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デッドゲーム  作者: けせらせら
2/29

デッドゲーム・2

 一月二十六日(木)

  PM3:15


 携帯を閉じると弘子はちらりとワープロに迎う紅林孝の背中を見た。

 紅林は今弘子が担当している中高生向けの文芸誌の短篇小説を執筆している。半年前にその文芸誌の文学新人賞で受賞したのをきっかけに作家として売りだしはじめたばかりだった。『紅林孝』というのはペンネームで、本名は編集長しか教えられていないが、『孝』というのは本名らしい。以前はテレビ局に勤めていたこともあると聞いたことがある。

 売出しはじめたばかりの紅林が住むアパートの2LDKの一室はまだ狭く、不釣合いな買ったばかりの新品の大きなソファだけがスペースを取っている。隣にも8畳の部屋があるのだが、そこは何に使われているのか見せてもらった事はなかった。

 テーブルの上にはチョコレートの袋と昨日発売された住宅情報誌が置かれている。紅林がもっと広いマンションに引っ越すのも時間の問題だろう。

 弘子にとっても学生の頃から作家という職業は憧れだった。今、雑誌の編集者をしているのも、作家になれるチャンスを見つけるために他ならない。

 弘子自身もこれまで何本か作品を書いて文芸誌に送ったことがあったが、今のところ認めてくれるところはなかった。今でも空いた時間を見つけるとワープロに向かい、少しずつ書きためている。弘子が書きたいのは大人向けの純文学だった。その弘子にとって紅林の書く小説は陳腐な恋愛物としか映らなかったが、それでも紅林の小説は特に女子高生には絶大の人気がある。

 まだ原稿の締め切りではないが、たまに仕事の状況を見にくるのも大事な仕事だった。

 もう一人先月からはじめた映画紹介のコーナーを書いている映画評論家とこの後打ち合せをすることになっているが、それが終われば今日の予定は終わりになる。

 今日は久々に早く帰れそうだ。

「誰にメールしてたの?」

 ワープロに向う手を休め、紅林が振り返った。ニコニコと人懐こい笑顔で笑いながら弘子に視線を向ける。1日中、部屋のなかにいるせいか、いつもパジャマ姿のままで仕事をしている。

 この半年間、紅林の担当をしているうちに、紅林に対して妙な信頼感を持つようになっていた。紅林のほうも弘子には心を許してくれている。

「え? どうしてメールしてたのがわかったの?」

 弘子は顔をあげて答えた。お互い作家と編集者としての間柄というよりも、今ではただの友達のような口調になっている。

「うん、鏡にうつってたよ」

 紅林は机の上に置かれた鏡を指差した。

「なんだ、仕事してたんじゃなかったの?」

「してるよ。ねえ、誰にメールしてたの?」

 そう言いながら手を伸ばしてテーブルの上に置かれたチョコレートを一つ取って口にいれる。甘党の紅林の部屋にはいつも何種類かのチョコレートが用意されている。

「友達。前に話したでしょ。友達と一緒に住んでるって」

「へぇ、彼氏かと思った」

 紅林はからかうように笑った。「確か北海道に転勤になったんでしょ」

 弘子は紅林に、恋人である田代修一が12月に北海道に転勤になったことを以前話したことがあった。

「よくそんなこと憶えてるわね。でも違うよ。あいつからは全然だから」

「まだ連絡こないの?」

「そうだね……ま、いろいろあったからね。しょうがないよ」

 転勤後、修一からの連絡はぷっつりと来なくなった。

 学生の頃からつきあいはじめて二年、転勤前には何度も喧嘩もしたし、別れ話が出ていたこともあって、弘子はすでに修一とのことは諦めていた。

(見送りにすら行ってあげなかったもんなぁ)

 正直、もう修一に対する愛情は当の昔になくなっている。

 修一は大学卒業後、電気メーカーに就職したのだがその頃から少しずつ弘子とはズレが生じはじめた。その一つの理由が修一の金銭感覚だった。修一が北海道に行ったのも、『転勤』とは言っていたが、実際には同僚との金銭トラブルが原因で子会社へ出向させられたのだということを弘子は友人を通して聞いていた。学生の頃から賭事が好きだったが、それが社会人になって悪化したらしい。

 修一との間もこのまま自然消滅となるのかもしれない。寂しい気持ちもしたが、もう元のような関係に戻る事はないだろう。

「それじゃ、俺、立候補しようかな」

 本気なのか冗談なのかはわからないが紅林はそう言ってニコリと微笑んで見せた。妙に人懐こいその笑顔に弘子はほんの少しドキリとした。

「何言ってるのよ。私、年下はだめだよ。それにタカボーの好みは私みたいな女じゃないでしょ」

「そんなことないよ。弘子姉のこと俺は好きだよ」

 臆面もなく紅林は言った。

「冗談やめてよ。タカボーの好みはもっと女の子っぽい人でしょ。さあ、くだらない話は終わりにして仕事してよ」

 照れを隠すように弘子は笑った。紅林もそれに応えるように肩をすくめて再びワープロに向かい始めた。

(よく恥ずかしくもなくそんなこと言うわね)

 紅林の背中を見ながらふっと微笑む。

 もし、さっきの紅林の言葉が本気ならば考えてみてもいいかもしれない。今はまだ新人作家として収入はそれほど多くはないが、それでも少なくとも修一よりはよほど頼れるだろう。

 弘子は鞄から手鏡を出すと、ちらりと自分の顔を見てその薄い唇にグロスを塗りなおした。細面な端正な顔立ちがそこにうつっている。高校生の頃、何度か後輩の女生徒からラブレターをもらったことがある。まるで自分が宝塚のスターのようにでもなったような気持ちになったものだ。

 それに対し早紀は色白でぽっちゃりとした顔立ち。女の弘子から見ても早紀はかわいいと思える。きっと早紀のほうが紅林の好みだろう。男の目から見ても男っぽい感じの自分のような女よりも早紀のような色白でかわいい感じの女性が魅力にうつるに決まっている。コンプレックスというほどのものではなかったが、それでも弘子は常に早紀を思うたびにその容姿を羨ましかった。そして、それと同時に早紀に対してまるで保護者のような気持ちも持っていた。


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