デッドゲーム・17
二月二日(木)
PM 8:40
暗闇にネオンが瞬いている。
そのネオンの脇を通り過ぎながら、山岸は足早に歩いていた。
藤堂恭一郎のことを調べるため、警視庁時代の同僚などを訪ね歩いてみたが、結局、刑事を辞めた事情や辞めた後の足取りまでを知る事は出来なかった。
残す手掛かりはやはりあの写真だけだ。
(思い出したぞ)
昼間、藤堂恭一郎の母親が見せてくれた写真に写っていた男。それはかつて若くして経済界に君臨した桜庭雄一郎に他ならない。
ほとんどメディアの前に姿を現さなかったため、山岸もすぐには思い出せなかったが、桜庭ほど裏社会との繋がりを持った経済人はいないと言われている。
桜庭財閥を若くして率い、その力は政治の世界から闇の世界まで広く浸透していた。
3年前に突然、社長の椅子を弟に譲り渡し、その後は表の世界からは一切姿を消した。だが、その力は今でもあちらこちらに及んでいるはずだ。
山岸は細い路地に入ったところにある小さな居酒屋の暖簾をくぐった。
「いらっしゃい」
カウンターのなかから店主の声が聞こえてくる。「――テーブル席は一杯ですので、どうぞカウンターの方へ」
その声を無視して、山岸は店内を見回した。店内には若い学生らしい姿が数人とサラリーマン、そして――
(いた)
山岸はその店の一番奥のテーブルに一人で酒を飲んでいる若い男の姿を見つけると、ツカツカと近寄っていった。
「おい、カラス」
そう声をかけながら山岸は男の前に座った。
「ん?」
カラスと呼ばれた男が顔をあげて山岸の顔を見た。「なんだ、山岸の旦那か」
男は『カラス』と呼ばれる情報屋だった。元はれっきとした新聞記者だったが、今では闇の世界を嗅ぎ回り、警察や山岸たちマスコミに情報を流すことを生業としている。歳は山岸よりもずっと年上だったが、カラスは山岸のことを『山岸の旦那』と呼んでいた。カラスにとっては客となる者全てが『旦那』なのだろう。
「ちょっと教えてもらいたいことがあるんだ」
「なんだよ。人が良い気持ちで飲んでるってえのにさ」
カラスはそう言ってここ数日間洗っていないようなぼさぼさの頭を掻いた。カラスがどこに寝泊りしているのかは誰も知らない。カラスに用事があるときは、飲み屋を捜し歩くことになる。
「そいつは悪かったな。ちょっと急ぎの用でね」
「何です? 面倒なことなら今はごめんですよ。金なら足りてますから」
コップ酒をぐいと飲みながらカラスは言った。
「知ってることを教えてくれるだけでいいよ」
「何が知りたいんです?」
「桜庭雄一郎のことをね」
「桜庭ぁ? 珍しい名前を出すもんですね。やつぁもうすっかり地面のなか。お天道さんの当たるところには出てきませんよ」
そう言ってカラスは笑った。「いったい今ごろ桜庭の何を調べようっていうんですか?」
「桜庭と『デッド・ゲーム』の関係を」
引っ掛けのつもりだった。まだ『デッド・ゲーム』と藤堂の関係も掴めていない。藤堂と桜庭だって、ただ一枚の写真が残されているだけだ。
だが、その山岸の言葉にカラスの顔色がみるみるうちに変わっていく。
「な……なんで……あんた、そんなものに……」
そのカラスの表情に山岸は喜んだ。
(やったぞ)
間違いなく桜庭と『デッド・ゲーム』は繋がっている。そして、おそらくその繋がりのなかに藤堂恭一郎も存在しているのだ。となると、きっと藤堂恭一郎が失踪したこともデッド・ゲームが原因かもしれない。
『デッド・ゲーム』に対する恐怖心よりもジャーナリストとしての使命感が山岸の心を占めていた。
「教えてくれ。デッド・ゲームについて知りたいんだ」
「ば……バカなこと言うもんじゃないよ」
カラスは周囲を見回してから声を潜めて言った。
「おまえ、桜庭について……いや、デッド・ゲームについて知ってるんだろう?」
「やめてくれ。あんたは死にたいのか?」
カラスはそう言って席を立とうとした。明らかにカラスは何かを怖がっている。
「何を怖がってるんだ? いったいおまえは何を知ってるんだ?」
山岸は立ち上がろうとするカラスのジャケットの襟を握ると、無理やり座らせて顔を近づけた。ぷんと酒の匂いがしたが、カラスの顔からは酔いは消えている。その表情は硬く、赤くなった目はおどおどしている。
「放してくれ……俺は何も知らない」
ぐっと唇をかみ締めてカラスは言った。
「そうかい……」
山岸はその手を放した。「なら、仕方ないな……あんたがそこまで拒むならこっちにも考えがある」
「おい……何をする気だ」
「あんたの名前を使ってデッド・ゲームに関する記事を書いてネットで配信する」
山岸はカラスの本名を知っていた。以前、二人で飲んだ時にカラスが偶然口を滑らしたのだ。
「おい……やめてくれ……そんなことしたら俺は殺される」
「おまえが喋らないからだろ?」
「脅すつもりなのか?」
カラスの目は心のそこから怯えているように見える。
「何を怖がっているんだ?」
「怖い? あたりまえじゃないか……あんた、へたなものに手を出すと殺されることになりますよ」
「殺される? やはりあれは国営のゲームなのか?」
「国営? 何言ってるんだ? いかに権力があっても国が人殺しなんてやるわけないだろう」
「じゃあいったい誰に殺されるんだ? 桜庭にか?」
その問いかけにカラスは観念したように口を開いた。
「……[掃除人]に」
「なんだ、それは?」
「デッド・ゲームの番人だ……あんただってゲームの概要くらいは知ってるんだろ?」
「ああ、一人のターゲットを一定期間の間にカードマンと呼ばれる奴等が殺すんだろ? それが出来るかどうか賭けの対象にするんだよな」
「そのゲームの違反者やゲームの妨げになる者を排除するのが[掃除人]の役割だ。他にもゲームの状況を監視する[覗き屋]もいれば、ゲームのなかで死んだやつらを片付ける[ゴミ屋]もいる……なんでも身体を全て細切れにして家畜に食わせちまうんだそうだ」
「桜庭は?」
「そのオーナーって言われてる」
「藤堂恭一郎はゲームのなかでは何をしているんだ?」
「藤堂? 誰だ、そいつは?」
どうやら藤堂のことまではカラスも知らないようだ。やはりゲームの内情を知るには桜庭雄一郎に近づくほかなさそうだ。
「桜庭に接触できないかな」
「何をバカなことを……あんた本当に殺されるぞ」
「やっぱ無理か」
「なぜこんなことに首を突っ込むんだ?」
「ちょっとな……おまえはゲームのことをどうやって知ったんだ?」
「俺だってゲームについては人づてに聞いただけだ」
「そいつを紹介してくれないか?」
「それは無理だ。そいつは他のやつにも面白半分に喋ったんだろう……俺に話してくれた二日後に死んだ」
「殺されたのか?」
「ああ……遺体はバラバラにされたんだ……」
「ニュースになった事件か?」
「いや……」
「ならどうしてバラバラにされたなんてわかるんだ?」
「奴は見せしめとして殺されたんだ。おそらくそいつが喋ったやつら全員にそのバラバラにされた体の一部が送られた……俺には手首の部分が……」
ぐっと声を詰まらせてカラスは言った。その話にさすがに山岸も胃のあたりを鷲づかみにされたような気分になった。「バカなことは考えるなよ。もうゲームのことは忘れることだ」
カラスは唇を震わせながら言った。
二月三日(金)
AM 4:11
コーヒーを飲みながら、間宮はずっとPCの画面に向かっていた。
すでに四分の三ほどのディスクまで解析が終わっている。相変わらずデッド・ゲームの情報には辿り着いてはいない。まる一日のPC相手の作業にさすがに間宮も疲労を隠せなかった。ディスプレイの光が目の奥まで届き、その疲れによってジンジンと痛んでいる。だが、間宮は休もうとしなかった。間宮はこのディスクの山のなかに大きなビジネスチャンスが隠されていると信じていた。
間宮には野心があった。決して父のように会社の歯車にはなりたくない。自分の会社を持ちそれを成功させる。それだけの力を持ちたかった。この仕事をクリアすることはその目標に向けての大きな一歩になる。デッド・ゲームにはそれだけの力がある。そう確信していた。
間宮は機械的にマウスを動かし、次から次へとファイルを検索して行く。
そして――
(これは……?)
そのファイルを見た瞬間、間宮の手が止まった。
『藤谷早紀』の名前がそこにあった。思わず目が吸い寄せられる。
早紀について間宮が驚くほど詳細な情報がそこに記されている。勤務先の会社名や出身大学はもちろん、大学時代の成績までも。早紀についての情報が詳しく資料としてまとめられている。間宮の会社の情報システム部でもこれだけの情報を集めることは簡単には出来ないだろう。
(すごいな)
その情報収集能力に間宮は木崎を殺したことをほんの少し後悔した。これだけの情報収集能力があれば……。だが、すでに木崎はパソコンの電源一ついれることは出来なくなっている。
間宮はさらにそのファイルを読んでいった。
コールマン・木崎、ドッグ・河東の名前がそこにあった。
カードマンのリストだ。やはり木崎はデッド・ゲームに関する情報をインターネットから取得していたのだ。カードマン一人一人の情報についてまでも木崎は細かく資料にしてあった。間宮がまだ掴んでいない情報までがある。思わず喜びで叫び声をあげたくなる衝動にかられた。
(間違いない……これだ!)
そう思った次の瞬間、間宮の顔が歪んだ。
そこにある名前に間宮は驚きを隠せなかった。予想もしない名前の存在に思わずコーヒーカップを手から落としそうになった。
(なんてこった……)
そこにはまぎれもなく「畑中弘子」の名前が記されている。他のカードマンよりは情報は少なかったが、それでも必要十分の情報がそこには載っている。
あの女がカードマン? さすがに間宮もその事実をすぐには受け入れられなかった。間違ったのだろうか。このファイルではないのだろうか。
コーヒーを一気にぐっと飲み干し、首をぐるりとまわした。ポキリと首の音が鳴るのが聞こえる。
間宮は改めてファイルを見なおした。
だが、明らかにそれは今回のデッド・ゲームにおけるカードマンのリストに違いなかった。
初めて会った時、自分を訝しげに見た弘子の顔を思い出した。
もし、それが事実だとすれば……
(おもしろいことになる……)
間宮はもう一人のカードマンの名前を見た。
「土居瞬平(31)……銀行員」
そこには土居の住所や勤めている銀行名などが載っている。
(ふぅん……銀行員か……)
これなら問題はないだろう。急ぐ必要はない。それに銀行員ならば交渉のやり方ももっと変わってくる。銀行員ならばそれなりの立場もあるだろう。デッド・ゲームに参加していること自体隠そうとするだろう。それならばむしろ良い金蔓になってくれるかもしれない。それにもし万が一この男が早紀を狙おうとしても田川がいれば手を出せるはずがない。
それよりも――
弘子のことが気になった。
あの女は本当に彼女を殺すつもりなのか……?
本当に殺すつもりならばもっと早く殺していることだろう。カードマンになったのはただの偶然なのだろうか……
間宮はその資料をプリンタに出力した。
(明日が楽しみだな)
リストを出力し終わると間宮はPCの電源を落とした。一日中PCのディスプレイを見続け、さすがに疲れている。残りのファイルは明日、弘子と話してから見ればいいと思った。
もし、もっと他のファイルをまでも詳しく調べていれば間宮はデッド・ゲームから手をひいたかもしれない。
間宮は明日起こることを予測出来ずにいた。