デッドゲーム・3
一月二十六日(木)
PM6:15
仕事が終わり、早紀がその喫茶店に着いたのは六時を少し回った頃だった。事務職である早紀が残業になることはほとんどなかった。しかし、すでに着いているはずの弘子の姿はどこにも見当たらない。
(まだ来てないのかな……)
弘子が時間通りに来ないのはいつものことだ。
早紀はさほど気にもせずに窓際の席に着いた。
仕事柄なのか、それとも生来の性格なのか弘子は時間にかなりルーズなほうだった。弘子と知り合ったのは大学3年の時だったが、その頃から弘子は友達同志で集まることがあっても常に遅れてきていたように記憶している。逆に早紀は時間には厳しかったため、弘子に対し何度怒ったことかしれない。だが、いつも弘子はまったく気にすることもなく笑っていた。
生活費削減のため一緒に暮らそうと言い始めたのは弘子のほうからだった。当時、早紀は大学の寮で暮らしをしていたが、ちょうど東京での就職が決まりアパートを捜しているところだった。就職してからは実家の秋田からの仕送りも期待出来ず、いつも住宅情報誌片手に悩む毎日を送っていた。そのため弘子からの申し出は早紀にとっては非常に嬉しいものだった。弘子は長野出身で、もともと大学付近にあるアパートで一人暮らしをしていたが、その付近に建設されたばかりのマンションを気に入りルームメイトを捜していたのだ。生活をはじめる前はお互いの性格を考えると、うまくいかないのではないかと心配したこともある。だが、実際に暮らしてみるとお互いの性格の違いが、逆にうまくいく要因になってくれた。
弘子は早紀のように繊細ではなかったが、そのぶん早紀にとってはむしろ頼もしく思えることがあった。
――早紀は神経質すぎるのよ。少しは私みたいに寛容ならなきゃだめよ。
暮らしはじめた当初、よく弘子にそう言われたものだ。弘子の性格を『寛容』と表現するのが正しいかどうかは別として、自分が細かなことまで気にしすぎるというのは事実だろう。あまりに神経質な自分の性格を早紀は常々なおしたいと思っていた。だが、子供の頃からの性格はなかなかなおせず、いつも弘子を見ては羨ましく思うときすらあった。ただ、それでも弘子は部屋のドアを締め忘れたり、鍵を掛忘れたりすることがあり、涼子はそれだけはやめてほしいと思っていた。おかげで今では弘子が帰ってくるたびに玄関の鍵がかかっているかどうかをチェックする癖がついてしまった。
料理は当初当番制にしたが、いつの間にか生活の不規則な弘子が料理をすることはまったくなくなっていた。もともと料理が好きな早紀にとっては今ではキッチンは早紀が自由に使えるようになり、これも早紀にとっては暮らしやすかった。
ウェイトレスに紅茶を頼んでおいて早紀はぼんやりと道行く人々を見下ろした。
ごちゃごちゃといろいろな人々がさまざまな目的を持って歩いている。そんな当たり前のことが時折、早紀には不気味に思えることがあった。「田舎者の証拠よ」とふざけ半分に弘子に言われた。確かに早紀自身、都会での生活が自分にあわないのではないかと思うことはあったが、早紀が感じるのはもっと別の意味があった。つまりそこに歩く人々の量ではなく、恐怖はその人々の質にあるように思えるのだ。ついさっき道で擦れ違った人がどんな過去をもった人なのか、電車で隣に座った人がどんな思いをもった人なのかまったく早紀にはわからない。早紀にとってどんな意味がある人物なのかまったく思いもよらない。そんな形で自分の回りを一日に何十人、何百人の人々が過ぎ去って行く。そこにいくつもの危険が隠されているような気がしてならない。
ウェイトレスが紅茶を運んで来たのを期に、早紀は弘子が来るまでの時間つぶしに横に置いてあるPCへ手をのばした。
そして、いつものページのアドレスを打ち込む。
[risk]
(あ……)
ページのトップ画面がかわっている。
そして、[SPECIAL]という文字が踊っている。
早紀は迷う事無くその文字をクリックした。
画面が切り替わる。
その瞬間、早紀は目を疑った。
(?)
早紀の名前が写真とともに大きく載っている。
[NEXT TARGET]
大好評、デッド・ゲームの次回のターゲットがこの度決定しました。
次回のターゲットはF.Sさんです。某大手ソフトウェア企業に務める24歳の女性。趣味は音楽鑑賞、映画を観ること、そして絵を描くこと。こんな女性らしい彼女がカードマンたちから逃れることが出来るのでしょうか。
配当はまずは一対二十から始めます。ゲーム開始は二月一日からです。皆さんの予想をお待ちしています。
カードマンにはゲ-ム開始までに認定通知をお送りします。
(『デッド・ゲーム』? 『ターゲット』? な……何よこれ)
あっけに取られ早紀はその記事に見入った。イニシャルや年齢から考えても早紀のことに違いなかった。写真もいつどこで撮られたのかわからないが、これは早紀以外の何者でもない。通勤途中の写真だろうか。だが服装からみてここ一ヵ月くらいの間に撮られたもののようだ。
早紀は慌てて細かい記事に見入った。
[前回の結果]
前回のターゲット、N.Sさん(26)は見事カードマンたちから逃れ賞金を手にすることが出来ました。今月中に配当金は指定の銀行に振り込みます。
なお最終配当は三十二倍。ターゲットの勝利に賭けられたかたには払い戻金が支払われます。
[募集]
ターゲット及びカードマンを募集しています。指定の用紙に住所、氏名、年齢、職業、性別、ゲーム実施希望時期を書き込み、顔写真を添えて郵送してください。
賞金……五千万
ターゲットが生き残った場合にはターゲットへ、又はターゲットを仕留めたカードマンに支払われます。ただし、複数のカードマンによる共謀によってターゲットを仕留めた場合には賞金は支払われませんのでご注意ください。
注:ターゲット、カードマンの応募は本人のみの応募のみ有効です
(生き残る?)
早紀は改めて背筋に冷たいものが走るのを感じた。
つまりこの記事が事実だとすれば、どこの誰かわからない者が賞金目当てに早紀の命を狙うことになる。
今までまったく異世界と思ってきたホームページの世界に自分がいることが信じられなかった。
(こ、こんなことって……!)
『デッド・ゲーム』、つまり殺人ゲームではないか。何度見ても早紀はその記事を信じることが出来なかった。こんなことが今の日本で許されているはずがない。
(こんなことがありえるはずがない)
早紀はどうしていいかわからずに思わず立ち上がり店内を見回した。誰かが早紀をからかっているのではないか。そんなふうに考えると、どこかから誰かに見られている気がしてくる。しかし、店内に早紀の知る人物を見つけることは出来なかった。誰も早紀のことなど気にもとめていない。
(なんなの? いったい)
どうすることも出来ず早紀は再び席についた。
ちょうどその時、弘子が店に入ってくるのが見えた。早紀を見つけるとそばを通りすがったウェイトレスに注文してから近づいて来る。
「まぁた、こんなところでまでインターネット? どっかに良い男でもいたぁ? ちゃんと美味しいお店見つけてきたからね」
弘子は軽い口調で笑いながら歩いてきた。
「ひ……弘子」
「ごめんごめん、待った?」
弘子は濃紺のジャケットコートを脱いで椅子の背にかけると、べつに悪びれた様子もなく笑顔で早紀の向かいに座った。
「う……ううん」
「ちょっと会社に忘れ物しちゃって、一度戻っちゃったもんだから……どうしたの? なんか顔色良くないよ。具合悪いの?」
早紀の様子に気づき弘子が訊いた。
「ち、違うの」
(落ち着こう)
早紀は必死で自分を押さえようとした。それでも心臓はドキドキと高鳴っている。
「どうしたの?」
「これ――」
早紀はPCの画面を弘子に向けた。
弘子は早紀にうながされ黙って画面に見入っていたが、やがてゆっくりと顔をあげた。その顔は早紀以上に驚いている様子だった。
「こ、これって?」
「……私にも何がなんだかわかんないの」
「これ、早紀だよね」
確認するように弘子がつぶやく。
「うん」
「どうしてこんなところに早紀の写真が……でも、これって自分で応募することになってるよ。早紀……応募したの?」
「知らない……私こんなのに応募してないわよ。私がこんなものに応募するはずがないじゃない。だってつい最近までこんなホームページだって知らなかったんだもの。これってちゃんとしたものなの? 誰かが冗談で作ったようなものじゃないのかな? だって……だって、こんなゲーム実際にやってるわけないわよ。だって――」
しかし、その早紀の言葉を否定するように弘子は首を振った。
「……私、聞いたことある」
「え?」
「一年くらい前かな……私も会社の人に教えてもらったんだけど、これ、二年くらい前からネット上にあらわれたらしいよ。ただ内容が内容だけに警察も誰が作成しているのか捜してるって」
「それってどういうこと? じゃ、なんでそんなものが――」
言いかけたとき、ウェイトレスが弘子の注文した紅茶を運んできた。思わず二人とも黙り込みウェイトレスの動作をじっと見守る。
やがてウェイトレスが離れていくのを確認してから弘子がすぅっと深呼吸をしてから話しはじめた。
「このサイト、ネットではやけに人気があるらしいの。ほら、中身見てもわかるけど気軽にギャンブルが出来るようになってるでしょ。ただ、やっぱり違法なものだからあんまり一般には知られてないけど……だからネット上でも突然消えたり、あらわれたりしているんだって」
「だからってなんでそんなところに私の写真があるの? 私、こんなところに申し込んだことなんてないよ」
「それはわかんないよ……でも、この写真、画質も粗いしどっかで盗撮されたものかもしれない」
確かに最近ではカメラはどんどん小型化し、携帯電話にも精度の高いカメラが内蔵されているものが多く、いつどこで撮影されているかわかったものではない。
「そんな……それじゃ、みんな私のことを狙うわけ? みんな私を殺そうとするわけ? そんなのないよ」
涙が溢れそうになるのを早紀はぐっと堪えながらつぶやいた。
「早紀……」
「だって、だって――」
「落ち着いて早紀」
「どう落ち着けって言うの?!」
「早紀!」
思わず怒鳴った弘子の声に早紀はどきりと身をすくめた。店内の客も皆振り返り二人を驚いた様子で眺めている。
弘子は回りを気づかうように声を落として再び喋りはじめた。
「早紀、いい? 聞くのよ。これは確かにあなたにはショックなことだと思う。でもそんなに興奮しちゃ考えられることも考えられないじゃない。落ち着くの。落ち着いて考えましょう」
「考えるって?」
「……どうやって生き延びるかよ。まずはこの情報の真偽を確かめなくちゃ」
弘子はそう言うと紅茶をはじめて一口だけ飲むと立ち上がりコートに袖を通す。
「弘子……」
「さあ、行きましょう。帰って考えるのよ。大丈夫。きっといい考えが浮かぶわ」
そう言ってにっこりと微笑んだ弘子がやけに勇ましく見えた。