3-1 お出掛けに行こうか
雪視点。
「雪ぃ〜!!!」
日曜日の昼下がり、私はうっとおしい大樹の声に振り向いた。
「暑苦しい。うるさい。お兄ちゃんが起きる、馬鹿。」
夏も本格的に始まり、昼になれば自然と蝉の鳴き声も聞こえてくる。
夏は嫌いではないけれど、私は冬の方が好きだ。
5月産まれの私達双子はどちらも夏寄りの筈なのだが、夏向きなのは大樹だけ。
何故こうも違いが出るのか…未だに疑問だ。
「そう言わず聞いてくれよ…。」
「…何?」
私はくだらなかったら承知しないという目線を大樹に向ける。
せっかくお兄ちゃんのために冷やし中華を作っていたのに…それを邪魔したのだから、もしくだらない話だったら…。
「金がねぇんだよ〜…。」
「…大樹昼抜き。」
「ちょっと待てよ!何故に!?」
両親から渡されたお金。
生活費は共同、雑費は2人で最初に2分割してある。
それにしたって普通に生活する分にはまったく問題無い額だった筈。
一体どんな無駄使いをしたらそんな状況に陥るのか…。
「ふぁぁ…。何騒いでるのさ?」
…やっぱりうるさくて義兄が起きてしまった。
昨日3日ぶりに仕事が空いて帰って来たのだ、疲れているだろうからギリギリまで寝かせてあげたかったのに…大樹の馬鹿。
「兄貴、おはようー。」
「おはよう。お兄ちゃん。」
私達が声をかけると、義兄は笑顔で挨拶を返してくれる。
すごい進歩。
ここに来て2週間、ずいぶんと義兄妹らしくなってきたと思う。
…もちろんまだ私達は義兄の事をあまり知らないことに変わりは無いのだが…。
焦る事はない、そう考えることにした。
ふと義兄を観察すると、いつもより幾分寝覚めが良さそうだ。
仕事帰りはいつも夕方まで寝ているというのに…。
「お兄ちゃん。もう寝なくて良いの?」
「うん。今回は次のシングルのレコーディングと、スタジオ引き篭り練習だけだったから。一回ライヴやるより数段楽だったしね。」
「そう。」
音楽の方面に疎い私では話のほとんどが理解出来なかったが、とにかくさほど疲れは残っていないようだ。
私はなんとなく嬉しい気分になりながらキッチンへと戻る。
冷やし中華…後は卵とキュウリだ。
「兄貴ぃ!聞いてくれよ!」
「…どうした?」
後ろでは大樹が義兄に絡んでいる声が聞こえてくる。
羨ましいけど…ここは我慢。
「はぁ?金が無い?」
「そうなんだよ!」
「何に使ったんだよ?一体…。」
「それは……。」
義兄にまであんなくだらない相談をしてるのか。
特に物欲の無い私は、雑費などほとんどが手付かずで残っている。
大樹ももう少し節約を覚えたら良いのに。
私は卵をフライパンで伸ばしながら嘆息した。
「僕のバンドのCDを全部新品で買ったぁ!?」
「お、おう…。」
「だってシングルだけで4枚、ミニアルバム1枚とアルバム2枚で…合計で…2万近く使ったって事?」
義兄のため息が聞こえてくる。
義兄のCD…私は校内放送でソレが流された日、魂を震わされたあの日。
義兄に「感動したといったら」全てのCDをただでくれた。
もちろん全て聴かずに大切に保管してある。
と、と言っても始めて義兄もらったものだからというわけじゃない!
いや…もちろんそれもあるが、CDを聴く音楽機器も持ってないし…大樹にプレーヤーを借りるのもしゃくだからだ。
「な!マジかよ!?」
「大マジ。毎回作った時に家族に渡せって数枚高嶋さんがくれるんだけどさ…まさか君達2人共欲しがるとはね。」
「2人って…まさか!雪も!?」
「CDならもらったよ。はい、お兄ちゃん。」
私は義兄の前に冷やし中華を置く。
横で大樹は大口を開けて呆然としていたが、しっかりと無視。
「ありがと、雪。やっぱ夏は冷やし中華だよなぁ♪」
私は大樹と自分の分もテーブルに置くと、嬉しそうにしている義兄に気付く。
「冷やし中華、好き?」
「大好き!やっぱ夏の良いところは、スイカバーが食べれるのと、冷やし麺が美味いとこだな。それ以外の夏なんてクソだけど。」
「麺とアイスだけじゃ体壊すよ?」
「大丈夫大丈夫。」
「…無理しないでね?」
私の作った料理で子供みたいに喜ぶ義兄。
彼の正面に座り、意味のない会話をする。
爽やかな夏の昼下がり…いや、カーテンが閉まっているから爽やかかどうかはわからないけど、それでも私が今まで過ごしたどんな日々より素敵な日…。
「ちょ〜っと待てぇ!!!俺を無視してほのぼのしてんじゃねぇ!!!」
邪魔さえ居なければ…。
「大樹…?」
私は義兄に気付かれないよう気を付けながら、大樹に殺気を放った。
大樹の顔に一瞬にして恐怖が宿る…ちょろいものだ。
「ひぃっ!?雪、すまん!俺が悪かった…。」
「次騒いだら…。」
「ほらほら、君達。じゃれてないで早く食べようよ♪」
…私はメモ張…呼称『お兄ちゃんメモ』を開き、お兄ちゃんの好物の欄に『冷やし中華』を追加した。
ズルズルと麺をすする音だけが部屋に響く。
ふと思い出したように大樹が口を開いた。
「あのさぁ…。」
「何…?またCDのこと?」
「いや、買ったもんはしょうがないし、欲しかったんだから良いんだけどさ…。バイト、しようかなーって。」
大樹が…バイト。
出来る筈がないと思う。
「出来る筈ない。」
思わず口に出してしまったようだ…。
「失礼だっつの!…で、兄貴。ここら辺でバイト募集してるとこ知らない?」
「ん?何?もう一回言って?」
義兄は食べるのに夢中な様だ。
一所懸命に麺をすする義兄…。
どうしよう…すごく可愛い…!
あっ…!
「だからぁ…良いバイト先を…」
「お兄ちゃん。ほっぺたに汁飛んでる。」
「へ?何処?」
私はテーブルから乗り出して、ティッシュで義兄の頬を拭く。
「あ、ありがと。」
「うん。」
照れくさそうに頬を掻く義兄に、私はそっと微笑んだ。
「…ってオーイ!!!だから俺を無視すんなっての!!!」
…せっかく良い感じだったのに…!
私はギャーギャーとうるさい大樹の足を踏む。
「いてぇ!何すんだよ!?」
「…。」
「痛い痛い!」
「…で、どうした大樹?」
義兄はお茶を飲みながら大樹の方を見た。
待ってましたと言わんばかりに大樹は笑顔を浮かべる。
「兄貴!ここら辺で良いバイト先知らないか!?」
「知らない。」
「早っ!!!」
大樹はがっくりと肩を落としている。
義兄は少し考え込んでいたようだが、突然ポツリと呟いた。
「…こともない…かな。」
「マジで!?何処何処!?」
「ここから15分ぐらい。僕の昔のバイト先。」
「へぇ!なんの店なんだ?」
義兄は少し言うのを躊躇っていたようだが、ため息混じりに答えた。
「喫茶店だよ…普通のね…。」
遠い目をしながらお茶をすする義兄の顔には、何か哀愁の様なものが漂っていた。
そのバイト先で嫌なことでもあったのだろうか…?
「じゃあさ、兄貴。メシ食ったら連れてってくれよ!」
「はっ!?絶対嫌だ!僕はあそこには行かない!第一なんでまだ日が高いのに外になんか出なきゃいけないのさ!」
「良いじゃん!久しぶりに兄弟水入らずでお出掛けってのもさ!」
兄弟水入らず?
ムカッっときた…。
私も…私も…!
「お兄ちゃんと…お出掛けしたい!」
「ゆ、雪!?な、何を!」
「ほらほら兄貴、可愛い妹もああ言ってんだからさ。腹くくれよ♪」
「ぐっ…!わかったよ…。」
義兄を困らせるつもりは無かったのに…まぁ結果良ければ全て良しだ。
「お兄ちゃんとお出掛け…♪」
私は小踊りで食器を片付けた。