第80話:魔人
人型の霊獣である魔人アグニが、オレの目の前に降臨した。
(漆黒の翼に大蛇の尾、そして長角ヤギの頭部……まさに悪魔といったところか……)
目の前に現れた新たなる驚異を、オレは観察する。
魔人級アグニと呼ばれた人型の霊獣は、まさに神話時代の絵画に出てくるような悪魔の姿をしていた。
かなりの巨躯ではあるが大きさは人に近い。
頭部は異形なヤギで目鼻はあるが、それ自体が生命活動の器官であるかすらも疑わしい異形さだ。
「うっ……」
「うわっ!? なんすか、あの化け物は、ヤマトのダンナ!?」
その時である。
先ほどアグニの放った衝撃波によって、吹き飛ばされた四人が目を覚ます。
騎士リーンハルトと遊び人ラックは目を見開き、異形なアグニの姿に声をもらす。
「ちっ……情けねえことにオレ様たちは、何かの術にかかっていたようだな!?」
「ヤマトよ……アレは何者じゃ?」
続いて帝国の大剣使いバレスと少女シルドリアも目を覚ます。
謎の少年の催眠術……“最愛魅了”にかかっていた事を悔やみながら、異形のアグニに本能的に剣先を向けて構える。
『あれれ? “最愛魅了”が解けちゃったのか? アグニ君は強いけど、手加減ができないから困った子だね』
催眠の虜にしていた四人が意識を取りも出したことに、少年はため息をつく。
だがその顔には相変わらずの余裕な笑みがうかんでおり、戦力差が覆ったことなど、まるで気にしていない。
すぐに魔人アグニを仕掛けてこないのも、絶対者としての余裕なのであろう。
「みんな、油断をするな……」
その隙をついてオレは、他の四人に現状の説明をする。
謎の少年が“霊獣管理者”と名乗り、先ほど五体の狼型の霊獣を召喚し使役していたこと。
目的は不明であるが調査団やオレたちをエサにして、最終的には近隣最大の大都市“帝都”を亡ぼすことを計画していること。
この場で背を向けて退避するのは危険。目の前の魔人アグニを倒し、少年を拘束する必要がある、と自分の見解を伝える。
「バカな……こんな幼い少年が霊獣を使役していただと……」
「信じられないけど……この状況だと事実みたいっすね、リーンハルトのダンナ」
「ああ、そうだな」
生真面目な性格の騎士リーンハルトは信じられない様子であった。だが遊び人ラックの言葉に認識を改める。
融通が効かない騎士ではあるが、オレと行動を共にしてきた経験がリーンハルトを成長させていた。
「“魔人”じゃと……」
少女シルドリアはビクンと反応して、顔面蒼白になり言葉を失う。どんな時でも自信過剰であった彼女が、初めて見せた驚愕の表情である。
「“魔人”か……前にロキから聞いたことがあるぜ……」
そんなシルドリアを横目に帝国の大剣使いバレスは、自分の持っていた情報を手短に話してくる。
ヒザン帝国の皇子であるロキの語った話によると、“魔人”という単語は数百年前に書かれた極秘書物〝ヒザン皇記”に記録があると。
当時、大陸の東半分を統一していたヒザン帝国を、滅亡の寸前まで追い込んだ元凶だと記載されていたと。
故に“魔人”には決して手を出してはいけない……ヒザン帝国の皇族は代々にわたり戒められてきたという。
『へえ、あの時の生き残りの国が、まだ残っていたんだ? やはり下等種の生命力はしぶといね』
バレスの言葉に少年が反応する。
ここから聞こえない距離なはずが、何らかの術でこちらの会話が盗み聞きされているのかもしれない。
『なら今後は徹底的に駆除しないとね。ここの“四方神の塔”を完全に起動させる“魂鍵”を見つけるためにさ!』
少年は自分の玩具を自慢するように雄弁に語り出す。
自分と魔人級の霊獣が一体いれば、この大陸の四分の一を焦土と化すことができると。
帝都はもちろんヒザン帝国すらも亡ぼす力を有していると自慢気に語る。
『でもいくらボクでも、それは魔力の消費がかなり激しいからね。できれば“四方神の塔”を全部起動して、楽々に駆除したいかな?』
少年の言葉は先ほどと同じで、非現実的な内容が多い。
大帝国を亡ぼすとか、“四方神の塔”の起動など、中世風な文化なこの異世界とは、明らかに別世界の単語である。
(だが……事実なのであろうな……)
目の前にいる魔人アグニから発せられ圧倒的な瘴気、それを使役できる少年の存在から、これが戯言ではない可能性が大きい。
目的は推し計れないが相手は本気で帝都を亡ぼし、罪もない市民に危害を加えようとしているのだ。
「き、キサマぁ……先ほどから大人しく聞いておれば、勝手なことばかり口にして……」
その時である。
〝魔人”という単語に反応し、沈黙していた少女シルドリアが声を震わせる。
沈黙を守るべきはずが、怒りが超越してしまったのだ。
「我ら栄光ある帝国を愚弄して……罪のない市民に危害を加えようとは……許せんのじゃ!」
「まて、シルドリア!」
そしてオレの静止も聞かず、シルドリアは駆けだす。
目で追えないほどの蹴り足の速度で、暴言を吐いた少年の場に一気にたどり着く。
まさに神速。
剣速と素早さに特化したシルドリアにしかできない、圧倒的な天賦の踏み込みである。
『へえ、下等種にしては素早いね……でもさ……』
シルドリアの剣先が自分の急所に届こうとした瞬間――――だが少年は余裕の態度で、言葉を発する。
『でもさ、この程度の剣士をアグニ君は“何百人も”駆除してきたからね!』
少年のその言葉と共に、シルドリアの身体は吹き飛ぶ。
魔人アグニが瞬間移動のごとく攻撃をしたのだ。
「うぐっ!?」
苦痛の声をあげる間もなくシルドリアは吹き飛ぶ
身体がくの字の曲がったまま、固い遺跡に叩き付けられる寸前。まだ幼い彼女の身では死に至る衝撃だ。
「ラック!」
「ういっす、ダンナ!」
オレの指示の前に、遊び人ラックは動き出していた。
まるで軽業師のように遺跡の障害を飛び越え、叩き付けられる寸前のシルドリアの身体をキャッチする。
「くっ、すまないのじゃ……」
シルドリアは辛うじて無事であった。
目にも止まらぬアグニの攻撃を、とっさのところで防御していたのだ。
だが想像以上の魔人アグニの攻撃に、言葉を失っている。
「このヤギ野郎が! よくも姫さんを!」
シルドリアの受けた仕打ちに、帝国の騎士バレスが激怒する。野獣のような雄たけびをあげて斬りかかる。
目指す獲物は悪魔の姿を模した魔人アグニ。
「バレス殿、助太刀いたす!」
オルンの騎士リーンハルトも、それに続き斬りかかる。
こうして大国すら亡ぼす魔人級の霊獣との激戦が、幕を上げたのであった。




