第50話:真紅の騎士
帝国の貴族商人ブタンツに、オレは少女イシスを人質に取られてしまった。
「ヤマトさま……申し訳ございません……」
イシスは悲痛な声をあげる。
拉致された馬車内で意識と取り戻したと思ったら、いきなりブタンツに拘束され人質とされていた。
目の前の状況から『ヤマトが自分が人質となった原因で脅されている』ことを把握していた。
「おい、ブタンツ! オレ様の楽しみの邪魔をするな!」
「ふん。ロキ殿下から『帝都に戻るまでワシの命令を守れ』と書面で命令されていたはずだぞ。バレス卿よ!」
「ちっ……そうだったな」
ブタンツの命令に大剣使いバレスは顔をしかめる。
この事から二人は同じ帝国に属しているが、明確な主従関係ではないことが伺える。
か弱い少女を人質にとるブタンツの卑劣な行為に、バレスは激怒していた。
だが『ロキ殿下』という人物の名が出た瞬間に、嫌々ながらも命令に従っている。
バレスほどの勇猛を誇る騎士が、絶対的な忠誠を誓う“ロキ”という名の者。それだけでかなり人物だと推測できる。
「バレス卿、今のうちにその賊を切り刻め……ブッヒヒ」
メイン武器である二対のナイフを放棄したオレを殺すように、ブタンツは大剣使いに指示をだす。
(くっ……この状況はこちらに不利だな……)
ブタンツはイシスの喉元にナイフを当てて、後ろに身か隠している。
この距離と立ち位置では、オレがマントの下に装備している弩で、ブタンツだけを狙撃することは難しい。
「ヤマトさま! 私のことは構わずに逃げてください」
人質となっているイシスは、更なる悲痛な声をあげる。自分のことを気にせず、一人でこの場から逃げてくれと。
「それは無理な頼みだ」
「えっ……」
「お前のことはオレが必ず助け出す……そう皆に約束したからな」
「ヤマトさま……」
オレの思わぬ返事に、イシスは言葉を失っている。この劣勢な状況でヤマトが自分の身を案じているとは、思ってもいなかったのだ。
「助け出すだと!? き、キサマ! この小娘の命が惜しくないのか!?」
オレの反応にブタンツは顔を真っ赤にして激怒する。
全身を怒りに震わせて、今にも刃先をイシスの無防備な喉元に突き立てん勢いだ。
(くっ……仕方がない“奥の手”を使うか……)
イシスの窮地にオレは意を決する。大剣使いバレスを倒すための布石の“奥の手”を、ここで使うことを。
ここでブタンツに使ってしまったら、同じ手はバレスには通じなくなる。
だが窮地のイシスを助けるためには、オレは出し惜しみはしていられなかった。
◇
「ん!?」
その時であった。
疾風のように駆け抜けてきた気配に、オレは反応する。
草原の丘を飛び越え騎馬と共に、何者かがこの場に飛び込んできたのだ。
「ブタンツ卿、そこまでだ」
美しくも精悍な声が、草原に響き渡る。
その声の主は真紅の鎧をまとった一人の騎士であった。
(バカな……帝国の騎士団が到着するのには、まだ時間がかかるはず……)
内心でオレは驚愕する。
東の方角から進軍していた帝国軍は、まだかなりの距離があったはず。
それなのにこの真紅の騎士は、オレの予測をはるかに上回る馬脚で駆けつけてきたのだ。
(乗っている馬の能力……そして、この騎士は“できる”……)
真紅の騎士は見事な毛並みの馬に騎乗していた。
恐らく一日に数百キロを駆け抜けるハン族の馬と、同じくらいの名馬なのであろう。それでオレの予想を上回って到着したのだ。
さらには騎上から発する覇気から、この騎士がかなりの腕利きであることが分かる。
先ほどまで剣を交えて大剣使いバレスと堂々……もしくは、それ以上の可能性もある。
「ロ、ロキ殿下……な、なぜこんな辺境に……」
真紅の騎士の登場に、ブタンツは言葉を失っていた。
先ほどまでの勝ち誇った高揚感はすでにない。
逆に顔を真っ青に染めて、今にも倒れ込みそうな顔色である。
("ロキ殿下”……つまりは皇帝の血族か……)
殿下とはこの場合は『皇帝に対する陛下より下位の者への敬称』。
つまりはこのロキという騎士は、皇帝の血を引く高位の者であることが分かる。
ブタンツの言葉の通りに、後続の護衛を振りきって"たった一騎”で駆けつけるのは異例である。
「ブタンツ卿、貴様に急用があり来た。貴様への諜報資金着服と勅命文章偽造などの重罪が判明した。それで"貴族懲罰権”のある私が、こうして直々に来たのだ」
「なっ……そ、そんなばかな……」
言い訳の言葉を遮りロキは続ける。
貴族商人ブタンツがこれまでに犯した罪の証拠の書類を、騎上から指し示す。
"オルンの街の潜入工作”と称して、私腹を肥やすいくつもの悪事を働いていたと。
そして今回も"太守代理の少女を誘拐する”という独断行動で、帝国の外交政策に汚点を残す罪だと勧告する。
「ふーん、どうりでおかしな命令だと思ったぜ。このブタ野郎が」
大剣使いバレスは鬼の形相でブタンツを睨み付ける。
証拠によるとバレスがオルンの街に召集されたのも、ブタンツの偽造したのだ。
「ブタンツ投降しろ。父上……皇帝陛下から貴様の処分命令も受けている」
「なっ……なっ……そんな……」
その会話から、このロキという青年がヒザン帝国の皇帝の実子である情報が得られた。
ロキは腰から剣を抜き、怯えているブタンツへ剣先を向ける。
投降を拒否すれば、この場で今すぐに首を切り落としてしまう勢い。
これが恐らくは"貴族懲罰権”という特別な裁断権利なのであろう。
「オルンを……オルンさえ落とせば……ワシの罪も……この小娘さえいなければ……」
追い詰められたブタンツは、口をパクパクさせて混乱の境地に達していた。
目の前で拘束して人質にしているイシスに、いきなり血走った眼と刃先を向ける。
「血迷ったかブタンツ!」
「ちっ!」
凶刃を無防備な少女に向けたブタンツに、ロキは叫ぶ。
これ以上の罪を重ねるなと。
オレを剣先でけん制していたバレスも、舌打ちをしてそちらに意識を向ける。
(よし……今だ!)
その絶好のタイミングを狙い、オレは行動を起こす。
首に下げていた小さな笛を口にくわえ、メロディーを奏で駆けだす。
人には聞こえない周波数の笛の音が、草原に鳴り響く。
「ヤマト、テメェ!?」
オレに剣先を向けていたバレスの反応が、一瞬だが遅れる。
ブタンツの奇行に意識を向けていた分だけで、こちらに反応できなかったのだ。
「“王風”!」
イシスとブタンツのいる方向に駆けだし、オレはその名を呼ぶ。ここまで取っておいた"切り札”の名を。
オレの"馬笛”に反応して突然、漆黒の巨大な影が飛び駆けてきた。
「ひっぃ!?」
丸太のような馬脚に踏み潰されそうになったブタンツは、腰を抜かして悲鳴をあげる。
「ハン馬!?……こいつはスゲエのが来たな!」
大剣使いバレスは巨馬“王風”の登場に笑みを浮べる。これほどの見事な名馬は、そうそう見られたものではないと、感動すらしていた。
「いくぞ、王風!」
バレスを振りきりオレは“王風”に飛び乗る。
鞍や手綱を嫌がる誇り高き王なる馬であるが、その背中は頼もしいほど広い。
「イシス!」
トップスピードのまま、拘束を解かれた少女イシスに駆け寄る。
位置的に帝国の二人の騎士が間に合わない、絶好のタイミング。このまま彼女を抱きかかえて、オルンの街まで一気に退却する。
「ブヒャヒャ! 生かして逃がさんぞ、小娘がぁ!」
「キャッ!?」
発狂したブタンツは手元のナイフで、イシスの突き刺そうとする。
ここまま帝都まで拘束されたなら、貴族商人としての自分の身分と命は絶望的。ならば一人でも多く道連れにするつもりだ。
「イシス、屈め!」
そう叫び、オレは装備していたウルド式・弩の引き金をひく。
自分用に強化してある弩から発射された矢は、狂人と化したブタンツの急所を一撃で吹き飛ばす。
「イシス!」
「ヤマトさま!」
そのままの勢いで自由になったイシスを抱きかかえ、“王風”の騎上に招き入れる。
(よし……"奥の手”の作戦は上手くいったな……)
この場にいる二人の帝国の騎士との距離は十分。このまま西のオルンの街まで全力疾走で退却である。
二人乗りとはいえ王風の馬脚に敵うものはいないであろう。
「私の名はロキ・ヒザン。貴殿の名を聞こう」
真紅の鎧をまとった騎士……皇帝の実子ロキは、真摯な眼差してオレに名を訪ねてくる。
その姿には高貴でありながらも、絶対者としての覇気もある。
「オレはヤマト。ただのならず者だ」
「“ヤマト”か……覚えておこう」
「おい、ロキ! そいつはオレ様の獲物だ。横取りはよくないぜぇ!」
「学院同期といえども譲れないモノもあるのだ、バレス」
帝国の二人の騎士は『ヤマトの倒すのは早い者勝ち』だと言わんばかりに互いにけん制し合う。
両者とも凄まじい腕利きの騎士。
つい先ほどまで命をかけて剣を交えていた相手だが、不思議な魅力のある騎士たちである。
「すまないがオレは“普通”の庶民だ。もう会うことも無いだろう……はっ!」
オレは“王風”に声をかけて退却を命じる。
もたもたしていると、東の方角から数百騎の帝国の騎士団が到達してしまう。
「ヤマト、また会おう……」
少女イシスの救出は無事に成功した。
だが駆けだしたオレの背中に、帝国皇子の危険な再会の約束が聞こえるのであった。