デッドゲーム・4
一月二十六日(木)
PM 7:51
早紀と弘子が暮らす12階建てのデザイナーズマンションは、2LDKの広さと6Fから見える眺めを考えると二人で生活するには必要以上に十分満足出来るものだった。駅から若干離れているのが難だったが大抵の場合バスを利用すれば問題はなかった。時折バスが混みあう時があるときには歩く場合もあったが、それでも十五分程度の距離は気にならない。
周囲は同じようなマンションや住宅が立ち並ぶ住宅街で、夜になると人通りが減りあたりは静まり返る。
さすがに歩くような気分ではなかったためタクシーを使った。マンションに着く頃には早紀もいくぶん落ち着いてきていた。
2LDKのマンションを二人は一部屋づつ分けて使っている。
二人はマンションに戻るとすぐに早紀のPCをリビングに持ってきて電源をいれた。そしてインターネットに接続すると、あのホームページのアドレスを打ち込む。その間も早紀は興奮を押さえられずに部屋のなかをうろついた。やがて、あのホームページが表示されると二人は記事の隅から隅まで読み、デッド・ゲームと呼ばれるゲームの詳細を知ろうと務めた。しかし、デッド・ゲームに関するものはあの記事の他には多くは載っていなかった。その情報の少なさが余計に早紀を不安にさせていた。
弘子は脇で震える早紀を横目に見ながら携帯電話を手にした。
「どこにかけるの? 警察?」
その言葉に弘子は首を振った。
「ううん。警察はこんな記事をもとに動いちゃくれないわ。これが現実に行われているなんて証拠はどこにもないんだから」
「証拠って……これが何よりの証拠じゃないの! それに警察だってこのホームページを管理している会社を探してるって言ったじゃない!」
「こんなものただのホームページでしかないわ。こんなものを警察に連絡したところで何もしてなんてくれない。起こった犯罪にたいして何かしてくれるのが警察よ。まだ何も起きていない今、警察なんて何もしてくれないわ。今の法律ではインターネットの世界まで管理出来ないのが現実なのよ。早紀だってそのくらいわかってるでしょ」
早紀の苛立ちを押さえるように冷たく弘子は言った。確かにストーカー犯罪をはじめとする事件には警察の力が十分に及ばないものが多いことは早紀も知っていた。
「それじゃ――」
「とりあえずここに連絡してみましょう。ほら、一番下の部分に連絡先としてメールアドレスと電話番号が載っているわ。これが本当かどうかは知らないけどとりあえずかけてみるわ」
そう言って弘子はダイヤルを押した。
1回、2回、3回……10回鳴ってやっと相手が出た。
――……はい、カスプ社です。
どこか寝ぼけたような若い男の声が聞こえてきた。早紀もすぐに受話器に耳を押しあててた。
「あの、おたくで管理しているリスクというホームページについてちょっとお尋ねしたいことがあるんですが――」
「は? なんですって?」
「リスク……そちらで管理しているホームページですよね」
――リスク? あぁ……はい、どういった御用件でしょう。
ほんの少し男の声が緊張する。
「あのホームページのなかで扱っている[デッド・ゲーム]について教えていただきたいことがあるんです」
――ちょ、ちょっと待って下さい。失礼ですがあなたは? まさか警察?
疑うような声。
「いえ違います。そんなんじゃありません。実は今回のデッド・ゲームのなかで私の友人がターゲットに指定されているんです」
――ああ、そういうことですか。
警察じゃないと聞いて男は安心した声になった。
「なぜ友人がターゲットになったのか知りたいんです」
――つまり心配で電話してきたというわけですね……えっと……そのことならご心配いりません。大丈夫ですよ。
ガサガサと紙をめくるような音がする。
「大丈夫? どうしてそんなことが言えるんです? あれは何かの冗談ですか?」
――いえ、そういう意味じゃありませんよ。ゲームは実際に行われます。ホームページにも載せてあるように本人の申請じゃないと受け付けられないことになっています。ですから、今回も本人が進んで申し込まれたもので、本人も了解のうえですから。あなたが心配するようなことじゃないでしょう。
事務的な声で男は言った。
「そ、そのことなんです」
――え?
「彼女は申し込んだ憶えがないと言っているんです」
――な、なんですって? それどういうことです?
「どういうことって、それを聞きたいから電話したんじゃないですか?」
――え……しかし――。
「何がしかしなんですか? 命がかかっているのよ。それともあれはただの悪戯なの?
それならこっちも安心だけど……」
――いや……そういうことじゃないんですけど……まいったなあ。
「まいった? どういうこと?」
――いや……こんなことになるなんてまいったなあ。
男は困ったような声でつぶやいた。
「どういうことよ!」
思わず弘子の持つ受話器に口を寄せ叫んだ。男ののんびりとした口調がやけに腹立たしかった。
――あ……あれ? あなたは?
「私がターゲットに指定されたんです!」
苛立ちをぶちまけるように早紀は怒鳴った。
――あ、あなたがですか……。
「それで、まいったってどういうことですか? 困っているのはこっちです!」
――そう……ですよね。
「説明して下さい。どういうことなのか説明して下さい」
――説明って言われても……。あの、言いにくいんですが。俺はただのバイトなんですよ。俺はただマニュアルにそって電話に応対しているだけで……マニュアルにはさっき言ったように、応募は本人からの申請のもののみ受け付けて、その審査も厳正に行っているって書かれているんですよ。
「それじゃ係の人に変わって下さい」
――それが、いないんですよ。
「いない?」
――ええ、俺も実際には会ったこともないんですよ。
「それってどういうこと?」
――知っているかもしれませんが、このページってけっこう違法行為をしてるために警察に目をつけられてるんですよ。だから、俺みたいなバイトを雇って連絡を取れるようにしてるんですよ。
「でも、それなら連絡とることも出来るんでしょう。ページに載っているメールアドレスは? あれは本物?」
――ええ、本物ですけど、事務局のアドレスじゃないです。そのメールアドレスにメール送れば僕のところに届くことになってます。
「それじゃ、あなたどうやって連絡取り合ってるの?」
――事務局のアドレスは教えてもらってるんで……重要な件については事務局宛に転送します。
「他に連絡手段はないの?」
――緊急連絡用の電話番号は知ってますけど……よほどのことがないとかけちゃいけないことになってるんです。それにこっちがかけたからって必ず出てもらえるわけじゃないんですよ。
「それじゃそのメールアドレスと電話番号を教えてちょうだい」
――そ、そりゃ駄目ですよ。そんなことしたら僕が叱られます
「だったらどうしてさっきあんなこと言ったの? 本当に本人が申し込んだなんてことわからないでしょ」
――いや……さっきも言ったようにマニュアルがあって、電話がきたときにはそれに従って答えてるだけで……それで……
早紀の気迫に男はおどおどと答える。
「そこはどこなの? ホームページ上で応募先になっているのは郵便局留になっていてわからないわ」
――すいません、それも言えません。勘弁してください。
「デッド・ゲームに関することは一切わからないの?」
今度は弘子が受話器を掴んだ。
――あ、いや……まるっきりってわけじゃ……。
「はっきりしなさいよ!」
――いや、はっきり言うことは出来ないんですが、確か倉庫にいろんな資料が山になってるんでひょっとしたらそのなかにあるかもしれません。
「じゃあ調べて!」
――え?
「今度のこと、どうなっているか至急調べて下さい。ゲームが始まるまであと数日しかないんです。それまでに調べて下さい」
――え、ええ。わかりました。なるべく早く調べてみます
「あなた、名前は?」
再び早紀は受話器を弘子から取った。
――あ……中野です。あの、それでどのように連絡したらいいでしょう。
早紀は自分の携帯の電話番号を教えると電話を切った。見ず知らずの人間に携帯電話の番号を教えるのはあまり気持ちの良いものではなかったが、今はそんなことを言っていられる状況ではない。
「調べられるかしら?」
早紀は不安にかられて呟いた。
「さあ……」
弘子もこれから先どうしていいかわからないように視線を宙に漂わせた。その視線がふいに玄関のドア付近で止まった。帰ってきた時、慌てていたためリビングのドアが開けっ放しになって、玄関の郵便受けが見えている。そのなかに青い封筒が見えた。弘子は立ち上がって玄関に近づくと郵便受けに入っている封筒を手にした。
「何それ? 弘子に?」
「う……うん、ちょっと……」
弘子は言いにくそうに封筒を上着のポケットに押しこんだ。それが何なのか早紀には興味はなかった。それよりも今は自分にふりかかったことで頭がいっぱいだった。
一月二十六日(木)
PM11:49
月明かりのなか、灯かりもつけることなく、弘子はじっと床に座り考え続けていた。すでに深夜の三時を回っている。興奮気味だった早紀も今は弘子が普段使っている精神安定剤のおかげでぐっすりと寝入っているはずだ。
(デッド・ゲーム)
もともとそのゲームのことは弘子も知っていた。ただ、知ってはいたがこれほどまでに身近に感じることになるとは思っていなかった。ひんやりと冷たい空気のなか、弘子は自らの心がそれ以上に冷たくなっているような気がしていた。何よりも今、自分が手にしているものに狂気の冷たさを感じている。
なぜ私はこんなものを手にしているんだろう。
「御応募いただきありがとうございます。
今回のデッド・ゲームのカードマンにあなたを指名することが決定しました。
ルールに基づき成功をおさめるようがんばってください」
その通知の封筒の裏に書かれた「デッド・ゲーム事務局」の文字を見た瞬間、嫌な予感がしたのだ。一瞬、それは早紀のもとに届けられた通知かと思ったが、すぐにそれが自分宛であることに気付いて瞬間的に隠していた。
応募した記憶などなかった。
半年前、インターネットで雑誌の記事になるものを探していて偶然[risk]のページを見つけたのがデッド・ゲームを知ったきっかけだった。あの時はデッド・ゲームなどほんの冗談くらいにしか捕らえていなかった。そして、それっきりデッド・ゲームのことなどすっかり忘れてしまっていた。
(なぜ?)
今頃になって、しかも早紀がターゲットになった今回、自分がカードマンに選ばれたのか弘子には理解出来なかった。弘子と早紀がルームメイトであることをわかったうえで早紀をターゲットに、弘子をカードマンに指名したのだろうか。そして、誰が早紀と弘子をゲームに応募させたのだろう。
(いったい誰が?)
早紀がそんなものに応募するはずがない。そして、弘子にも覚えがない。だが、今はそんなことを調べているような場合ではない。これからどうするかを真剣に考えなければいけない。
(早紀に言ったほうがいいの?)
五人いるカードマンのうちの一人が弘子であることを早紀はどう思うだろう。もちろん早紀をターゲットとして狙う気持ちなど自分にはない。そう考えれば早紀の危険は減ることになる。早紀は喜ぶだろうか……
けれど、もし早紀が自分を心から信頼していないのならば……それはいつも身近に危険があると感じることになる。
(早紀は私を信頼してる?)
わからなかった。
友達としてずっと一緒に暮らしてきた。けれど、それはあくまで一般的な「友達」という形のものでしかない。もし、信頼してもらえなかったら……
カードマンであることを早紀に言うことなど出来ない。