b-1 拾い人
本筋より2年前・河瀬千里視点。
サブタイトルの『b-1』は過去の話を意味しています。
高校に入学してから3ヶ月、ようやく学校にも慣れ、友達も増えた。
今日も仲良くなった友達と買い物に行く筈…だったのに…。
「…はぁ。店の手伝いなんて…。」
兄である彼方からの突然のメールで、私は帰宅を余儀なくされてしまったのだ。
眼前に立ち塞がる『喫茶カノン』。
飲み屋を経営する両親が以前使っていた店舗を改装し、兄彼方が切り盛りしているこの店。
…何故私が貴重な青春を浪費して手伝いをしたければならないのか…。
私はもう一度ため息をつき、店のドアを開いた。
「…仲良くしよう?」
「離せ!離せって!」
…何だコレは…?
私は目を見開いた。
青年を抱き締める彼方。
それから逃れようとする青年。
「怒った顔もイイな…。お、千里おかえり。」
「か、彼方…何やってるの?」
「こいつ、拾った♪」
「拾った!?」
私は改めて彼方に抱かれている青年を見つめる。
彼方と同じ170cm中場程の身長、黒いコート、長い黒髪。
なによりその整った顔。
はっきり言って格好いい、これじゃ彼方に捕まっても当然だ…。
「なんで拾って来るの!?捨ててきなさい!」
「嫌だ、俺こいつ気にいったし。」
「君達好き勝手言い過ぎ!」
青年は声を張り上げた。
「なんで道を聞いただけなのにこうなるんだよ…?」
唇を尖らせる青年に、店内からクスクスと笑い声が漏れる。
比較的女性客が多いこの店では、兄と青年の絡みを楽しんでいる人も多いようだ。
…店主も店主なら、客も客だ。
店主、彼方は、青年に甘い言葉を掛け続けている。
「良いじゃないか、そんな固くならなくても。」
「だからぁ…僕は道を…!」
「知らないのかい?ここじゃ道を聞いたら体で払わなきゃいけないんだよ?」
なんという無茶苦茶な…!
そんなものに騙されるのは、余程の馬鹿か、田舎者だけだろう。
我が兄ながら頭が悪いとしか言いようがない…。
「…そうだったのか…!!」
「ちょっと待った。あなた馬鹿ですか?もしくは相当な田舎者?」
私は初対面だが突っ込まずにはいられなかった。
しかし青年は目を丸くしてつったっている…なんだか…ちょっと可愛い…。
彼方は口元に邪悪な笑みを称えた。
「で、どうする。払うの?払わないの?」
「…払います。」
「「は?」」
店中が妙な沈黙に包まれた。
彼方すらも軽く固まっているようだ。
当の青年は隙をみて彼方の腕からすり抜けていた。
何を考えてるんだこの人は!?
もしかしたらこの人も彼方と同じアッチ系…
「…で、いつから働けば良いですか?」
もしかしてこの青年、物凄い天然なんじゃないだろうか?
「はっはっは!!」
彼方は突然笑い出す。
「やっぱ面白いなぁ君!良いよ、雇ってあげよう。」
「雇うって…僕は道を聞いたお代を…。」
やっぱり天然だ…。
私は青年の出す空気に耐えきれず、声を上げて笑った。
他の客も、次々に笑い声をあげる。
不思議な人だ…一瞬で空気を支配してしまった…。
彼方は笑いすぎて溢れた涙を拭うと、未だに状況を飲み込めていなさそうな青年の肩を叩いた。
「それは良いからここでバイトしないか?」
「バイト…ですか。」
「見たところ上京してきたばっかなんだろ?」
「えぇ、まぁ…。」
青年は思案するように軽くうつ向いた。
正直、私もこの青年に働いて欲しいと感じていた。
このまま会えなくなるのは…少し寂しい。
そんな事を考えながら、青年の答えを待つ。
店中が青年に注目している、そんな気がした。
「…マンションからも近いし…良いですよ。働きます。」
「良し!決まりだ!」
その日のカノンは、今までで一番の盛り上がりを見せた。
この騒ぎに転じて彼方は客の相手をし始める。
きっと売上も今までで一番だろう。
そんな中、一人何をして良いかわからず、立ち尽くしている青年。
私はそんな彼を見て小さく口元が緩むのを感じながら、青年に歩み寄る。
「私、河瀬千里。ここのマスター、彼方の妹で、店の手伝いをやってます。よろしくお願いします!!」
「どうも、今日からバイトをさせて頂きます。九条洸平です。よろしく。」
私達は軽く握手を交す。
彼の手は…とても暖かかった。