デッドゲーム・18
二月三日(金)
AM10:30
朝、通勤途中に間宮からの電話を受けたとき、弘子は間宮が何かを掴んだのだということを予想出来た。
――あなたとお話したいことがあるんですよ
その声に弘子は間違いなく自分がカードマンだということを間宮が知ったのだと予想した。間宮がどのようにしてその情報を得たのか、それも想像が出来た。
早紀には『交渉』という言葉で伝えているが、間宮はおそらく他のカードマンである木崎と加東を殺しているのだろう。
間宮は自分のことも殺すつもりだろうか……
弘子は考えたうえ、間宮とマンションで会うことにした。
早紀はすでに仕事に向かったことだろう。弘子は電車を降りると会社に今日も休むことを詫び、急ぎマンションに戻ったのだった。
マンションに戻り三十分が過ぎた頃、やがて、インターホンが鳴った。
「はい……」
――間宮です
インターホンのカメラに間宮の顔が映し出されている。
弘子は大きく深呼吸をしてからドアを開けた。
いきなり殺されることはないだろう……
「おはようございます」
銀縁眼鏡の間宮が笑顔を見せた。その笑顔が今日は格別に嫌みに見えた。
「……今日はどうしたんです?」
「ぜひあなたと話がしたいんですよ」
間宮は靴を脱ぐとちらりと弘子の顔を見ながらリビングへと入っていった。
(やっぱり……)
間宮は確実に弘子がカードマンであることを知っている。間宮の表情と言葉から弘子はそう感じ取った。
リビングのソファに腰をおろすと間宮は正面に座った弘子に座って口を開いた。
「何の話かわかっているようですね」
「さあ……」
「今更とぼけなくてもいいでしょう」
「べつにとぼけてるつもりはありませんよ。何の話です?」
心のなかを覗かれそうな気がして目をあわせるのが怖かった。
「あなたと私の共通点。そう当然ゲームの話ですよ。昨日、私はおもしろい資料を見つけたんです」
間宮はカバンのなかから一枚の資料を取出し、弘子の前にだした。「これを見てもらえませんか?」
そのなかに自分の名前があることを弘子はすぐに気付いた。そして、それが何の資料なのかも弘子にはわかった。
「あなたの名前がありますね」
「……ええ、そうね」
「これがなんなのかわかりますよね」
間宮はじっと弘子の顔を見たまま視線をそらそうとしない。まるで弘子の反応を楽しんでいるようにも思える。
弘子は何も言えなかった。
そんな弘子に間宮はさらに言った。
「カードマンのリストですよ。なぜこのなかにあなたの名前が書かれているんです?」
間宮の追求に弘子はじっとどうすべきかを思案していた。
二月三日(金)
AM10:45
土居は会議室の前に立つとハンカチで手の汗をぬぐいとった。
課長の佐賀からの電話で会議室に呼ばれたとき、土居の背中から冷水をかけられたような気分になった。
(やっぱり……)
佐賀の話は聞くまでもないだろう。
再び、リストラの話をされるだけのことだ。今度はどう責められるのだろう。
土居はふっとため息をつくとドアを開いた。
課長の佐賀が座っている。そして、その隣には部長の河井までが座っている。
(部長……?)
事態が微妙に変化していることに土居は気付いた。
「座りなさい」
佐賀は静かなトーンで声をかけた。
「はい……」
言葉に従い、土居は席についた。河井の方を見たが、河井は腕を組み何も言おうとはしなかった。河合は長身で頬がこけたように窪み、やたら目つきが鋭い男だった。その容貌と仕事の厳しさから『剃刀』と呼ばれ、行員たちは皆怖がっていた。
口を開いたのは佐賀のほうだった。
「さっそくだけど――」
そう言って佐賀は身を乗り出した。「しつこいと言われるかもしれないが、先日の話だが……君の気持ちに変わりはないかい?」
土居はちらりと河井を見た。河井は何も言わずじっと佐賀と土居とのやりとりを見つめている。
「はい……変わりありません」
「つまり辞める意志はないということだね?」
「は……はい……私はこの会社のために働いていきたいと--」
懸命に訴えようとした。
「わかったわかった、もういいよ」
佐賀は手を軽くあげて土居の言葉を切った。
「……それはどういう意味でしょう?」
「君が辞めたくないというものを会社が無理に辞めさせるわけにはいかないだろう」
「本当ですか?」
「もちろん」
「ありがとうございます」
佐賀の言葉に土居は深く頭をさげた。
「ただね……このままというわけにはいかないよ」
ふいに河井が言葉を発した。その言葉に嫌な予感がした。
「それは……?」
思わず顔をあげて河井の顔を見た。
「銀行は経済の心臓だ。たえずきれいな血液……つまり資金を市場に流すのが我々の仕事だ。だからこそ、これまでは銀行がつぶれるわけがないと言われてきた。だが、これからは違う。わかるね」
「……はい」
土井は大人しく肯いた。土居にもそのくらいはわかっている。バブル崩壊後、銀行や信用金庫がいくつか潰れている。
「我々は利益をあげる必要がある。そして、利益を出せる人間こそが銀行にも必要なんだ。だが、君が今の仕事を今の状態で続けて利益があがるとは考えられない」
「が……がんばります……」
「まだ君はわかっていないようだね。私は君にがんばることなど要求はしていない」
「え?」
「要は結果を出すことだ。がんばるだけで済むものならばこんな話はしないよ。がんばるのは当たり前。結果が伴わない努力など意味はないんだよ。我々だっていじわるでこんな話をしてるわけじゃないんだ。わかるね」
「……はい」
「君には別の支店に移ってもらうよ」
「転勤ですか? どこへ?」
「シンガポールへ移ってもらう」
その言葉に愕然とした。そもそもそんなところに支店などあっただろうか。
「シンガポールですか……どうして……?」
「今、言ったはずだよ。君がここにいても利益があがらない」
「で、でもなぜ国外なんです? なぜシンガポールなんです? シンガポールに支店などありましたか?」
土居は食い下がった。辞表を素直に出そうとしない自分に対する嫌がらせに決まっている。その土居のことを河井は蔑むような目で見た。
「君が支店を作りに行くんだ。これは栄転だよ。従業員は現地の人間を使いたまえ」
「そんな……そんなこと私に出来るわけ――」
「君にそれだけの力があれば、2年後、再び本社に戻そう」
土居は言葉を失った。そんなことが自分に出来るはずがないのはわかっている。
黙っている土居に対して河井はさらに言った。
「君は自分がどれほどの価値があると思っているんだ?」
「そ、それは……」
「それを考えて言ってもらいたいな。いずれにしてもこれは会社命令だ。これを断る権利は君にはないよ。もちろん転勤まで拒むつもりならば、その時は会社を辞めてもらうしかないがね」
河井はそう言うと立ち上がった。佐賀も土居の肩をぽんと叩いた。
「よく考えなさい」
その言葉が遠くに聞こえていた。
(洋子はなんと言うだろう……)
妻の顔が頭のなかにうかんでいた。
二月三日(金)
AM10:43
小さなマンションの一室。
その部屋の壁一面にはまるで警備室のモニター室のようにテレビが何台も設置されている。そのテレビの一つには早川早紀の姿が映っている。ゲームが始まる前からずっと早紀と弘子の二人の行動はビデオに記録されている。
そのモニターの一つに弘子と間宮の姿が映し出されている。
(あいつ……やりすぎだな)
[男]はその間宮の姿を憎憎しげにじっと見つめ、目の前に置かれたマイクのスイッチを入れた。
「ゼロ、いるか?」
『ああ』
ぼそりとスピーカーから反応がある。
「間宮という男、少しやりすぎたようだ。消せ」
反応がない。
「おい、ゼロ、聞いてるのか?」
一瞬の沈黙のあと声が聞こえる。
『ああ、聞こえてる』
「だったら、さっさと消せよ!」
それだけ言うと苛立ちをぶつけるように荒々しくマイクのスイッチを切った。
(くそ!)
[男]は再びモニターに視線を移した。
少しでもデッド・ゲームに関わりそうな人間たちの姿は[覗き屋]と呼ばれる者たちによって監視され、全てこの部屋のモニターに映し出されてくるようになっている。そして、ゲームを邪魔するような存在は[掃除人]と呼ばれる男によって消し去られる。ここに集められてくる映像を見ながら、[覗き屋]や[掃除人]に指示をかける。ゲームをより一層楽しくさせるのが[男]の仕事だった。
『ゼロ』というのは[掃除人]たちをまとめる一人の男の通称だ。
デッド・ゲームの状況は全てこの部屋に集められ、ビデオに記録される。そのビデオテープは多くの会員に配られる事になっている。そのなかには政治家もいれば、映画スターもいる。皆、本当の『殺人』を見たがっている。
決して警察が手を出す事は出来ない。なにしろ会員のなかには現職の警察庁長官も含まれているのだ。これまでも何度か現場の警察官によって、摘発されそうになったことはあるが、決まって上からの圧力で捜査は中断されている。
(ゲームは金になる)
[男]がこの仕事をはじめてつくづく感じた事だった。
もともとこんな仕事をやっていたわけじゃない。もともとはある放送局のADだった。専門学校を卒業後、自分の番組を持つことを夢見てテレビ局に入社したのはほんの2年前のことだ。ところがある日突然、会社をリストラされ、職を捜していた時にこの仕事に出会った。
この仕事をはじめてまだ1年。今では他にも仕事を持っている。それでも、今ではすっかりこの仕事に染まっている。何よりも全てを自分の手のなかに掌握出来ているようなこの気分は悪くない。
(そうだ俺には力がある)
これまでの人生、決して楽しいものではなかった。
学生時代は苛められ、好きな女にも決して振り向いてはもらえなかった。就職したテレビ局でもすぐに役立たずと罵られてリストラされた。
そんな時に見つけたのがこの仕事だ。
この力で世の中の全てに復讐してやりたい。
だが、気をつけなければいけない。自分もこのゲームの運営者に過ぎない。もともと[男]がこの仕事を始めたときにはデッド・ゲームは確立されていた。デッド・ゲームを創ったクリエーターやオーナーは別にいる。[男]は単なる雇われてデッド・ゲームを運用管理するだけの存在に過ぎない。
[覗き屋]も[掃除人]もオーナーに仕えている者たちで、[男]の配下の者たちではない。[男]がこの仕事に就く前に、オーナーに使えていた運営者もある事件をきっかけに消されることになったのだと聞いたことがある。自分もまたそうならないとは言い切れない。[掃除人]の手にかかれば、自分の存在などいとも簡単に消されてしまうということは[男]にもわかっている。行方不明となってどこか地中深く埋められるか、冷たくなって発見され病死として処理されるか、いずれにしてもそれが事件として扱われることはないだろう。
そういう意味では[覗き屋]も[掃除人]も[男]よりも強い立場にいるということになるのかもしれない。[男]にはそれが気に入らなかった。常日頃から[男]は『ゼロ』と呼ばれる[掃除人]の一人を忌々しく思っていた。
(あの野郎……いつか追い落としてやる)
[男]はその全てを見ようとするように、モニターを食い入るように見つめた。