第115話:姉と妹
聖女を救出するために、オレは単身で向かう。
クライミング用のロープを使い、聖塔の最上部から外壁を駆け下りていく。
「いた。あそこか」
視界の先に聖女たち一行の姿を確認する。
一行は大聖堂の広場で、翼竜型の霊獣に襲われていた。護衛の騎士が奮闘しており、まだ聖女は捕まってはいない。
だが圧倒的な霊獣の前に、護衛が壊滅するのも時間の問題であろう。
「減速している暇はないな」
オレは意を決する。
今は数百メートルもある聖塔から、外壁を駆け下りている最中。自由落下に近い状態であり、速度もかなり出ている。
このままの体勢からの参戦は、かなりの危険を伴う。
だが躊躇している暇はない。オレはクライミング用のロープを片手で操り、進行方向を急転換する。
「いくぞ!」
『ヤマト⁉ どうやって追いついて来たんだい……』
オレの声に霊獣管理者が反応する。
まさか追手が外壁を駆け下りてくるとは、想定外だったのであろう。その表情は唖然としていた。
『でも、この翼竜級は普通じゃないんだよね』
操っている翼竜型の霊獣に命令を下し、駆け下りてきたオレに反撃してくる。
たしかに翼竜級と呼ばれる霊獣、その霊気は強大であった。おそらくは魔人級に匹敵する霊獣なのであろう。
「ヤマトさま!」
「リーシャさん、そこから退避を!」
翼竜級と交戦していたリーシャに指示をだす。これからの攻撃に巻き込まれないように、その場からすぐに退避しろと。
「出し惜しみは無しだ」
リーシャが退避したのを確認して、背中から一本の短槍を取り出す。そしてロープと身体を固定して器具を切り離す。
『そ、その、槍は……』
「一撃で決める!」
そのまま聖塔の石壁を蹴り、全体重をかけて翼竜級に突撃していく。
落下速度に蹴り足が加わり、稲妻のような突撃。反応できない翼竜級の急所に、鋭い槍先が突き刺さる。
「これで……終わりだ!」
そのまま槍の引き金を引き、短槍“強弩槍”を発射する。
槍の内蔵された山穴族の秘石“火石神の怒り”が、轟音をあげて爆発。その強力な破壊力は翼竜級の核ごと、身体に大穴を空ける。
「リーシャさん、待たせたな」
「ヤマトさま……」
翼竜級を倒したオレは、大聖堂の広場に降り立つ。
強弩槍発射の衝撃を利用して、落下の衝撃は相殺。すぐに周囲の警戒に移る。
『まさか、あんな細い綱一本で、あそこから降りてくるとはね……』
聖塔から垂れ下がるロープを見て、霊獣管理者は関心をしていたまさかこんな手段で追いつて来るとは、想像もしていなかったのであろう。
「聖女のことは諦めてもらう」
『へえ……たった一人で来たのに、余裕だね、ヤマト』
「余裕がないのは、そっちの方だろう」
不敵な笑みを浮べる少年に、オレも言葉を返す。
おそらく霊獣管理者が一度に召喚できる力、それには限度があると。そうでなければ今も魔人級を召喚して、巨竜覚醒していたはずだと。
「それでなければ、こんな回りくどい方法はとらないはずだ」
少年はここまで六十体以上の黒狼級と、翼竜級を召喚して使役している。切り札をまだ隠してはいるであろう。だが、その限度は近いであろうとオレは推測していた。
『さすが、ヤマトだね……たしかに、この下等種の子どもの身体だと制限はあるね。だからこそ“四方神の塔”が起動するのが、ボクの最優先の目的なのさ』
オレの推測は当たっていたようである。少年は転生した自分の身体の制限について、自虐的に語り出す。
『でも最初に言ったけど……今回はキミを倒すのが、目的じゃないんだよね……』
少年は不敵な笑みを浮べ、顔の向きを変える。
その視線の先には聖女の姿があった。ラックに背負われ、まだ気を失ったまである。
『古代超帝国にはいろんな術があってね……』
少年はそうつぶやきながら、何かの術を瞬時に展開させる。それに反応してラックたちの足元に、魔方陣が浮かび上がる。
『こんな特殊な術もあるんだよね!』
「させるか!」
その術が完成する前に、オレは行動を起こす。一気に間合いを詰めて、少年に斬りかかる。
『さすがは……ヤマトだね……』
急所を斬り裂かれた霊獣管理者は、絶命しながら余裕の表情を浮べていた。確実に仕留めたはずなのに、凄まじい生命力である。
『でも、ひと足遅かったね……この勝負はボクの勝ちだよ……』
少年の術は完成していた。自分の命と引き換えに、術を完成させていたのである。
『“強制門”……発動だよ……』
「うわっ……聖女さま⁉」
聖女の名を呼ぶ悲鳴が聞こえてくる。それはラックの声であった。
聖女は強烈な光に包まれ、足元から姿が消えていく。背負っていたラックは、その衝撃に吹き飛ばされていた。
「あれは転移の術⁉」
『そうだよ……たとえヤマトでも絶対に介入できない、強烈な術さ……』
前回の巨竜戦の最後、霊獣管理者が退避する時に使った転移の術。その上位術を聖女に対して使ったのである。
『じゃあね、ヤマト……本当は“四方神の塔”の“魂鍵”は、この聖女が一人いれば十分だったんだよ……』
「なんだと……」
少年はその光景に勝ち誇った笑みを浮べる。オレの裏をかき満足そうなしていた。
だが、その身体も転移の術によって、既に消えかかっていた。絶命しながらも術を展開していたのである。
『この肉体はもうダメだ……でも、これでボクは本当の力を取り戻すのさ……』
そう言い終わる前に、少年の身体は消え去る。自分の命を危険に晒してまで、霊獣管理者は策を張り巡らせていたのである。
「せめて聖女を……」
取り逃がした霊獣管理者から、聖女の方に視線を移す。可能ならなら彼女だけでも助け出したい。
「くっ……これは……」
「ヤマトのダンナ、気をつけてくださいっす!」
しかし聖女の身体に近づくことは出来なかった。
“強制門”という強制転移の術が発動して、近づく者を排除してくる。強力な魔力の放出に、誰も近づけない危険な状況であった。
「聖女さま……お助けします!」
だがそんな中、一人の少女が聖女に歩み寄る。
その声は真剣な表情のリーシャのもの。弓を投げ捨て、転移し始めた聖女の側に一歩一歩近づいていく。
「リーシャさん、危険だ!」
大声でオレは退避を指示する。
オレですら近づけない危険な魔力を放出。狩人の少女であるリーシャでは、命を失う危険がある。
「ヤマトさまは……『聖女さまを頼んだと』……私に指示してくれました。それの約束を必ず守ります……」
全身を襲う苦痛に耐えながら、リーシャは一歩一歩進んでいく。術の結界に触れ、彼女自身の身体も消えかかっている。
「それに……大事な家族は……もう失いたくない……」
つぶやきながらリーシャは、聖女のもとにたどり着く。そして腰まで消えかけた聖女の髪を、愛おしそうに優しく撫でる。
「家族……」
リーシャの呼びかけに聖女は意識を取り戻す。“家族”と言葉を口にして、聖女はハッとした顔になる。
「ヤマトさま……聖女さまのことを……妹のマリアことを楽しみます……」
リーシャは妹のために祈りを捧げる。そして彼女の全身は“門”へと消えていく。
聖女の身代わりなって、リーシャが強制転移されてしまったのである。
「お姉さま……リーシャお姉さま……」
聖女は消えていってリーシャの名を繰り返す。
撫でられた自分の髪に手を当て、大粒の涙を浮べる。突然のことに混乱はしているが、その表情は何かを思い出していた。
「リーシャちゃんが……聖女さまの……お姉さん。だったんすか……」
「ああ、ラクウェル。そのようだな……」
驚愕の事実に、ラックとマルネン親子は言葉を失っている。
いや二人だけではない。
教皇と他のお付きの者たちですら、唖然としていた。
北方の少数民族である狩人の少女と、ロマヌス教団の象徴である聖女。その二人がまさかの姉妹同士であったのである。
「驚くのは後にするぞ。聖都の霊獣の群れを、急ぎ討伐する必要がある」
動揺している皆に声をかける。
何しろ霊獣管理者の召喚した霊獣の群れが、まだ聖都で暴れ回っていた。急ぎ対抗策をとらなければ、市民の被害が拡大する。
「だが、まずは安全な場所に、この聖女さまをお連れしなければ!」
「教皇……私はこのヤマトさまの指示に従います」
教皇の言葉を遮り、聖女は顔を上げて口を開く。自分にできることがあれば、何でも手伝うと。大粒の涙はもうそこには無かった。
「大丈夫なのか?」
「はい……リーシャさん……いえ、お姉さまの代わりに、私も尽力いたします」
姉であるはずのリーシャを目の前で失い、聖女は生気を失っていた。
だが今は別人のように復活している。その瞳にはリーシャにそっくりな、強い意志が浮かんでいた。
「そうか、なら協力をしてもらう。教皇は聖女の名の下に大聖堂を開放して、避難民の受け入れを。マルネンとガネシャ家は物資の準備を」
「ああ、ヤマト。ガネシャ家は全財力をもって協力をしよう!」
「せ、聖女さまが協力するのであれば、我らロマヌス教団も協力したします」
市街地戦で恐ろしいのは混乱した市民である。
だが、ここにいるのは大当主マルネンと教皇。聖都でも二大勢力を誇る彼らの、全面協力を得られたのは有りがたい。
「では、オレたちも霊獣の討伐に向かう。ラック、ガトンのジイさん、行くぞ」
「ういっす、ダンナ!」
「言われんでも、ワシらの準備は終わっておるぞ!」
霊獣を狩る前に、まずは村の子どもたちを合流する必要がある。
先ほどから馬笛の合図が聞こえており、子どもたちは全員無事であった。数々の試練を乗り越えてきた彼らは、下手な大人よりもたくましい。
(リーシャさん……すまない……)
自分の妹を助けるために、身代わりになった少女の顔を思い出す。誰よりも他人のことを思いやる、優しく少女の表情を。
(必ず……助け出す……)
彼女の残した長弓を手にして、オレは聖都の霊獣討伐に向かうのであった。