間の友好について語り合う。
巨竜アグニを討伐した功績もあり、貿易都市オルンとヒザン帝国は友好条約を結んだ。しかも対等な立場での平等な友好条約を。
これは両国間の国力差を考えたら、破格の好条件であった。
それほどまでに帝都を救ってもらったことを、皇子ロキは感謝していた。
今回の帝国での騒動でオレたちが汗をかいた甲斐が、これで実ったのだ。
「そして、ウルドのヤマト殿……貴殿にも本当に世話になった」
皇子ロキは最後にオレの挨拶にきた。
これはヒザン帝国式の別れの順番からでいえば、最上級の敬意の証である。一介の平民である身分の自分に対しては、まさに破格の扱いであった。
「気にするな。たいしたことではない」
感謝を述べてきたロキに対して、オレは答える。
自分が成果をだしたことは、バレス探索隊を救助しに向かったことだと。
他の霊獣を倒したことは、身に降りかかった火の粉を払った結果だと説明する。
「そうか……そして、我が帝国の爵位も本当にいらぬのか、ヤマトよ?」
「ああ、ロキ。オレはただの村人であり交易商人だ。それ以上でも以下でもない」
帝都を滅亡の危機からを救った功績で、オレにはヒザン帝国の爵位と勲章が与えられる予定だった。多くの謝礼金や財宝と共に。
だがオレは辞退していた。
そんな手間や財源があるのなら、奮戦をした真紅騎士団の連中に恩賞を与えてやれと。
そして巨竜に果敢に挑み戦死した騎士たち、その家族への補償金を増やしてやれと断ったのだ。
「本当に欲のない男だな、ヤマトよ」
「土産なら荷馬車にいただいた。それで十分だ」
苦笑いをする皇子ロキに答える。
土産はウルド荷馬車隊に、すでに積み込んでいた。
それは黒狼級の霊獣、そして魔人級と魔竜級アグニの残した素材である。
(霊獣の素材か。かなりの量になったな……)
黒狼級の核と硬皮。魔人級の羊角や大鎌。
そして何より多かったのは魔竜級の素材であった。
竜牙や竜鱗・竜爪・竜ヒゲ、そして巨大なメイン核の数々だ。
これらはメイン核を破壊する前に、本体から斬り裂いた部位だった。
(おそらく事前に切断した部位は風化せずに、素材として現世に残る法則なのであろうな……)
もちろんヒザン帝国とオルンの取り分も残してあった。
この大陸の習わしでは倒した霊獣の素材は、止めを刺した者に与えられる。
勇敢な帝国の騎士たちに、オレは心から敬意を表していたのだ。
(霊獣の素材は希少価値が高いと聞く。そういった意味で独占も危険だな……)
とにかく得た素材を元に、新たなる農機具や道具の開発をするのが今から楽しみである。
だが山穴族であるガトンは乗り物にめっぽう。荷馬車で帰郷しても、しばらくは使いものにならないであろう。
「それなら有難く、部下たちの恩賞に回させてもらおう」
「ああ。そういえば、シルドリアとバレスは元気にしているか」
最後の別れ際にロキに尋ねる。
あの二人の姿を、今日はまだ見ていない。目立ちたがり屋な二人にしては珍しいことだった。
「今日は見ていないな。霊獣討伐の怪我は、動けるまで治っていたはずだが……」
同じ帝国軍に所属するロキも知らないという。
ウルド荷馬車隊が出発する日時を、あの二人は知っていたはずだ。
それにもかかわらず姿を見せないのには、なにか訳があるのであろう。あまり気にしないでおく。
そんな会話をしている内に、いよいよ帝都を離れる時間となる。
「世話になったな、ロキ」
「ウルドのヤマト、貴殿は……いや、何でもない。当国こそ世話になった。なにか困ったことがあれば、いつでも文をよこせ」
皇子ロキは何かを言いたそうにしていた。
だが言葉を飲み込み、別れの挨拶をしてくる。
第三皇子とは巨大国家であるヒザン帝国の皇族の一族。うかつな言葉は発せられないであろう。
「ああ、そうする」
こうしてオレたちウルド荷馬車隊は帝都の城門を離れ、帰路の旅路へとつくのであった。
◇
帝都を離れ、西に向かう街道を少し進む。
「ヤマトの兄さま、前方に軍がいます……」
先行偵察をして戻ってきた、ハン族の少女クランから報告がある。
街道を少し進んだ先に完全武装の騎士団が、オレたちを待ち構えていたのだ。