第124話:帰宅
オレは夢を見た。
それは三年前の記憶の夢である。
梅雨が明け、東北の夏の暑さも厳しくなってきた盆の頃。オレがリーシャたちのいる異世界に転移する直前の記憶だった。
◇
「“妖刀”だと?」
「山人君は見たことがなかったかな? 本家の裏山のあの神社、その奥にある霊穴……そこで“妖刀の霊”が出るらしい」
法事があった時に集まった親戚から、そんな不思議な噂を耳にした。
それは実家のある本家の山の麓にある神社の怪談話。何でも戦国時代に作られた日本刀が、その怨念で幽霊として出るという内容だった。
夏の盆の時期だけに妖しい刀が姿を現す。本家に伝わるそんな怪談話である。
自分の親戚や従兄弟たちの中にも何人か、これまでに体験したことがあると口にしていた。
(ちょうど盆休みか……)
社会人であるオレは、来週から盆休みを加えた夏休みがある。オレは登山でその神社がある山も回る予定があった。
(幽霊など非科学的。だが……)
自分は怪奇現象や幽霊は信じない性格である。
だが何となく気になってしまう“妖刀”の噂を、実際にこの目で確かめに行くことにした。
それから数日後、盆の時季がやってくる。
会社で二週間の長期夏休みをとったオレは、計画通りに例の妖刀が出る神社に立ち寄った。
「霊穴はこの階段をのぼって、山中の奥にあります。お気をつけて、お客さん」
神社の宮司の説明を聞いて、オレは林の中の階段をのぼっていく。
蝉の鳴き声がうるさく響き、短い北国の夏を奏でていた。
盆の時期ということもあり参拝の姿はなく、コケの生える石造りの階段を一人でのぼっていく。
そんな林に挟まれた長い階段をのぼり切ると、視界が少しだけ横に開ける。
「供養地蔵か。数が多いな」
そこには数百体を超える地蔵が整然と並んでいた。
先ほどの宮司の話では、これは古くから奉納された地蔵で戦や疫病などによって失われた命を供養している。
これほど多くありながも同じ顔かたちは一つもなく、作り奉納した者たちの想いが籠っていた。
「懐かしいな。これで泣いた従兄弟がいたな」
過去に親類でこの神社を訪れた時のことを思い出す。
不気味な雰囲気の地蔵群を見て怖くなり、泣きだしていた従兄弟のことを。超常現象をまったく信じないオレは、何が怖いかと当時は疑問に思っていたものだ。
「さて、ここか」
考えごとをしている間に。目的の場所へたどり着く。
「ここが霊穴か。例の妖刀の霊の噂がある」
着いたのは山の中腹にある小さな洞窟だった。
大人が一人だけ通れる横穴が、薄暗いまま奥まで続いている。観光用に整備はされていないが、昔から参拝者が訪れる霊的場所だと聞いていた。
「妖刀話など迷信だと思うが、入ってみるか」
持ってきた懐中電灯で奥を照らし洞窟の中に入ることにする。
中や周囲には他に人の気配は全くない。
不思議なことに蝉の鳴き声もピタリと止み、不気味なほどの静寂な空間になっていた。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」
オレは心霊現象をまったく信じない。
だが言葉にできない〝何か”を感じながら、意を決して洞窟へと進んでいく。
そして横穴の洞窟を進んでいたオレは、突き当りへとたどり着いた。
「ここが執着地点か」
たどり着いた先は洞窟の行き止まりであった。
ここまでの狭い通路とは違い、急に天井が高くなり十畳ほどの広い空間。
どこからともなく地下水の流れる音が聞こえ、静寂でありながらも不思議な空間を成している。
「これが神台か」
広間の一番奥には人の手が加えられた台座があった。 宮司の話では、昔はここに供物が捧げられていた場所だという。
今は何もなく削られて石台だけが置かれているだけである。自分の親戚たちが妖刀の霊が見えたのは、この石台の周囲だと言っていた。
「やはり妖刀の幽霊などいないか」
洞窟内を懐中電灯で照らしながら一通り確認する。だが聞いていた妖刀らしき影は無い。
「オレらしくなかったな」
自分は怪奇心霊現象をまったく信じない現実主義である。
それなにも関わらず親戚か聞いた妖刀の霊の噂が気になり、ここまで足を運んできた。
上手く言葉では説明できないが、噂を聞いた時に〝何か”を感じた。運命というか、直感というか。
だがその勘も今回は外れたのであろう。
「さて、宿に戻るとするか」
自分の本来の目的は、盆を挟んだ夏休みと使った山巡りである。
この霊穴の上にそびえる名山をスタート地点にして、いつくもの山々で夜を過ごしながら自然を満喫するつもりだった。
ぞくに言うサバイバルキャンプであり、行程はかなりハードである。その出発の前に今宵の宿泊地に戻り準備を行うとする。
「さて……んっ?」
その時であった。
出口通路へと向かおうとしたオレは、“何か”を察知する。
(何だ、この禍々しい気配は……)
背筋にゾクリと嫌な気配を感じたオレは、全身に警戒信号を発する。
五感をフルに活性化させて、懐中電灯に照らされてだけの薄暗い洞窟内を警戒する。
(熊か……人か……いや、違うな……)
現実的にこんな山奥にある危険といけば、人か野生の獣しかない。
だがこの禍々しい気配はそのどちらでもなかった。
(これは……何だ……)
自称冒険家である両親に育てられたオレは、幼い頃から世界中の大自然の中を連れまわされていた。
常識外れな秘境巡りなどもあったが、そのお陰もありオレには普通のよりも少しだけ多くの経験がある。
比較するにこの危険な気配を発する者は、人や肉食獣ではなかった。
五感を集中して見えない〝何か”を探る。
そして何かの位置に気がつく。
「お前か。この気配……殺気の正体は」
オレは視線の先の〝影”に問いかける。
そこは洞窟の出口へ続く通路の出入り口であった。
(これが噂の妖刀か……)
誰もいなかったはずのその場所に、いつの間にか日本刀があった。
見事な刃紋が浮かぶ刀であるが、妖しい光を放つ妖刀が空中に浮いている。
そしてオレの声に反応するように、怪しい光は次第に大きくなり人影を形成していく。
(男……いや武士か……コレは……)
突如と現れた人影を冷静に分析する。
信じられない現象であったが、実際に目の前で起こっていることは事実。
現れたのは一人の武士である。
妖刀と漆黒の甲冑で武装した武士に、オレは洞窟内に閉じ込められた。
◇
そこで三年前の記憶の夢は覚める。
「うっ……」
夢から覚めたオレは周囲を見渡す。五感を集中して警戒のレベルを最大に引き上げる。
なぜなら自分の置かれている状況が、全く把握できていなかったのだ。
「……ここは……どこだ……?」
オレの寝起きは悪くない方だ。
何しろ自称冒険家である両親に連れられて、幼い頃から世界中の秘境で寝泊まりをしていた。
“寝ている時も意識は半分残しておく”
それは秘境で生き残るために身に染みついて習慣であり、大人になった今でも変わらなかった。
「なぜオレはこんな森の中で……」
だが今は寝る前の記憶が全く無かったのである。自分の名前やこれまでの人生の記憶はあった。
この“数日間”の記憶だけがぽっかり抜けていた。身につけているアウトドアの衣類や大型リュックから、自分が登山の途中だったことが推測できる。
(ダメだ……思い出せない……)
この数日間を思い出そうとすると、激しい頭痛に襲わる。
もしかしたら意識を失い頭部を強く打ったのかもしれない。だが外傷は身体のどこにも見当たらない。
「とにかく戻るか……」
状況を整理するために一度、自分の家に帰ることをする。動物としての帰省本能であり、家に戻ることを選択する。
(この山で……そして、オレはどこかに……)
下山しながら後ろ髪を引かれる思いが強くなる。
理由は分からないが、とても大切な何かを忘れているような……そんな忘却と後悔の負の念である。
(とても大切な何かを……)
下山の途中でも記憶は蘇らない。そしてオレは自分の家に戻るのであった。
◇
麓の駐車場に止めていた自分の車で、無事に自宅に帰宅する。
運転の技術や帰りの道順、この辺りの記憶ははっきりとしていた。やはりないのはここ数日間の記憶だけである。
(さて……家の方は特に異変はないな……)
家の前の駐車場に車を止めて、周囲を確認する。特に変わった様子はなく、普通の我が家であった。
「ただいま」
玄関に入り奥に向かって挨拶をする。
今はこの一軒家に住んでいるのは自分一人である。だが幼い頃からの習慣で、挨拶だけは欠かせたことない。
挨拶や礼儀などの教育は厳しい両親であった。それ以外にも普通ではないサバイバル技術も叩き込まれたが。
「まあ、そのサバイバル技術と護身術のお蔭で、オレは“あっち”でも生き残れたがな……」
自称冒険家で自由奔放な両親であったが、その辺は感謝している。
ここ半年、顔も見ていない両親を思い出し苦笑いする。今はたしか夫婦二人で世界最高峰の山脈の登頂にチャレンジしたはずである。
(まて……“あっち”とは……どこのことだ……?)
自分で口にしながら疑問が浮かび上がる。
明らかに日本でも外国でもない、別の場所を示す“あっち”という単語。記憶が消失している期間の手掛かりとなる場所かもしれない。
「ダメだ……思い出せない……」
思い出そうとする、また激しい頭痛に襲われる。そこだけ何かに強制的に削り取られたように抜けていた。
(ん……?)
その時であった。
玄関で靴を脱いだオレは異変を感じる。
「くっ……」
それと同時に右の足首に激痛がはしる。目に見えない細いワイヤーが締め付けてきたのだ。
(ワイヤー・罠か……)
ワイヤーは玄関マットに仕掛けられていた。
だが気がついた時には、時すでに遅し。そのまま凄まじい力で持ち上げられ、二階まで吹き抜けの玄関で逆さまに宙づりになる。
不覚にも激しい頭痛の影響で、オレは罠の存在を見落としていた。
(獣用の狩りの罠……しかも強力なヤツか……)
罠はテコの反動を利用した捕獲用であった。
瞬時に状況を理解したオレは、登山用のナイフで足首のワイヤーを斬り外す。そして同時に反動を利用して、吹き抜けの二階に飛び乗る。
「さて……説明してもらおうか……」
二階の吹き抜けの廊下で、この巧妙な罠を仕掛けた犯人を見つけた。ナイフの刃先を向けて状況の説明を命令する。
「腕を上げたな……」
毛むくじゃらの大男が両手を上げて降参してくる。相手にはもはや抵抗の意思はない。
「そして我が子の成長を、このパパは嬉しく思うぞ! ガッハハ! なあ、母さんよ!」
「ええ……立派に成長しましたね、山人」
大男の後ろから一人の女性が姿を現す。その恰好は普通の主婦であるが、見事な隠密技術であった。
「まったく夫婦そろって、何をやっているんだか……とにかくお帰り、オヤジ、それに母さんも」
それは半年ぶりの再会であった。
世界最高峰の山脈登頂の旅に出ていた両親が、先に帰宅していたのであった。