第66話:帝国貴族
帝都貴族街の屋敷にたどり着いたオレは、暗闇に潜む異質な殺気に護身ナイフを構える。
獣の死骸から漂うような死臭が、暗闇の奥から流れてくる。
「リーンハルト、前もこんな感じだったのか」
「いや……こんな〝化け物”はいなかった……」
腕利き騎士であるリーンハルトも、その異質な存在に気が付いていた。
暗闇に傭兵剣を向けながらリーンハルトは、数年間にこの屋敷を訪れた時のことを話す。
確かにここの主は変わり者であるが、このような異常な対応はなかったと。
もしかしたら変装している自分たちを、不審者と勘違いしているのかもしれない。
「ウラド様、イシスでございます! 約束通り伺いました!」
リーンハルトの背後にいた少女イシスが、誤解を解くために屋敷の奥に向かって名乗る。
自分たちは不審者ではなく、ウラドと呼ばれるこの館の主と面識がある者だと。
「タウラス……その者たちを通してもよい」
「…………」
屋敷の奥から美しい声が流れてくる。
その命令に反応して〝人ではない殺気”は、スッと暗闇の奥に消えてゆく。
恐らくは自分たちに対する誤解が、解けたのであろう。
「よし、行くぞ」
「はい、ヤマト様」
先ほどの異様な殺気がいったい何だったのか、見当もつかない。
だが躊躇して止まっていたら、何も始まらない。
オレたち三人は薄暗い裏門から、建物へと向かうのであった。
◇
広い中庭を通り抜け屋敷に到着したオレたちは、玄関で待機していた執事に案内される。
紳士的な執事は礼儀正しく、特に怪しいところもない。
「お客様、こちらが当家の主の部屋でございます」
豪華だが飾り気のない屋敷の中を進み、目的の人物がいる広間へとたどり着く。
先ほどの裏口の異様な感じとは違い、歩いてきた館の中は普通であった。
無口だがよく訓練された執事や侍女が、何人も仕えている大きな貴族の館。
帝国の貴族の基準は分からないが、かなりの上級の地位にあるものだと推測できた。
「失礼いたします、旦那さま」
「おう、入れ」
部屋の中から低い男性の声がする。
オレたち三人は執事の空けた扉から、応接間と思われる室内へと入っていく。
部家の中には一人の初老の男が出迎えていた。
「ウラド様、ご無沙汰しております。オルンの街の太守ハジンの娘イシスでございます」
「久しぶりだな、イシス! すっかり大人の女性らしくなったのう」
「いえいえ、まだまだ若輩者であります」
オレの隣にいた少女イシスは前に出て、室内の中央にいた初老の男に挨拶をする。
相手の男は気さくな口調であるが、イシスは太守令嬢として節度のある言葉を使っていた。
今のところは相手には、敵意はないように見える。
(この男がウラド卿か……イシスの父親ハジンの友であり、帝国の大物貴族……)
部屋の入り口付近で待機しながら、オレは初老の男をそっと観察する。
ウラドはパッと見は身なりのいい貴族である。
足運びから恐らくは、武人として実戦をくぐり抜けてきた騎士貴族であろう。
年老いた今は戦場から身を引き、ここ帝都でゆっくりと暮らしているように推測できる。
(だが……何か……違和感があるな……)
言葉では上手く説明はできないが、ウラドは〝不思議な気配”を隠している。
孫娘のような年頃のイシスと、挨拶を交わし笑みを浮べている老人。
だが何やら本性を隠しているようにも、オレは感じる。
騎士リーンハルトが言っていたように、一筋縄ではいかない人物なのかもしれない。
イシスとウラドは久しぶりの再会を懐かしんでいた。
「……ウラド様は……今は来客中であります……」
その時であった。
背後の廊下から、先ほどの執事の声が聞こえてくる。
どうやら扉の向こうから、他の誰かがこの部屋に入って来ようとしているようだ。
オレたちがいるので、執事はそれを静止している。
「いけません……ウラド様に叱られてしまいます……」
だが執事の静止は無視された。
フッと人の気配を感じる。
「爺、入るよ!」
乱暴にバタンと扉が開き、その甲高い声と共に人影が姿を現す。
静止する執事を無視して、応接室に何者かが入り込んで来たのだ。
「シルドリア様……お部屋で待つように言ったはずじゃが」
先ほどまでイシスと楽しそうに話をしていたウラド卿は、新しい来訪者に苦い顔をする。
口調から老練なウラドの方が、身分的には下であることが伺えた。
「ふん。何やら面白そうな奴らを、妾も見に来たのじゃ」
その勝気な口調の人物は、真っ赤な騎士ドレスを着た少女であった。
貴族令嬢の持つ扇で口元を隠しながら、小悪魔のような笑みを浮べている。
小柄でか弱い貴族令嬢に見えて、その腰には武人の証である騎士剣が下げられていた。
帝都に来る道中でリーンハルトから話に聞いていた、帝国軍特有の〝乙女騎士”なのであろう。
その乙女騎士はゆっくりとオレの目の前に近づいて来る。
燃えるような赤い髪が特徴的な美しい少女だ。
「特に……商人風情な分際で……妾のタウラスちゃんの殺気に、怯まなかったお主じゃ!!」
「きゃっ……ヤマト様!!」
シルドリアと呼ばれた少女がいきなり引き起こした光景に、イシスの悲鳴が室内に響き渡る。
〝待て”
涙目になる少女イシスと、剣の柄に手をやる騎士リーンハルトを、オレは大丈夫だと手で制する。
(抜刀術か……凄まじい速さだな……)
オレは流血しながら心の中で感嘆する。
いつの間にか抜剣された乙女騎士シルドリアの剣先が、オレの喉元からうっすらと血を流させていたのであった。