第19話:動き出した農業改革
春の日差しがウルドの村を暖かく照らしている。
オレと村長の孫娘リーシャは、村外れにある水田の様子を見に行くことにした。
「田んぼの水は順調に張られているな」
「これが“田んぼ”なのですね、ヤマトさま」
「ああ、人の手で作り出したイナホンの水田……それが"田んぼ”だ」
「なるほどです」
目の前には水が入った水田が広がっていた。
四角形に等間隔に区切られた光景は、まさに日本の田んぼと同じである。
(異世界に田んぼか……本当に不思議な組み合わせ。だが、懐かしいな……)
あり得ない組み合わせの光景に、心の中で感慨深くなる。
ここは昨年の秋からオレが計画を立てて、村人たちに開墾させた場所だ。田植え前に水が入り完成した光景は、なんとも言えない郷愁感である。
「これは……ヤマト殿にリーシャ嬢。こんな村外れまでわざわざ巡回ですか」
「ああ、水田と"苗”の状況を確認に来た」
水田の管理を頼んでいる老人のひとりが声をかけてくる。彼らには主に水の管理やイナホンの苗の生育を任せていた。
老人の案内で苗小屋へと向かう。
「ほう……順調に苗は育っているな」
「へい、ヤマト殿に言われたとおりに、ここの気温に気を配ってましたぞ」
「田植えまで引き続き頼むぞ」
「へい」
イナホンの苗小屋の状況を確認して指示をだしておく。特に気温に関しては細心の注意が必要だ。
「これが“苗”なのですね、ヤマトさま」
「ああ。もう少し大きく育ってから、これを水田に植えていく」
「たしか種で直に植えるよりも、こちらの方がたくさん身を付けるのですね」
「オレの計算では昨年の二倍以上の収穫があるはずだ」
「あれの二倍の収穫量ですか!……さすがはヤマト様です」
種による直植えの知識しかないリーシャは驚いていた。
現代日本では常識となっている苗式田植えは、この世界では誰もやっていない革命的な農業方法なのだ。
(昨年の秋から試行錯誤してた作業が、ようやく実を結ぶな……)
オレが村で行っている農業革命は苗作だけない。
その中で大きな結果を出したのは、野牛による耕運作業だった。
野牛はオレが森の中で捕獲してきた、野生の大きな牛である。
本来の気性は大人しいが、その巨体でいったん暴れだしたら巨熊すらも撃退する危険な牛。
その野生の野牛を何頭もオレは捕獲して、村で飼育させていた。人の手からエサを与えられた野牛は従順に働いてくれる。
(想像上の馬力があったな……)
オレが設計して老鍛冶師ガトンが製作した牛耕用犂という農機具がある。それを引っ張らせて荒れ地の開墾に役立てた。
普通の牛の数倍の馬力をもつ野牛のおかげで、村の畑の土は肥料とよく混ざり豊かに耕され、荒れ地もこうして見事な水田へと進化していた。
村人たちがその時に受けた衝撃のイメージとしては、『強力なトラクターが突然辺境の村に現れた』その位はあったであろう。
「苗の育成に、肥料の配合、雑草の対処など……本当にヤマト様は何でもご存知なのですね。本当に凄いです……」
「土いじりは嫌いではなかったからな」
リーシャの尊敬のまなざしを謙遜で軽く流す。この謙遜は大げさでもなく本当のことだ。
オレが村で行っているこれらの改革は、現代日本では当たり前のことにすぎない。むしろ文明度的に近い江戸・明治時代の農業技術を真似してるだけにすぎない。
彼女が凄いと感じるのは、この異世界の農業文化が遅れているからだ。
いや、もしかしたら日本の勤勉な偉人たちが凄かったのであろう。心の中でオレは彼らに感謝する。
苗小屋を出て村の巡回を続ける。
「あっ。ヤマト兄さま、それにリーシャさま。こんにちわです」
そんなオレたちに声をかけてくる少女がいた。リーシャよりも少し年下の女の子だ
「水田の様子を記録していたのか」
「はい。ヤマト兄さまに言われたとおり、絵と文字で記録をしていました」
声をかけてきたのは絵描きの少女であった。この子は他の村の少年少女に比べて身体が強くない。
だが、職人だった両親の影響で、幼いころから絵を描くのはかなり上手い。それで昨年から書記として村の作業の記録を指示していた。
「紙はまだ沢山ある。足りなくなったら言え」
「はい。いつもありがとうございます、ヤマト兄さま」
オレが日本からも背負ってきた登山用大型リュックには、大学ノートやスケッチブックも沢山入っていた。今のオレに使い道のないこれらのノートやペンを、この少女に与えている。
ちなみに『ヤマト兄さま』と呼ばれているが、全くの赤の他人だ。
他の村の子供たちが『ヤマト兄ちゃん!』と呼んでいるので、それを彼女なりに丁寧に呼んでいるのだ。オレには妹などいない。
「ヤマト様の紙は、いつ見ても信じられないくらいに真っ白で美しいですね」
隣にいたリーシャが改まって感動している。絵描きの少女のノートの品質に驚愕しているのだ。
「そんな“白い紙”が珍しいのか?」
「はい、普通は羊皮紙や木の皮などです。昔、行商人が見せてくれた紙はもっと荒く汚く、しかも法外に高額でした」
「……なるほどな」
村長の孫娘リーシャの説明は納得のいく部分もある。
日本は木の文化で、紙や和紙とも歴史的に馴染みが深い。中世風なこの大陸では、おそらくまだ製紙技術は発達していないのであろう。
だが、これはチャンスであった。オレはアイデアが浮かぶ。
「今度、村でも"紙”を作ってみるか」
「えっ! 紙をですか……」
「ここまで真っ白な紙は無理だが、和紙ていどならオレでも可能だ」
「紙も作ることが出来るのですね、ヤマトさまは……」
「凄いです、ヤマト兄さま」
二人の少女は感動しているが、これは別に大したことではない。
自称冒険家であった両親の影響もあって、オレは日本で和紙作りの経験が何度かある。
森の中でちょうど和紙に適した樹木も見つけていたし、道具に関してはそれほど複雑ではない。
清らかな水が豊富なウルドの村では、きっと上質な和紙が作ることができるであろう。
もちろん道具に関しては、老鍛冶師ガトンとその孫たちに作らせる。
「ん……噂をすれば何とやらだな」
その時であった。
村の中心部からオレの名を呼びながら、こちら向かってくる人影ある。
「ヤマト小僧の兄ちゃん! ここにいたの」
「どうした、ガトンのジイさんの使いか?」
オレを呼びに来たのは山穴族の少年だった。オレを『小僧の兄ちゃん』と呼ぶのはこいつらだけだ。
老鍛冶師ガトンの双子の孫のうちの一人で、こいつも鍛冶師見習いだ。出不精なガトンの代わりに、よく使いとしてオレを呼びに来る。
「うん! えーと、『リーシャの嬢ちゃんの“例の弓”が出来たから試し射ちするぞ』だってさ。たしか」
「そうか、今から広場に行くと伝えろ」
「うん、じゃあ、ジイに伝えておくね」
そう言い残し、山穴族の少年は自分の工房へと走っていく。相変わらず元気なヤツだ。
「ヤマトさま……“例の弓”というのは……」
「ああ、ガトンのジイさんに頼んでおいたリーシャのだ」
「ついに完成したのですね……」
「最終調整もある。広場に戻るぞ」
「はい、ヤマトさま!」
こうしてオレとリーシャは巡回を終えて、村の広場に戻ることにした。
狩人であるリーシャのために、オレが特別に設計した長弓の出来栄えを確認するために。