第68話:外交
ヒザン帝国の最深部である“帝城”を訪ねる日がやってきた。
「これはウラド卿、ご無沙汰しております! どうぞお通りください!」
「みなの者、元気そうだな」
帝国の老貴族ウラドの所有する馬車は、帝城に向かうまでの検問を通過していく。
馬車内の検査もなく、ぞくにいう〝顔パス”であった。
「大したものだな、ウラド」
「子供の頃から戦場でひたすら剣を振っていた。その結果なだけだ、ヤマトよ」
「そうか」
その馬車に同乗しているオレは、帝国兵から一目置かれているウラドに心から感心する。
老いたウラドは既に帝国軍部の表舞台からは身を引いていた。
それにもかかわらず各所の帝国兵から尊敬の眼差しを受けており、ウラドの人柄とこれまでの実績が肌で感じられる。
「ヤマト様は相変わらず落ち着いていますね……帝城を目の前にしても……」
同じく馬車に乗る少女イシスは、ややこわばった顔で口を開く。
オルンの街の命運を賭けて、これから帝国の外交官との交渉が彼女を待っている。
それを考えると気が気ではないという。
「相手は上級文官だ。皇族が出てくる訳でもあるまい。緊張をする必要はない、イシス」
「なるほど、そんな前向きな考え方もあるのですね……ありがとうございます、ヤマト様!」
オレの言葉に、イシスはハッと何かに気がつく。
恐らくは気持ちの切り替えのコツを、つかんだのであろう
顔色も良くなり、いつもの穏やかな彼女らしい笑みをうかべる。
「相変わらずな男だな……ヤマトは」
「そうか。いざとなったら頼むぞ、リーンハルト」
イシスの護衛である近衛騎士リーンハルトは、そんなやり取りに呆れた表情でいた。
だが腕利きの騎士であるこの男の剣は頼りになる。
万が一に備えて事前の段取りをしているが、他国の最深部では何事もないことを祈る。
ちなみに今日はのメンバーはオレとイシス、リーンハルトの三人で、帝城に向かっている最中だ。
他の村のみんなは帝都の市場で、商売と情報収集を頼んできた。
「我ら帝国の居城を目の前にして、相変わらず豪胆だな。ヤマトは」
「これくらい別に大したことではない」
ウラドはオレたちのやり取りを、感心しながら眺めていた。
二日前の出会いから、この老貴族は何やらオレのことを買いかぶっている。
あのシルドリアと呼ばれた乙女騎士とオレのやり取りが、よほど気にいっていたのであろう。
実際には過大評価だと思うのだが。
「だが今のヒザン帝国の中には厄介者もおる……気をつけるのだぞ、イシスよ」
「はい……ウラドおじ様」
自分の父の旧知の中であるウラドの言葉に、イシスは気を引き締め直す。
そんな何気ない話をしている内に、馬車は停車する。
(いよいよか……)
目的地である巨大な城“帝城”に、ついにオレたちはたどり着いたのであった。
◇
広大な敷地を誇る帝城の一角にある館に、オレたち三人は案内された。
ここは他国との重要な外交を行う専用の場所だという。
老貴族ウラドと分かれたオレたち三人は、その館の一室に通され帝国の外交官と交渉していた。
「これまでの話は分かりました、イシス殿」
「ご理解ありがとうございます」
主に交渉していたのはオルン太守代理の少女イシスと、帝国側の上級文官の男である。
オレと騎士リーンハルトは、テーブルに着くイシスの背後で付添人として立っているだけ。
相手側にも十人ほどの帝国兵が護衛に付いているが、その口は閉じていた。
オレとリーンハルトの武装は館の入り口で預けており、各自一本の護身用ナイフだけが携帯を許されている。
「つまり……これは友好条約締結の検討ですか、イシス殿?」
「はい。貿易都市オルンとヒザン帝国との友好関係を強めたい、というお話でした」
これまでは遠く離れた領土の両者であったために、特に外交交渉の前例はなかった。
だが急速に版図を広げる帝国軍と、都市国家オルンの距離は近まっている。
イシスが帝都に来た今回の目的は、軍事バランスをとるための帝国とオルンとの友好関係の強化であった。
「なるほど……つまり率直な言葉で表すと『大陸西のロマヌス神聖王国の奴らに対抗するために、栄光ある我らヒザン帝国の武力を借りたい』ということですね?」
「いえ……そこまで私は申しておりませんが……」
「こちらでは、そう解釈いたしました」
だが先方の外交官は、こちらの意図を何やら勘違いしていた。
いや……十分に理解した上で『困っているオルンを助けてやろう』……そんな上からの視線で話してくる。
その強硬すぎる相手の態度に、少女イシスは言葉を失っていた。
「では、こうしましょう、イシス殿。この書類に判を押してもらえれば、栄光ある我ら帝国軍はオルンの街の平和を保障いたしましょう!」
「書類ですか……」
帝国の外交官はカバンからスッと一枚の契約書を取り出し、イシスの手元に差し出す。
視力のいいオレは後ろから、その文章をすべて確認する。
(“軍事支援条約”か……用意周到なことだな……)
契約書は有事の際に帝国軍がオルンの街を助けに駆け付ける、という内容だった。
恐らくは老貴族ウラドからイシスの訪問を知らされ、急ぎ作成した書類なのであろう。
帝国主観で一方的とはいえ、良くできた契約条件であった。
「ですが……これは一方的な契約です。オルンを属国にするつもりですか!?」
内容のすべてに目を通した、イシスは思わず声を大きく発する。
その感情の高まりも仕方ない。
相手の外交官が作成した書類は〝支援条約”と聞こえはいいが、実際には一方的な酷い内容であったのだ。
救援を名目にして帝国軍が、オルンの街をいつでも占領できる条件だった。
「はて……何のことでしょうか、イシス殿? 属国などと聞こえが悪いですぞ」
だが相手の外交官は表情を崩さず、イシスに答える。
相手に自分の感情と手札を見せないようにする、狡猾な表情だ。
人間としては油断ならない男であるが、権謀術数が飛び交う外交では有能な文官なのであろう。
「そんな……」
「無理強いはしません、イシス殿。あっ……ちなみにオルンとの外交交渉は、陛下から私が一任されております。つまりは今後もこの方針は、一切変わることはありません」
言葉を失う少女イシスに、相手は更に追撃を仕掛けてきた。
後日に献上品や裏工作をしても、帝国のオルンに対する政策が変わることは決してないと。
(つまりオルンは……帝国の属国になるか・このままロマヌス神聖王国に攻め滅ばされるか・もしくは帝国に攻められるか。その三択しか与えないという事か)
目の前の二人のやり取りを、オレは頭の中で情報をまとめる。
今後の外交に時間をかけて長期戦になれば、都市国家にすぎないオルンは不利であった。
未だに戦乱が続くこの大陸にあって、早急な外交には国の命運がかかっていた。
それもあり太守の愛娘であるイシスが自ら、この帝都に乗り込んできたのだ。
目的はオルンと帝国の友好関係を結ぶことによって、西方から押し寄せるロマヌス神聖王国をけん制するため。
互いの背後に第三国の影があったならば、いくら大国といえども用意には手を出せないであろう外交戦略であった。
だがここでの交渉は劣勢であった。
太守代理である少女イシスは幼いから英才教育を受けてきた、才能と行動力のある少女。
特に内政に関しては市民の声を聞き出し、一番重要な力の入れどころを見抜く才能も持っていた。
だが外交に関しては明らかに経験不足。
相手は権謀術数の修羅場をくぐり抜けて、帝国上級外交官まで登りつめた男である。
この場合はイシスにとって相手が悪すぎた、ともいえるであろう。
「さて、お返事は早めにいただきましょうか、イシス殿? 他国からの使者も待たせており、私も暇ではありませんでね」
「そ、そんな、ことを言われても……」
急かされて頭が真っ白になってしまったのであろう。
イシスは言葉を失ってしまった。
続く言葉が出てこない。
どうやら今日の交渉は……帝国とオルンの交渉は終わりであろう。
成果でいえばオルン側の敗北。
「イシス、交渉は終わりだ」
目の前で交渉の席に着いてイシスの肩に手を置き、オレは宣言する。
使者としてのイシスの今回の役割は終わったと。
「ヤマト様まで……そんな……」
「ヤマト、貴様! イシス様に向かって無礼な!」
まさかの言葉にイシスは悲痛な表情をうかべ、騎士リーンハルトは怒りの感情をオレにぶつけてくる。
“北の賢者”として助け舟を出してくれるはずの男の、味方に対しての冷酷な言葉に対して。
「おやおや……仲間割れですか? 失敗をしたからといって、これは喧嘩はよくありませんよ」
いやらしい笑みを浮かべながら帝国の外交官は、そんな様子を眺めている。
二枚舌と駆け引きで成り上がってきた男にとって、相手側の仲間割れは〝最高のご馳走”なのかもしれない。
「勘違いするな、イシス。 『こんな帝国の奴ら相手の交渉に意味はない』と言ったのだ」
「えっ……ヤマト様……」
「ヤマト……お前は……いったい……」
オレは説明する。
大陸の今後の大いなる情勢を読めずに、私利私欲の戦略しかとれないヒザン帝国に、こちらから友好関係を求める必要はないと
今は勢いがあるかもしれない。だが〝重大な弱点”を修正できないる国の将来は明るくないと。
「き、キサマぁ……商人風情の分際で……栄光ある我ら帝国を侮辱してぇ……」
テーブルの向こう側にいた帝国の外交官は、声を震わせていた。
先ほどまでポーカーフェイスで隠していた顔は、怒りで真っ赤に染まる。
恐らくはこれがこの男の本性なのかもしれない。
「どうした顔色が悪いぞ?」
「なっ……なっ……」
この程度のオレの言葉で冷静さを失うとは、外交に携わる者としてはまだまだである。
日本で社会人として働いていたオレから見たら、未熟以外の何物でもない。
「不敬罪だ……許さん……お前たち、コイツらを斬り捨てろぉ!」
室内に待機させていた帝国兵に、男は次のような命令をくだす。
オルンから来た田舎者は交渉が決裂して、半狂乱となった。
そして護身ナイフで無防備な帝国外交官に襲いかかってきた。
ゆえにオルンの者たちを正当防衛で皆殺しにしたと。
「殺せぇ!!」
「……はっ!」
半狂乱となった外交官の言葉に、帝国兵たちは実直に従う。
支離滅裂な命令であるが、上級文官である上官の命令には決して背けない。
「これも命令……悪く思うなよ……」
十名を超える兵たちは次々と長剣を抜き、鋭い剣先をこちらに向けてくる。
一方でこちらの戦力は、小さなナイフしか持っていないオレとリーンハルトの二人だけ。
非力な少女イシスは戦力として数えられない。
(帝国兵か……かなり鍛えられているな……)
唯一の逃げ場である出入り口も閉ざされ、オレたち三人は完全に包囲されてしまった。