第51話:その後のうごき
少女イシスを助け出したオレは、オルンの街に戻って来た。
誘拐の事実は市民には極秘である。
情報漏洩を避けるために騎士団専用の城門から、近衛騎士リーンハルトの先導でイシスを届けに太守の館へと行く。
「イシス様!」
「よくぞ、ご無事でイシス様!」
オルン太守府の幹部たちが、太守代理であるイシスを出迎える。
長年にわたって仕えてきた彼らにとって、イシスは我が子のように可愛い存在。
貴族商人ブタンツに睡眠薬を嗅がされて誘拐されたイシスであったが、特に外傷もなくなく無事であった。
「“風来坊のヤマト”様でしたか。このたびは本当にありがとうございました!」
「単騎で帝国騎士団を中央突破して、イシスお嬢様を助けていただいたとか!? 本当すばらしい武人でございますな!」
オルン太守府の重鎮幹部は、英雄であるオレに最大の称賛をおくってくる。
ちなみに口元に布で隠し“風来坊のヤマト”と身分を変えて、オレは名乗っていた。
「偶然に居合わせて助けただけだ。別にたいしたことではない」
このオレの言葉は作り話。イシスを助けたのは自分の個人意思だ。
市場いたオレに会いに来たタイミングを狙われて、少女イシスは誘拐された。
敵対する帝国軍の間者が街に忍び込んでいたにも関わらず、“三個の礼”最後の一つを見せようと駆けつけた時だった。
ゆえにイシスを助けたのも、責任感でオレが勝手におこなったことだ。
(変装は完璧だった……今後の心配もないだろうし……)
変装していたオレたちの正体は、帝国軍には知られていないはずだ。
大剣使いバレスと皇子ロキのあの時の様子では、ブタンツを殺されて逆恨みでオルンに復讐してくる様子でもなかった。
(むしろ……"ブタンツを消すのにオレは利用された”……かもしれないな)
罪人となったブタンツであったが、貴族商人としての財力と権力はかなりのものであった。
この大陸の商人は金貸し業もしており、財力に物をいわせて王族にもかなりの発言力がある。
国王や皇帝であっても、うかつに貴族商人を裁けないのが現状。
もしかしたら、あの混沌とした状況を利用したのはオレだけはなく、先方の帝国側もだったのかもしれない。
イシスを助けるのを見逃して、邪魔なブタンツをオレに始末させたことが。
(皇太子ロキか……)
隙の無い危険な青年であった。
大陸の東部を制し、領土拡大を進めているヒザン帝国の皇太子。
剣士としての腕だけではなく、策士家としてもかなりの切れ者なのかもしれない。
「ヤマト殿! この後によかった、この太守の館で祝宴でも、いかがですか!?」
「これまでの武勇伝もぜひお聞かせください」
無事に帰還したイシスのねぎらう酒宴を開催すると、オルン幹部はオレを誘ってきた。勇猛果敢にお嬢を救い出した宴の主役として。
「すまないが用事がある」
イシスを助け出してくれた御礼も意味もあったのかもしれない。
だが激戦につぐ激闘で、さすがのオレも満身創痍。
身体に怪我はないが、大剣使いバレスとの戦いはそれほど激しいものであった。
「では失礼する」
村長の孫娘リーシャや村の子供たちが待つ常宿に戻り、ひと晩ゆっくり休養することにする。
◇
次の日になり今回の事件の事で動きあった。
なんとオルンの街に"ヒザン帝国 皇子ロキ”の名で使者が来たのだ。
『今回の事件は商人ブタンツが単独でおこなった愚行。ゆえに当ヒザン帝国は一切の責任は負わない』
そんな感じの正式書面であったという。
貴族商人ブタンツの爵位は事件の数日前に、皇帝により剥奪されていた事になっている。
ゆえに今回は"一介の商人”が起こした単独事件であるという責任転換。
『だが……太守代理イシス殿へ、心からの見舞金を送る』
皇太子ロキからの使者は最後にその言葉をつけたし、多額の見舞金をオルンの街に贈呈してきた。
それはかなりの額であり、帝国の無責任なやり方に激怒していた、オルン太守府の溜飲を下げる効果もあった。
「……という訳だ。ヒザン帝国としては『まだオルンと戦をするつもりはない』という意思表示なのだろう」
わざわざオレに報告しに来たのは近衛騎士リーンハルトである。
イシスを迅速に助けるために一度は近衛騎士を退団したが、主を助け出した恩賞とし無事に復団していた。
「だが、帝国軍はいずれくる」
「ああ、そうだな」
リーンハルトの予測にオレも同意する。
あの時に対峙した皇子ロキという青年の瞳には、野望の炎が宿っていた。
才能がありながらも決して慢心せずに、自分の覇道を進もうとする危険な青年であった。
地理的に帝国はまだオルンの街には侵攻はしてこないであろう。
だが数年後には必ず"大陸制覇”の目的のために、帝国は軍をここまで進めてくる。
"その時”がきたら、オルンの街の北方にあるウルドの村にも、何らかの影響はあるに違いない。
「今後も油断はできないな」
「ああ」
リーンハルトからの帝国関係の報告が終わる。
「あと貴殿……ヤマトの申請していた"ウルド商店”の認可がおりた」
「それは助かる」
これはウルドの民として、オレがオルン太守府に申請していたものだ。
オルンの市場にほど近い裏路地に空き商店があり、そこに店舗型のウルド商店を出す許可の申請していた。
「ヤマト……お前は太守代理の命の恩人だ。望むならば"大通りの大商館を与える”とイシス様も言っているぞ」
「イシスを助けたのはオレ個人の意思だ。気にするな」
余計な恩賞は“風来坊のヤマト”からの足がつくので、不必要であった。
それにウルドの村の生産能力はまだ高くはない。
最近になりようやく食料や生活物資の生産が安定してきたばかりだ。
大きすぎる箱は必要なく、裏路地の小さな商店くらいが丁度よかった。
「本当に欲がない男だな、お前は……ヤマトは……」
「『長者富に飽かず』だ……オレの国の格言で、"人間の欲望には限度がなく危険”だ」
「お前らしい言葉だな、ヤマト」
オレの年寄り染みた格言に、リーンハルトは苦笑いする。
最初に出会った時はこんな柔軟な表情をする騎士ではなかった。剣の腕はたつが、融通はきかず堅物なイメージがあった男だ。
もしかしたらイシスのために"近衛騎士”という重い身分を捨てたことにより、何かが吹っ切れたのかもしれない。
騎士として太守府の幹部としても、まだまだ成長していきそうである。
この様子なら危険な立場にある太守代理イシスのことを、もう任せても大丈夫であろう。
「お前のことを少しは認めてやる、ヤマト。だが、剣士として……"男”として負けたつもりはないからな!」
「誰かと競い合うつもりはない。それにオレは剣士ではなく、ただの村人だ」
「ああ……そうだったな。だがイシス様に誓って、お前にだけは負けるつもりはない!」
「勝手にしてくれ」
この辺の頑固さはリーンハルトは変わっていかなった。
オルンの街にウルド商店を出すこともあり、今後もこの騎士には何かと世話になる。
次に街を訪れた時の再会の約束もしつつ、リーンハルトとの話は終わった。
◇
ウルド商店の物件契約も無事に完了し、事前準備も進んでいく。
あとは一度村に戻ってから商品の選定をして、ウルド商店は本格始動となるであろう。
――――こうしてイシスを救い出してから数日が経つ。
そしてオレたちが、いよいよウルドの村に戻る朝がやってきた。