2-3 日常を迎え、彼女は決意する
雪視点。
「大樹。起きて。」
私はいつもの様に大樹の肩を揺さぶった。
男の子というのはえてして朝に弱いものだ。
もっとも朝に強い男の子もいるだろうが、私が今まで接してきた男はみな例外なく朝が弱かった。
大樹もその例に漏れず、朝はいつもしっかりと起きるまでに時間がかかる。
ちなみに義兄に関しては未だに朝起きている所を見たことがないので、恐らく朝とは合い入れぬ存在なのだろう。
大樹は薄目を開けて私を見た後、もう一度布団へと潜り込む。
「…後5分…。」
「駄目。起きて。」
私は大樹の布団を強引にはぎとる。
大樹は必死に布団にしがみつくが、やがて目を擦りながら起き上がる。
「…雪…おはよう。」
「おはよう。早く着替えて、顔を洗って。」
私は大樹にそう言いつけると、朝食を作るべく、キッチンへと向かった。
ふと、義兄の私室が目に入る。
部屋のドアには、いつの間にか洗面所と同じ様に木の板がかかっていた。
『睡眠中』
私は顔がほころぶのを感じた。
昨晩作ったのだろう。
眠い目を擦りながら熱心に工作をする義兄が目に浮かぶ。
何故…こんなにも私の心を揺さぶるのだろう。
初めて会ったあの時。
悲しみと、怒りと、戸惑いに満ちた…それでいて誰よりも綺麗で、純粋なあの瞳を見た時。
自分がいかに隈小で汚れた存在であるかを悟った。
それは彼に対する罪悪感や負い目から来るものなどではなく、純粋に彼が今まで会った誰よりも美しく、気高き存在であると感じたためだった。
彼を、知りたいと思った。
私は彼の身近にいれる今の現実を、改めて感謝した。
エプロンをしめながら、自然と鼻唄が溢れる。
こんな幸せな朝が…ずっと続けば良いのに…。
私は自然とそう思えている自分に、驚きを覚えた。
大樹と連れだって通いなれた通学路を歩く。
「久しぶりだな〜、学校もさ。」
住居移転の準備で数日間学校を休学していた上に週二日の休校日を挟んだ為、実に一週間ぶりの登校だ。
私も久しぶりの通学路に多少懐かしさを覚えた。
目に入る街路樹と、耳に入る生徒達の談笑。
変わらないものがあると言うのは、少し安心する。
「あ〜っ!雪、大樹、久しぶり!」
後ろから呼び掛けられ、振り返る。
少し色素の落ちた茶色い髪に、少し焼けた健康的な肌をした可愛らしい少女。
「うっす、岬。」
「岬。久しぶり。」
私達は久しぶりにあう友人に笑顔で挨拶をする。
嬉しそうに駆け寄ってくる岬の後ろから、黒髪の綺麗な顔をした男の子が歩いて来る。
「西河か。久しぶりだな。」
「おう、裕一。久しぶり。」
裕一君は大樹を見ると不機嫌そうに顔をしかめた。
「お前には挨拶してない。大体なんだその赤い頭は、また染めたのか…。デニス・ロッドマンでも気取ってるのか?ハッキリいって禿げるぞ?いや、禿げろ。黒髪を捨てた非国民め。」
彼…裕一君の毒舌はある種名物の様なものだ。
大樹もさほど気にした様子もなくケラケラと笑っている。
裕一君は私に向き直るとしげしげと私の顔を眺めた。
「西河、相変わらず綺麗な髪だな。」
「ありがとう。」
相変わらず女泣かせな男だ。
この顔でこんな言葉を言われれば、普通の女の子なら一瞬で心奪われるだろう。
もっとも私は義兄以外に興味はない上に、もし裕一君に興味を持ったとしても…
「散髪の際には是非とも一房頂きたいものだ…いてっ!」
岬という監視員がついているため、何人とも彼に近付くことは出来ない。
「岬…!何するんだ!?」
「裕ちゃん、それセクハラだし。第一彼女の目の前で女の子口説くかなぁ?普通。」
「く、口説いてなど…っ!」
岬は怒りに満ちた顔で裕一君の靴をかかとでグリグリと踏みつける。
岬と裕一君、二人もまた名物カップルとして学校内で有名だ。
裕一君も随分と変わった。
人間嫌い…特に女嫌いだった彼が岬と付き合ってから随分と人に対して柔らかくなったのは、今でも驚きだ。
彼の黒髪好きも有名な話だが、以前の彼なら私に自分から話し掛けてくることはなかっただろう。
岬も随分と逞しくなったようだし、えてして恋とは人を変えるものか。
「はっはっは!『毒舌王子』が見る陰もないなー。」
大樹は笑いながら二人を見ている。
「西河大樹…貴様っ!!っ痛い痛い!!」
「裕ちゃん?反省してるのかなぁ。」
「してるしてる!だから足を退けてくれ!!」
確かに見ていて笑える光景ではある。
彼らが付き合い始めた当初、誰も裕一君が尻に敷かれるとは思ってもみなかっただろう。
私も仲むつまじい二人をみて、少し暖かい気持ちになる。
ふと時計を見ると、いつの間にか時間は遅刻ギリギリまで差し迫っていた。
「岬、裕一君。先行く。」
私は直も痴話喧嘩を続ける二人に告げると、歩みを進める。
「あ、うん!先に行って。あたしはもう少し裕ちゃんに話があるから。」
「岬!?まだ何かあるのか!遅刻するぞ!」
「裕ちゃんは黙ってて!この間加藤さんの頭撫でてた時のこともしっかり聞かなきゃいけないんだから!」
…世間一般では彼らのような人達をバカップルと言うのだろう。
私は直も笑いながら二人を見ている大樹に声をかける。
「大樹。」
「あー、はいはい。もっと見てたかったなぁ。」
大樹は名残惜しそうに二人を眺めながら私の後に続く。
「野次馬は悪趣味。」
「むっ…。確かに…。」
大樹は私の横をトボトボと歩く。
変わらない日常。
一週間経ったぐらいでは、景色も人も、対した変化はない。
それを嬉しく思う反面、多少不安でもある。
義兄と過ごすこれからの数ヵ月間…彼の中で私の存在は、今よりも重要なものへと変われるのだろうか?
岬と裕一君を思い出す。
恋は人を変える。
私も段々と自分が変わっていっているのに気が付いていた。
「頑張ろう…。」
恋する女は無敵なのだと、誰かから聞いたことがある。
何があっても絶対に…負けない。
私は改めて決意を固めた。
ふと私は昨晩の大樹との会話通り、常に義兄のことを考えている自分に気付き、妙な気恥ずかしさを覚えた。
※デニス・ロッドマン→1980年代から1990年代にかけてNBAで活躍したプレイヤー。毎試合髪を染めていた。
彼らのその後の話を書きたいという願望もありましたので、自分の小説『Mask』の岬と裕一を出しました。
Maskを読んでいなくても全く問題ありませんが、多少気になった方は目を通していただくと嬉しいです。