エピソードその1:異世界での一年目の冬
これはヤマトが異世界に転移して、ウルドの村での最初の冬の話である。
◇
季節は真冬。北方の山岳地帯にあるウルドの村に、厳しい季節が訪れていた。
雪の積もる冬の間は、野外での農作業や狩りには向かない。村人たちは室内で糸を紡ぎ、工芸品の内職に勤しんでいた。
地道な作業であるが、雪解けの春に向けて大事な仕事。老人と孫たちは伝統的な技術を継承しつつ、地道な作業に取りかかっていた。
「よし、今日は休みだ」
そんな過酷な冬のある日。今日は週に一度の休息日である。オレは村人たちに自由な時間を与え、日々の仕事から解放する。
だが、オレは村の子ども達を広場に集合させる。休息日であるが、いいことがあると誘い。
「お前たちに、面白いプレゼントがある。欲しいヤツは湖畔に集合だ」
「えっ、プレゼント!?」
「うん、もちろん欲しい!」
オレの甘い言葉に、村の子ども達はざわめきだす。
いったい何が起きるのであろうか? そして、何が貰えるのかと興奮する。
もちろん子ども達は全員で、湖畔に向かって駆けだすのであった。
◇
「よく来たな。これがプレゼントだ」
一面白銀の湖畔で、オレは用意してあったプレゼントを手渡す。季節は真冬だが、今日は眩しいくらいに青い空が広がっていた。
「これは新しい武器かな?」
「鉄の斧じゃない?」
プレゼントを貰った子ども達は首をかしげ、キョトンとした表情をしていた。見たことがない物をプレゼントされ、どう反応すればいいか困っている。
「遊び方を教えてやる。これはスケートだ」
オレは自分の靴に、スケートの金具をベルトで固定する。初めて見る子ども達には、このスケート道具が鉄の斧に見えていたのであろう。
「両足に固定したら、こうして湖の上で滑る」
「うわっ! 危ないよ、ヤマト兄ちゃん!?」
「氷で滑って、怪我するよ!?」
子ども達はびっくりして、声をあげる。
何しろ村にある湖は、冬になると完全に凍り付く。
そんな滑る氷上に、不安定な靴で乗ったオレを心配しているのだ。転んで大怪我でもしたら大変だと。
「あれ……? 転ばないね!?」
「すごい! ヤマト兄ちゃんが氷の上を、滑って走っているよ!」
「面白そう! 早いね!」
だが悲鳴は、すぐに歓声に変わる。スケート靴で華麗に滑るオレの姿に、みんな驚いているのだ。
凍り付いた湖の上を軽く滑り、オレは湖畔まで戻ってくる。
「靴に固定する方法は、さっきの通りだ。できた者から、滑りを教える」
「うん! 僕が一番!」
「おい、オレの方が先だよ!」
「みんな待ってよー」
子ども達は急いでスケート靴を、履き始める。
先を競うように、天然のリンクに乗ってくる。見よう見まねで、無理に滑ろうとする。
「うわー、転ぶよー」
「いてー、お尻が痛いよー」
案の定、向こう見ずな子ども達は、盛大に転んでいる。
オレが教えた受け身をとっているので、怪我はない。だが痛々しい光景である。
「無理に歩こうとするな。重心を移動するだけで、滑れる」
無茶をして転んでいる子ども達に、オレは手本を見せて教える。
痛い目を見た彼らは、真剣にオレの滑りを観察していた。狩りと同じで痛みを回避するために、本能で覚えようとしているのだ。
「よし、分かった! こうか!」
「うん……おー、見て! 滑れたよ!」
「見て見て、僕もできたよー」
それから少し練習して子ども達は、次々と滑りを成功させていく。
技術的には未熟だが、明らかに先ほどとは違う。まさに氷湖の天然リンクで、スケートを楽しんでいる光景だった。
「凄いですね、ヤマトさま。子ども達は、あっとう間に……」
その光景を見ていた、村長の孫娘リーシャは驚いている。転んでばかりいた子ども達の、急すぎる上達に感動しているのだ。
「ウルドの民は身体能力が高い。教えれば、何でもできるだろう」
ウルド村の子ども達は日本人より、遥かに運動神経がいい。
森での狩りや隠密術を教えていた、オレは実感していた。初体験であるスケートも、それで難なく覚えているのであろう。
ちなみにスケートの道具は、老鍛冶師ガトンの孫たちに作ってもらった。幼い孫たちの鍛冶練習ということで、ガトンも喜んで協力してくれた。
ちなみに彼ら山穴族は、水の上が苦手でこのスケートは欠席している。
「で、でも、私は、これはちょっと苦手です……」
村長の孫娘リーシャもスケート靴を履いて、オレの隣の氷の上に立っていた。
だがその足元は、おぼつかなくグラグラしている。見ているだけで心配になる立ち方だ。
「リーシャさんにも、苦手なものがあったのか。意外だな」
優れた狩人である少女リーシャは、村の中でも特に運動神経に秀でていた。
そんな彼女であるが、どうやらスケートは苦手であるらしい。意外な弱点であり、可愛らしい一面でもある。
「ヤ、ヤマトさま……笑ってないで、た、助けてください……ひっ」
焦ったリーシャは盛大に、後ろに転びそうになる。
あまりにも危なかったので、オレは背後に素早く回り込み助ける。身体能力が向上してオレにとっては、なんてことはない。
「ヤマトさま!? ありがとうございます。で、でも、少し恥ずかしいです……嬉しいですが……」
ちょうどリーシャの全身を、オレが背中から抱きかかえて格好だ。
お互いの顔が触れるほど急接近していた。リーシャは顔を真っ赤にして照れている。
「あっ、ヤマト兄ちゃんと、リーシャ姉ちゃんが抱っこしている!」
「僕、知ってるよ。パパとママも、あーやって、抱っこしていたよ!」
スケートを滑りながら、子ども達はからかってくる。
オレとリーシャが氷上で抱擁しているように、彼らには見えるのであろう。子どもは時には、残酷でストレートに冷やかしてくるものだ。
「ちょ、ちょっと! 待ちなさい! みんな待ちなさい!」
「うわー、リーシャ姉ちゃんが、怒ったぞ!?」
「みんな逃げろー!」
「捕まったら、怒られちゃうよー」
からかわられた少女リーシャは、むくりと立ち上がる。そして冷やかした子ども達を、全力疾走で追っていく。
もちろん足にスケート靴を履いたままで、見事なスケーティングである。
やっと立っていた彼女が、今はスケート選手のように滑っていた。
(もしや怒りによって、脳内アドレナリンが放出されたのか? それともウルドの民の……リーシャの潜在的な力が、開放されたのか?)
その不可思議な現象に、オレは様々な仮説を立てる。もしかしたら人類の進化の鍵になるかもしれない。
だが、すぐに仮説を立てるのを諦める。なぜなら子ども達を追いかけるリーシャが、高難易度のスケートターンを華麗に決めたのだから。
(そういえば、ここは異世界だったな……)
ここでは地球の生物学や理論など、何の役にも立たない。考えるのを諦めて、氷上を眺めることにする。
「やーい、こっちだよー、リーシャ姉ちゃん」
「鬼さん、こっちだよー」
「ちょっと、みんな待ちなさい!」
真冬のウルド盆地に、にぎやかな声が響きわたる。
(悪くないな。こんな日も……)
見ているだけで、心が温かくなる光景だ。氷上の誰もが笑顔であった。今日の広がる青空のように、見ているだけで眩しい笑顔。
村の生活は改善されてきたが、決して楽ではない。辛い仕事と節約の日々である。
だが、それでも笑顔を絶やさない村人たちに、オレは助けられていたのかもしれない。そう考えると、本当に感慨深い。
「やーい、何だったら、ヤマト兄ちゃんも、追いかけてきていいよー」
「でも、僕たちには、もう追いつけないかもねー」
「スケートなんて、楽勝だよね!」
リーシャと氷上鬼ごっこをしている子ども達は、オレまで挑発してきた。悔しかったら捕まえてみろと。
「ほう、そうか」
こう見えて、オレは負けず嫌いである。そして手加減を知らない。
鬼ごっこをするなら、全力で追いかける。身体能力が向上した、この身体の全能力を開放して。
「よし……いくぞ」
こうして氷上鬼ごっこは、あっとう間に終わった。
すべての子ども達を、オレが一人で捕まえてしまったのだ。