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b-2 コーヒーメイカー

本筋より約1年10ヶ月前、九条洸平視点。

この喫茶カノンで働き始めてから早2ヶ月、最初は成り行きで始めたバイトだったが、今では仕事も随分と板につき、人見知りな性格ながら接客にも慣れてきた。


夏も終りへ近付き、太陽嫌いの僕としては過ごしやすい季節になってきたのも相成って、正直今の僕は絶好調だ。


それに今日は素敵なイベントも控えている。



チリン…



と、ドアに取り付けられた鈴が、小気味の良い音を響かせた。


「いらっしゃいませー。」


僕はコーヒーメイカーに向けていた視線をあげた。


営業スマイルも忘れない。


「どうも!九条さん!」


「千里ちゃん。おかえり。」


店に入ってきた高校の制服に身を包んだ女の子…千里ちゃんは元気に笑顔を浮かべた。


もう直ぐ夕刻。


この時間からちらほらと客が増え始めるため、この喫茶店のマスターの妹である彼女も、良く手伝いに来てくれる。


僕の営業スマイルなど遠く及ばない素晴らしい笑顔を持つ彼女は、この店の正に看板娘といったところだ。


僕としても負担が軽減し、とても助かるのだが…一つ疑問が…。


「千里ちゃん。今日部活は?」


千里ちゃんは、毎週金曜日は部活が合った筈だ。


彼女はカウンターの裏手に向かいながら、僕の方を向くとチロリと舌を出した。


「実は…サボってきちゃいました。」


「へ?何でわざわざ?」


「洸平目当てに決まってるだろ。」


「うわっ!!ビックリした!!」


突如眼前に割り込んできた眼鏡の男。


彼こそこの喫茶カノンのマスター、彼方さん。


…ちなみに彼の存在が僕がこの店でバイトし始めたことを後悔している理由。


それというのも…


「洸平、今日も美しいな…。今晩泊まっていかないか?」


「お断りします。」


この人は男女問わずセクハラしてしてくる好色なのだ。


特に僕はこの人に気に入られてしまったものだから…それはもう…ウザイ。


「相変わらずつれないな…。いいじゃないか、彼女も居ないんだし。」


「余計なお世話です。…っていうか顔が近いんですけど?」


異常な程に顔を近付けてくる彼方さんから目を反らすと、顔を真っ赤にした千里ちゃんが目に入る。


どうしたんだろう?


千里ちゃんは僕と目が合うと更に顔を赤くし、彼方さんへと詰め寄る。


「彼方!私は別に九条さん目当てとかじゃ…」


「ないわけがないだろう?洸平の演奏、聴きに来たんだろうが。」


「いや…それは…そうだけど…。」


うつ向く千里ちゃんを見てイヤらしい笑顔を浮かべる彼方さん…この人は…つくづく性格破綻者だな…。


妹を苛めて何が楽しいんだ?


いや…それなりに楽しいのかも知れないが、一人っ子の僕にはわかりっこない。


そういえば、僕にも一応義理の兄弟がいた…いや、そんなことはどうでもいい、それより


「千里ちゃん…僕の演奏なんか聴くために部活サボってきたの?」


「わ、悪いですか?」


「悪いと言うか…。なんでまた?」


まったくわからない。


数日前、彼方さんの思い付きで、店にステージを設置した。


しかし出演者も特に居ないので一応ミュージシャンを目指している僕が演奏をさせてもらうことになり、今日ステージに立つのだが…。


「定期的にやるんだからさ、わざわざ今日見なくてもいいんじゃない?」


「洸平…お前って相当鈍いんだな?千里はお前が…へぶっ!」


すかさず真っ赤な顔をした千里ちゃんが、彼方さんを殴り飛ばす。


女の子ってやっぱ怖いな…。


…というか彼方さんが最後何を言おうとしたのか余り聞き取れなかったが、目障りな生物が視界から消えたので良しとする。


「………。」


「…千里ちゃん、どうしたの?固まって…。」


「ひうっ!わ、私っ!違いますから!」


千里ちゃん、逃走。


何時の間にか復活した彼方さんは、ニヤつきながら僕の肩を叩いて去っていく。


「はぁ…。あの兄妹…何がなんだか…。」


僕は深くため息をつくと、再びコーヒーメイカーへと視線を戻した。


もう少しで音楽を奏でられる未来を考え、高揚した気分。


それを落ち着かせるかの様に、茶色い液体は溜ったそれの上に小さく波紋を描いた。
















「あ。」


マイクがハウリングを起こしていないか確かめる為、軽く声を出す。


大丈夫…。


「えぇっと…。どうも。」


一斉に注がれる視線。


もうすでに照明が落とされた店内、客の顔も薄くしか見えない。


久しぶりだ…小さなステージでも、この緊張感は変わらない。


ようやく帰って来た気がする。


「どうも、九条といいます。BGM変わりに演奏させて頂きます。」


MCはいつやっても苦手だ…。


バンドのライヴの時は先輩に任せている分、こういう時に困ることになる…。


次のライヴでは少しやって見ようと思う。


ふとカウンターに座るスーツ姿の客が手を上げているのが見えた。


なんだろう?


「リクエストしても良いかな?」


いきなりリクエスト…。


まぁ選曲には迷っていたし、問題はない。


僕は精一杯の笑顔を浮かべる。


「はい。どうぞ。」


…気のせいか…僕はその瞬間、男がニヤリと笑った様に感じた。


一体なんだろう?


ヒップホップとかじゃなければ良いけど…。


「…じゃあ、サイモン&ガーファンクルで何か一曲。出来るかな?」


…ずいぶんと渋い趣味だな。


僕は軽く頬を掻くと、脳内の楽曲データベースに検索をかける。


カテゴリの中から一曲…あった。


「…では、リクエスト通り。サイモン&ガーファンクルから一曲。」


偶然…いや、運命じみてるな。


サイモン&ガーファンクルか…あの人も好きだったな。


それにしたって自分が不思議だ、わざわざこの曲を選ぶなんて…。


でも、悪くない。


この曲を選ぶって事は…あの人を…僕はまだ覚えてるって事だから。


「………。」


静寂の中、僕はポケットからカポタストを取りだし、3フレットに付ける。







『もう半キー上げなよ?』


『…なんでですか?元曲は3フレットですよ?』


『唄い辛いでしょ?洸平歌声高いんだし。』


『そんなことないですよ。』


『良いじゃん!私、洸平の高い声好きなんだ〜。』






思い出した…あの人に頼まれてこの曲を弾いた時、わざわざキーを上げさせられたんだっけ。


僕はカポタストを3フレットから4フレットにずらす。


「これで良いですか…?」


小さく呟く。


…さて、やってやろうじゃないか。


ギターに手を沿える。


「『APRIL COME SHE WILL』」


僕の指はアルペジオでメロディを奏で始めた。



※サイモン&ガーファンクル→1960年代に活躍した、ポール・サイモンとアート・ガーファンクルによるポピュラー音楽ユニット。


カポタスト→ギターのネック(ギターの棹部)に取り付け、ギターのチューニングのキーを上げる付属品。


アルペジオ(ギター奏法)→コードを構成する音をひとつひとつ弾いていく奏法。


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