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デッドゲーム  作者: けせらせら
24/29

デッドゲーム・24

 二月六日(月)

  PM 6:25


 奇跡を見るような気分だった。

 そこに天使がいるような思いがした。

 土居はその天使の存在に目を見張った。

(ターゲット……)

 五千万の価値を持つ女がそこにいる。その女が自分を今の窮地から救いだしてくれるはずだ。

 ドア付近で手すりに掴まる早紀の姿を見たとき、土居は興奮で思わず立ちあがった。早紀は他の乗客と同じようにぼんやりと目を外に向けている。

 土居は早紀に気づかれないようにそっとその背後に回った。すぐにでもその身体をぎゅっとつかまえたい衝動を押さえた。

(金さえあれば……)

 退職は避けられない状態にあった。今日もまた課長の佐賀から答えを出すように促された。

――明日まで待ってください……

 土井は賢明に頭をさげた。明日になったからといって今の状況が変わる当てなどなかった。ただ時間を延ばすだけでしかないことはわかっている。この不況のなか何の特技もない自分が再就職するのは簡単ではないだろう。それは誰よりもわかっている。

 だが、今、その状況を変えられるきっかけが目の前にある。

 洋子のことを思った。もし、銀行を辞めても五千万あれば、離婚されずに済むかもしれない。銀行をリストラになったことを告げずに、就職先を探すことも出来るだろう。

 じっと早紀の動きに目をこらした。

 これは最初で最後のチャンスかもしれない。

 土居はそうごくりと唾を飲んだ。


 二月六日(月)

  PM 6:31


 田川が待っていてくれることを祈っていた。

 階段の横に立って、早紀が改札を出ると軽く手をあげてくれた田川の存在を早紀は期待していた。

 だが、その期待はむなしく破られた。

 早紀はぼんやりとその場に立ち尽くした。

(どこへ行ってしまったんだろう……)

 先週の金曜以来、田川にも連絡を取れなくなってしまった。

 今日も時間をみては間宮に電話をいれてみたが、やはり電話に出ることはなかった。

 まるで二人に見捨てられてしまったようなみじめな気分だった。冷たい風が心のなかにまで吹き込んでくるような気がする。

 雪が舞う空をちらりと見上げた。

 タクシーで帰るつもりだったが、雪のためか人が列をなしている。バスも遅れているようだった。

(このくらいなら……)

 同じ方向へ歩いていく人もいる。

 Pコートのポケットに空いた右手をいれたまま、早紀はマンションへの道を歩き出した。

 歩道が雪でうっすらと白く染まっている。

 暗くなった道を雪がほんのりと明るく照らしているように思えた。

 5分ほど歩いたところで、早紀は妙な気配に気づいて振り返った。少し距離をあけて薄いステンカラーコートを着た会社員らしい男が歩いてくる。

(尾けられてる……?)

 気のせいだろうか。その男はさっきから妙にそわそわしながら、わざと歩調をゆるめているように思えた。

 早紀はほんの少し歩調を速めてみた。そして、気づかれないようにちらりと後ろを見た。二人の距離が変わっていない。

(やっぱり……)

 早紀は歩いて帰ろうとしたことを、今更ながらに後悔した。だが、今さら駅に戻るわけにもいかない。

 空車のタクシーも走ってはいない。

 今早紀がいるところからマンションまではスーパーもコンビニもなかった。

(どうしよう……)

 また少し歩いたところで振り返った。

 だが、そこに男の姿はなかった。

(違ったのかしら……)

 勘違いだったのだろうか。早紀を尾けていたわけではなかったのかもしれない。

 ほっとしてまた歩き出した。

 交差点の角に新築中のマンションがの前を通りすがった。すでに工事のほとんどは終了し、来月には売出しになるという噂を聞いていたが、まだマンション全体を包んでいる緑のカーテンはそのままの状態だった。

 その時だった。

 突然その緑のカーテンが開き、ぬっと手がそのなかから飛び出してきた。

 抵抗する間もなく早紀は口がふさがれ、そのまま身体をマンションのなかへとひきずりこまれた。

「うぅ……・!」

 恐怖心が頭のなかいっぱいになる。

(あの男だ)

 先回りして待ち伏せしていたのだ、ということはすぐにわかった。

 早紀は改めて駅から歩いたことを後悔した。そして、さっき男に気づいた時に安心したことも悔やんだ。いや、それ以前に決して無理せず会社など休んでしまえば良かったのかもしれない。

 マンションの玄関のドアはまだ工事が終わっていないらしくとりつけられていない。

 男はそのまま早紀をひきずるようにしてマンション内へと入っていった。

(殺される……)

 思わずその手に噛み付いた。

「うわぁ!」

 男が痛みで悲鳴をあげた。思わず男は早紀の身体をマンションの通路の壁に向かって叩き付けた。

「う!」

 壁にぶつけられ、早紀はその場に倒れた。

 男のゆがんだ顔がはっきりと見えた。

「誰……?」

 起き上がりながら早紀は震える声で聞いた。男もまた震えているのがわかる。「なんなのよ!」

 叫びながら、逃げ道を捜した。

 マンションの玄関の前には男が立っている。

 立ち上がると逆方向へ走り出した。すぐに男が追ってくるのがわかる。誰もいない暗いマンションのなか二人の走る足音が響いている。コートの襟を掴まれ、振り回される。

「いやぁ!」

 早紀はその手を振りほどこうとと暴れた。

 男の指がコートの襟から離れる。

 そのとたん、喉元に男の手が差し込まれた。壁に押し込まれ、男の両腕が早紀の喉元を締め上げはじめる。

「やめて……くるし……・い……やぁ……」

 男の必死の形相が目の前に見える。早紀は男の腕を離そうともがいたが、その腕は早紀の喉から離れはしない。

「おまえを……殺せば・・俺は救われるんだ……!」

 男が何を言ってるのかは理解出来なかった。ただ、その形相に早紀は全身で恐怖を感じ取っていた。

「いや……」

 男は早紀の身体を振りまわすようにして、床に仰向けに叩き付けた。

 馬乗りになり、いっそう締め上げてくる。

 頭の芯がぼんやりしてくる。

(殺される……)

 一瞬、死を覚悟した。

 その時、右手に何かが触れた。金属のようなもの……

(……ドライバー……)

 最後の力を振り絞るようにそれを男の顔めがけて叩き付けた。

「ぎゃぁーーーーーーーーーー!」

 男が悲鳴をあげて倒れた。

 喉に空気が入りこんでくる。

「げほ……げほ……」

 涙がこぼれた。

 早紀は這うようにして男から離れようとした。身体が自由に動かなかった。

 男はもがき苦しんでいる。目にドライバーが突きささっている。

 自分のやったことで男が死にかけている。

 男の苦しみはしだいに弱まっているのが見て取れた。おそらくこのままほうっておけば男はこのまま死を迎えるだろう。そして自分は殺人犯になる。

(警察に……連絡しないと……)

 早紀はポケットのなかから携帯電話を取り出した。

 その時――

「待て」

 背後から男の声が聞こえ、早紀ははっとして振り返った。

 一人の大柄な男がそこに立ち、早紀の様子を見つめている。その男の風貌に早紀は息を飲んだ。黒いコート、黒いサングラス、そして黒い帽子。

「あ……あの……」

「警察に連絡する必要はない」

 男はぼそりと言った。

「どうして……」

「ゲームの始末は俺の仕事だ」

「え……?」

「そいつはカードマンの土居瞬平。俺は[掃除人]だ。その男はゲームから脱落した。そいつの始末は俺がやる」

 そう言って男は早紀の横を通り過ぎると、苦しみもがいている土居に近づいていく。

「助けて……」

 土居が男に助けを求めて手を伸ばした。

「ああ……楽にしてやろう」

 そして、男ももがき苦しむ土居に向け手を延ばした。だが、男の手は喉元をぐっと押さえる。

「ぐぁ!」

 土居の身体が大きく跳ねた。

 男が手を話したとき、土居の身体はぴくりとも動かなくなっていた。

「ひ……」

 思わず声が漏れた。

 目の前で人が殺されたことに早紀は大きなショックを覚えた。

 男は早紀を振り返った。

「気にする必要はない。これがゲームだ。カードマンとターゲットは共に相手を殺す権利を持っている」

 必死に足に力をこめ、ふらふらと立ち上がった。まるで身体の動かし方を忘れてしまったかのように、手足が自由に動かない。

 一歩、二歩……少しでも遠くへ逃げたかった。足が縺れるのを無理やり動かしながら早紀はふらふらと歩いた。

 男はその場に立ったまま、じっとその早紀の様子を見つめている。

 必死に身体を動かした。

 マンションを抜け出すと、懸命に走りだした。冷たい雪が頬に触れた。いつのまにか雪のつぶが大きくなっている。

(違う……違う……こんなのは嘘だ!)

 必死に現実を否定しようとした。

 涙があふれた。

 自分が殺されかけたこと、そして自分がその相手を殺したことが早紀の心を狂わせていた。

(助けて……)

 今にも誰かが追ってくるような恐怖感がずっと心のなかにとどまっている。ひたすら早紀は走り続けた。マンションの部屋の光が見えても早紀は足を緩めなかった。

 マンションのなかにはいるとエレベータに飛び込んだ。

 激しい心臓の鼓動が聞こえてくる。

 エレベータの動きがやけにゆっくり感じられる。

(早く……早く……早く!)

 エレベータの動きが止まり、早紀は何かにせきたてられるように飛び出した。再びよろけるように部屋の前まで走るとドアにしがみ付くようにして開けた。

「早紀……?」

 部屋のなかに飛び込むとリビングから顔を覗かせた。早紀の様子に驚いている弘子の顔が見えた。無言のまま後ろ手で鍵をかけた。

「……弘・・子……」

 ずっと走ってきたためまともに言葉が発せられなかった。手が熱く、喉が痛かった。

 涙がボロボロとこぼれた。

「どうしたの……?」

 ふらふらと入ってきた早紀を弘子は茫然として見つめた。

 何かがあった。それは弘子にも判断出来た。

「弘子!」

 早紀は思わず弘子に抱きついた。

 声を出してなくのは高校の時以来だった。

 すべてを涙にして忘れてしまいたかった。


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