デッドゲーム・26
二月七日(火)
AM10:31
ここ数日降り続いていた雪も止み、カーテンの隙間からは久々に青空が覗いている。
さすがに今日は出社する気にはなれなかった。
昨夜飲んだ精神安定剤のせいだろうか。やけに身体がだるく未だに頭の奥が目覚めていないような感じがしている。
目覚めてはいたものの、何をする気にもならずにぼんやりとベッドの上に座っていた。弘子を見送り、鍵をかけたことを確認したあと、早紀はずっとこの状態のまま時間が過ぎるのを待っていた。ジーンズにトレーナー姿、休みの日でもスカートを履くことが多い早紀には珍しかった。左足と左の腰骨のあたりに大きな痣が出来ている。昨日、土居ともみ合ったときに出来たものだ。だが、身体の痣は時がたてば消えるくれるだろう。心にこびりついたこの暗い気持ちもいつか消えるときがくるのだろうか。
頭のなかには昨日の光景が何度も繰り返されている。
(人を殺した)
そして、何よりもカードマンに実際に襲われたことがショックだった。
ゲームが始まってから常に不安とともに生活してきた。だが、そんななかでもまだデッド・ゲームが常識では考えられない、ヴァーチャルな世界のなかだけのもののような気がしていた。
コールマンの存在も、たった2回の電話があったに過ぎない。
それが昨夜、カードマンの一人に襲われ命を落としかけたことで、早紀はデッド・ゲームを本当に現実のものと理解しなければいけなかった。
思い出すだけであの時の恐怖が身体のなかから蘇ってくる。
一晩眠り、全てが夢であって欲しいと願った。だが、すべてが現実であることを示すように昨夜、首を絞められたときの跡がうっすらと痣になっている。
(私はみんなに狙われてる)
部屋のカーテンを開けることも怖かった。
(あの男……土居俊平って言った……)
掃除人と名乗った男の言葉を思い出した。
間宮のリストに載っていない、その名前。あの人はなぜカードマンになどなったんだろう……
――おまえを殺せば……俺が助かる
やはり金のためなのだろうか。
あの鬼のような形相を思い出し、身体が震えた。眼鏡の奥に見えたあの目はまるで理性を失っていた。あれは人間の心のなかにある暗い闇の部分だ。そして、その男を殺してまでも助かろうとした自分の心の中にも同じような闇の部分はあるのかもしれない。
間宮はいったいどうしてしまったのだろう、と早紀は思った。
間宮がどこまで信頼出来るのか、今更ながらに早紀はわからなくなっていた。
間宮は二人との交渉は終わったと言っていた。そして、昨夜自分の手で一人のカードマンが命を落とした。
もし、間宮のリストが正しければあと一人名前のわからないカードマンがいる。
(残りは二人……?)
だが、それもすべて間宮の言っていたことが正しければの話だ。再びコールマンから電話がないとは限らない。ひょっとしたらまだあと四人のカードマンがどこかで早紀を狙っているかもしれない。
(怖い)
二度とこの部屋から出られないように思えた。
その時、携帯電話のアラームが鳴った。
携帯のディスプレイに映った知らない番号に早紀は一瞬電話に出ることを戸惑った。おそるおそる電話を開く。
「……はい……」
――あのぉ……藤谷さんですか?
若い男の声が聞こえる。そのおどおどした話し方は以前聞いた覚えがあったがすぐには思い出せなかった。
「はい……どちらさまですか?」
――あのぉ……中野です
「中野さん?」
――ゲームについて調べるよう言われましたよね
「ああ……」
やっと思い出した。デッド・ゲームを初めて知ったあの日の夜、ホームページに出ていた番号に電話したときのことを思い出した。
――遅くなってすいません。なかなか資料が見つからなくて……
「何かわかったんですか?」
――とりあえずあなたからの申込書が見つかりました。
「私、そんなの送ってません」
むっとした口調で早紀は抗議した。
――え……ええ、ただ、中身を見るとあなたの名前と住所、生年月日などがきちんと書かれていて印鑑も押されてますね。まあ、印鑑なんかはただの三文判ってこともありますけど、なかには銀行の口座番号までありますよ。
その声は『応募したのはあなたなんじゃありませんか?』と言っているように聞こえる。中野は電話ごしに確認のためにその内容を読みあげた。
「確かにそれに間違いはありませんけど……でも私じゃありませんよ」
――はぁ……ただ、これの消印がちょっと変なんですよ
「変っていうのは?」
――消印の日付は十二月十五日なんですけどね……投函されたのが北海道なんですよ。北海道の帯広。その頃、北海道に行かれましたか?
「北海道?」
その「北海道」という言葉に、頭のなかに一人の男の名前が浮かんだ。
(田代修一)
それは去年、十二月初めに北海道に転勤になった弘子の彼氏だった。大学時代からの付き合いで、早紀がいない時でも何度もこの部屋に遊びに来ている。
(まさか……彼が?)
そんなことを考えたくはなかったが、確かに田代ならば早紀がいないときにこっそりと早紀の部屋に入り、通帳を見ることも出来たかもしれない。申し込み用紙に印鑑を押すことも出来るだろう。
――もしもし、どうしました?
中野の声にはっとして我にかえった。
「え……いえ……もし、誰か別の人間が申し込んだということがわかればゲームは中止になるんですか?」
――あ、いや……それはなんとも言えません
「そう……」
早紀は肩を落とした。今からでもゲームを中止にして欲しかった。
――それと、昨日、僕のところに事務局からメールが入ったんです
「事務局?」
――はい、デッド・ゲームの事務局です。たまに何かあると僕のところにメールが来るんです。で、特別に今回ルール変更があるらしいんですよ。
「どんな変更ですか?」
――カードマンには当然ターゲットの情報として写真と名前が与えられます。ただ、ターゲットにはこれまでカードマンの情報は与えられませんでした。今回はテストケースとしてターゲット、つまりあなたにカードマンの名前をお知らせすることになったんです。
「今、教えてもらえるんですか?」
ちらりと間宮のくれた三人のカードマンが載っているリストを見た。情報がもらえれば間宮のリストが正しいかどうかを知ることが出来る。それが正しければ間宮の言葉を信用できる。
――今からあなたにメールを送ります
「アドレスは……」
――大丈夫、申込書に書込まれていますのでわかります。これは……PCのメールですよね。今からすぐにお送りしますので、内容を確認してください
「わかりました」
早紀は電話を切るとすぐにPCの電源をいれた。
PCが起動されると、急いでインターネットに接続した。
メールソフトを起動し、受信ボタンをクリックする。
一通のメールが飛び込んできた。
「ゲームルール変更について」というタイトルのついたメールがdeadgame@risk.co.jpというアドレスから送られてきている。
(このメールだ……)
早紀ははやる気持ちを押さえながらそのメールを開いた。
『この度、今回のゲーム・ルールに修正を加えたいと思います。
これまでターゲットには公開されなかったカードマンの名前を、公平をはかるため公開することとなりました。
カードマンは以下の五名です』
5人の名前が載っている。
木崎 勉
加東 静夫
今井 達夫
間宮のリストと同じ名前が並んでいる。間宮の情報が誤りではないことに早紀はほんの少しほっとした。間宮が二人と交渉成立させたと言ったのは本当なのかもしれない。
土居 瞬平
その名前を見た瞬間、昨夜のことが思い出され早紀は顔をしかめた。
そして……
次の名前に早紀は動けなくなった。
畑中 弘子
その名前が目のなかに飛び込んでくる。その名前が目のなかでバチバチと刺激物のように跳ねているような気がした。
(弘子……?)
目を疑った。
自分のことを心配し、自分を助けてくれていると思っていた弘子の名前がそこにあることに早紀はどう理解していいかわからなくなった。
(弘子がカードマン? そんな……嘘……どういうこと……どういうことなの……?)
一つの疑念の思いが、次々と広がりはじめる。
申込書の消印、そしてカードマンの弘子。
最悪のシナリオが頭のなかに描かれる。
(まさか……二人で私を? 私を助けるようなふりをして、ずっと私を狙ってたの?)
早紀は立ち上がると、頭をかかえて歩き出した。
(弘子……)
一緒に暮らしはじめて二年、早紀はこれまで何があっても弘子の部屋に無断で入ったことはなかった。だが、今はそんなマナーを考えてはいられない。真実を見つけなければいけない。
何かが隠されているような気がした。
ゲームのこと、そして間宮のことも。
振り返ってみると間宮と連絡を取れなくなっても弘子は決して慌てたりしなかった。ずっと落ち着き、どこかそれが当たり前とでもいうような顔をしていた。間宮と契約する時も弘子はずっと反対していた。
(自分がカードマンだったから……弘子はもっと何かを隠している)
早紀は弘子の部屋のドアを開けた。
足を踏み入れる。
将来的に作家になるのを目標にしている弘子の部屋の本棚には法律関係や医学書などという専門書が並んでいる。
(どこだろう……)
ゆっくりと部屋を見回した。弘子の性格は知っている。ちゃんと考えれば何かを隠すところもわかるはずだ。
飾りっけのないシンプルな部屋。物を隠すような場所は多くはなかった。
本棚、押入れ……
(弘子なら……)
早紀の視線が箪笥に止まった。
部屋のなかで一番簡単に目につく隠し場所。弘子が複雑な隠し場所を選ぶとは思えなかった。
箪笥を一つづつ調べていく。
やがて、早紀の手にゴツゴツとした鉄の固まりが当たった。
(なに……)
早紀はそれをおそるおそる取り出した。真っ黒な拳銃がその手に握られている。
はっとした。
(なぜこんなものが……?)
早紀はおそるおそる拳銃を箪笥の上においた。
その奥から封筒にはいった資料が出てくる。
ちらりと覗き、それがデッド・ゲームに関する資料であることがわかった。以前、間宮が持っていたものも含まれている。そして、間宮のものらしい手帳までがそこに押し込まれていた。
(間宮さん……)
早紀はその場に座り込むと封筒から資料を取り出した。
その一枚、一枚に目を通していく。
二月七日(火)
AM11:20
早紀が弘子の部屋で資料を見つめている姿を、[男]はモニター越しに満足そうに眺めていた。
(いいぞぉ)
その展開に思わず興奮して拳を握る。思わず声をあげたくなるのをグッと堪えた。
突然、テーブルの上に置かれた電話が鳴った。
[男]は椅子に座ったまま、手を伸ばしてテーブルの上の受話器を取った。
「はい」
――中野です。
それはデッド・ゲームの窓口として置かれた中野隆文からのものだった。
「どうした?」
興奮を隠すようにわざと声を低くして答える。
――たった今、早川早紀にカードマンのリストを送信しました。
「そうか」
目の前にあるモニターのなかには中野の姿も映っている。スナック菓子に手を伸ばしながら、いかにも真剣そうな声を出している。中野本人は知らないが、彼の行動も秘密裏に設置されたカメラから全てここで見ることが出来る。
ちゃんと仕事さえこなしてさえくれれば、仕事中の態度など文句を言うつもりはない。中野も今回のゲームでは一つの駒としてちゃんと動いてくれている。
――あれで本当に良かったんですか?
「何がだ?」
――これまでカードマンのリストをターゲットに公開したことはありませんでした。それにこの前も報告しましたけど、藤谷早紀は自分でターゲットに応募したことはないと言ってるんですよ。これが本当だったらルール違反になりますよ。
「ああ――わかっている。君は気にすることはないよ」
――はぁ
まだ何か言いたそうな中野を無視して[男]は電話を切った。
机の上に置かれたチョコレートの袋から一つ取り出して口のなかに放り込む。
(俺のやることに間違いはない)
面白いゲームを視聴者に提供する。それが自分の使命だと[男]は考えていた。そして、それには絶対的な自信がある。
第三者によってターゲットにされた女、カードマンに選ばれた友人。ターゲットを護るために現れた民間企業。ストーリーとしてはこれまでのゲームのなかで最高に面白いじゃないか。
こうやって自分の目でゲームを追いかけていれば、それがはっきりとわかる。
確かにルール上はターゲットもカードマンも本人からの申請が基本になっていることは[男]も知っている。だが、何よりもゲームが楽しくなるなら、ルールなど少しくらい曲げてもオーナーも許してくれるだろう。
(そのおかげでターゲットがこれほどまでに怯え苦しむ様子を撮ることが出来たじゃないか)
畑中弘子には少し申し訳ない気持ちもあるが、ゲームが楽しくなるならば客だってきっと喜ぶはずだ。自分自身の立場もきっと強いものに出来る、と[男]は考えていた。
(ターゲットがカードマンの正体に気づいた時何が起こるんだ?)
気持ちがはやる。
[男]はその全てを見ようとするようにモニターを食い入るように見つめた。
その時、目の前のランプが赤く灯り、呼び出し音が部屋のなかに響いた。




