デッドゲーム・15
二月二日(木)
AM10:23
カーテンの隙間から飛び込んでくる朝の光がやけに眩しく感じられる。
間宮はやっと目覚めると、ソファからゆっくりと起き上がった。身体が痛かった。昨夜はかなり遅くまで仕事がかかってしまった。疲れて帰ってソファで横になったまま眠ってしまったのだろう。
立ち上がるとカーテンを全開にした。
高層マンションの11F。街を一望出来るこの景色が何よりも好きだった。この景色を見ることで自分を高められるような気がしてくる。本来、決して給料だけで買えるような部屋ではなかったが、間宮には裏に通じる顔があった。昼間、仕事を通じて得た情報を暴力団関係者に流すことで多額の報酬を得ることが出来ていた。
ふと昨夜、加東を殺したことを思い出していた。
公園脇で声をかけた。
――デッド・ゲームについて話をしないか?
その言葉に加東はすぐに興味を示した。公園内の目立たない場所に加東を連れて行き、酒に酔った加東を殺すことは間宮にとって難しいことではなかった。死体の始末は木崎の時と同じように暴力団員に金を渡して始末してもらった。
喉が乾いていた。エアコンをつけっぱなしで寝てしまったからだろう。間宮は手をのばしてウイスキーのビンを取るとぐっと煽った。乾いた身体にアルコールが染みていく。酒を飲んで酔っ払うようなことはなかった。少しくらい飲んでいたほうが調子が良い。ふと酒飲みだった父親を思い出した。小学生の頃初めて間宮に酒を飲ませたのも父だった。
間宮の父は中古車販売の営業マンだった。
まじめだけが取り柄で顧客から電話がくれば休みであっても夜であろうと飛び出していった。いつも腰が低く、会社からの電話に頭をペコペコさげながら応対している父の姿を何度も見たものだ。だが、十年前の冬、父は顧客の庭先で倒れそのまま帰らぬ人となった。過労死だった。その父の姿に間宮は父のようにただ会社にこき使われる仕事は嫌だと考えるようになった。使われる側よりも使う側の人間になりたかった。
間宮はさらにウイスキーのビンに口をつけ、ゴクリゴクリと音を立てて飲んだ。
今日は会社に出るつもりはない。この部屋でずっと作業するつもりだ。これも社長から間宮に与えられている特権だ。
(もうターゲットは出社したかな……)
携帯に入っているメールを確認する。警備の田川から早紀を会社付近まで送り届けたという報告のメールが入っている。会社にいればまだ見つかっていないカードマンから狙われるようなこともないだろう。
これで昼間は調査に集中出来る。
間宮はすでにカードマンのうち二人を処分していた。
初めは金で交渉するつもりでいた。だが、木崎を殺した瞬間から、二人ともに処分してしまうことがより簡単だと思うようになっていた。
(あと一人……)
ドクターと呼ばれる今井達夫のことを考えた。当然、今井のことも前の二人と同じように処分するつもりでいた。
間宮は今井についてもすでに住所も勤務先も情報を得ている。今井はその「ドクター」という呼び名のとおり市内の病院に勤める外科医だった。今井がなぜカードマンに応募するのかは間宮にもよくはわからなかった。人の命を助けることが仕事の医者にとってはカードマンになることがストレス発散になるのかもしれない。
今井がネットの掲示板に書き込んであったのは『今度も俺がゲットするぜ』という一言だけだった。間宮はその掲示板上に残されたIPアドレスから、それが病院のPCから書き込まれたものであることを突き止め、そこから今井のことを調べることが出来た。すでに今井のスケジュールも調べあげてある。
だが、今井だけは簡単に殺すことは出来ない。
今井は明後日まで学会のため、アメリカに出掛けている。もちろんその間は今井も早紀を狙うことは出来ない。そして、間宮もそれまでは動くことが出来ないということになる。それならば――
(残る二人を探さなければ……)
間宮は立ち上がると昨日、木崎の部屋のPCから抜き取ったディスクやUSBメモリ、CDが入った紙袋を引き寄せた。
昨日、木崎の部屋に入ったときから、その部屋にあるPC機器に目をつけていた。
木崎は[risk]を管理しているサーバーにアクセスした可能性がある。だからこそあれほど早く早紀の自宅を突き止めることが出来たのだろう。そして、もし木崎がデッド・ゲームに関する情報を間宮以上に持っているとすれば、間宮が知りえないカードマンに関する情報も持っているはずだ。
デッド・ゲームを知ったとき、間宮は会社の情報システム部の人間に[risk]を管理しているサーバーへの不正アクセスを依頼したが、それは違法行為になるということで拒否されていた。おかげで早紀の情報やカードマン情報を仕入れるために、非常に遠回りなルートで捜すことになった。木崎の部屋のPCを見たとき、この男ならばそんな違法行為も平気でやっているのではないかという考えが頭を過ぎったのだ。
間宮は木崎のディスクからまだ情報を掴めていない二人のカードマンの情報を得ようとしていた。
会社の情報システム部に分析を依頼するのがもっとも早い方法かもしれない。会社の優秀なSEたちの手によれば、ほんの数時間で解析出来るかもしれない。そして、それは会社にとって大きな資産となるだろう。だが、それでは決して間宮個人の利益にはならない。もしこの情報を自分だけのものにすれば、それは間宮自身にとって今後の大きな財産になる。
(まずは……)
間宮はテーブルのPCの前に座るとUSBメモリの山を目の前に置き一つを取出した。
このなかに自分が求める情報がある。そしてその情報は自分にとって大きな利益を生み出すはず、と間宮は信じていた。
それが危険を引き寄せる行為になっていることを間宮は気付いていなかった。
二月二日(木)
PM 2:30
朝、コールマンから電話が来ないことがずっと気になっていた。
弘子はそのアパートの階段をゆっくりと昇っていった。
木崎勉のアパートは比較的簡単に見つけることが出来た。先日、間宮が木崎についての資料だけ見せてくれた時、弘子はその大学名を記憶していた。
今朝、弘子は仕事を休むことを会社に告げると、大学へ木崎のことを問い合わせ、その同級生から木崎のアパートを聞き出したのだった。
コールマンが今朝、早紀へ脅しの電話をかけなかったことは弘子にとっても喜ばしい出来事だった。だが、その反面弘子にはそのことが非常に不可解に思えた。大学の頃心理学を専攻していたことがある。ゲームのたびにカードマンに応募し、カードマンになってもなれなくてもターゲットを脅すことを楽しみにしているコールマン。もともとコールマンは金を目的にしてカードマンになったわけではない。それがいくら金を積まれたからといって簡単にカードマンの権利を放棄するだろうか。
(そんな簡単に交渉出来るものなのかしら……)
もともと弘子はあまり間宮のことを信頼してはいない。その不信感が余計にそう思わせたのかもしれない。
世の中には知ってはいけない領域というものがあるのかもしれない。今、自分がやろうとしていることはその領域を犯す行為なのかもしれない。それでも、弘子はその真実を知りたいと思った。
汚れたドアが目の前にある。
弘子はドアの前にたつとチャイムを押した。
反応がない。
(いないの……?)
もう一度チャイムを押してみたが、やはり返事はない。弘子はゆっくりとドアノブをまわしてみた。
(開いてる……)
周囲を見回し誰にも見られていないことを確認してから、そっとドアを開けて部屋の中を覗いてみた。薄暗い部屋のなかが見える。人がいる気配はなかった。
「木崎さん……?」
声をかけてみても反応はなかった。
弘子は思い切って中に入っていった。
湿り、篭もったような空気が肌にまとわりつく。男の一人暮らしを物語るように壁にこびりついた黴臭さが鼻につく。
誰の姿も見えない。
(留守……?)
だが、奥のその部屋の様子を見て弘子ははっとした。その散らかりかたはまるで誰かが家捜ししたようなかき回されたように見える。三台ほどあるPCは全て蓋を開けられている。
(誰かが何かを捜してた……?)
頭のなかに間宮の顔が浮かんだ。
やはり間宮は木崎との交渉のためにここに来たんだろうか。
そして、弘子は足元の絨毯を見てさらにぞくりと背筋が寒くなった。
カーテンが締め切られているため、気付かなかったが足元に大きな染みがあるのが見て取れる。
(血……?)
そうわかったとき、そこで何が起きたのかを弘子は想像することが出来た。
間宮の笑顔が思い出される。きっとあの笑顔のままで間宮は木崎をこの部屋で殺したのだろう。自分の身体が震えていることがわかる。この部屋のどこかに木崎の死体が隠されている可能性もある。もちろん、すでに木崎の死体は間宮の知り合いの男たちによって処分されているが、そんなことは今の弘子は知らない。
一瞬、警察に連絡しようかと考えたが、すぐにその考えを改めた。自分がここにいることを説明しようがない。デッド・ゲームのこと、ターゲットになった早紀のこと、そして、カードマンとなった自分のことまでも説明しなくてはいけなくなる。しかもそれを警察が信じてくれるとも限らない。
(あの男が言ってた交渉って……こういうことなのね……)
自分が間宮に感じてきた不安感が間違っていなかったことを弘子は知った。間宮はカードマン全てを殺すことで早紀を護ろうとしている。もし、間宮が弘子がカードマンであることを知ったら……
パンドラの箱を覗いたような気分。
弘子にとって間宮が大きな危険な存在になったことを、弘子は改めて痛感した。
(けど、いったい何を捜したの?)
部屋を見回しながら弘子は間宮がここで何をしたのかを想像しようとした。
二月二日(木)
PM 6:11
いつもと変わらない何もない一日だった。
電車に揺られながら、土居は今日一日のことをふりかえっていた。
課長も今日一日は何も言ってこなかった。
――会社にも考えがあるよ
あの言葉が頭に引っ掛かっていた。
(課長はどうするつもりなんだろう……)
不安だった。このまま忘れてくれたらどんなにいいだろう。だが、それは到底叶わないことだろう。今日何もなかったとしても、明日何かを言われるかもしれない。けれど、今の土居にはどうすることもできない。ただ、何も起きないことを祈って毎日をじっと待つしかない。自分のどこか知らないところで全てが良い方向へ流れてくれることを祈った。
すでにまわりの行員たちは土井がリストラ対象であることを知っている。そのため今まで以上に土井と関わりを持たないように注意しているように見えた。皆、土井と関わることで自分までリストラ対象とされることを怖がっているのだ。
土居はぼんやりと辺りを見回した。
満員電車のなか、皆、黙って吊り革に掴まっている。
(この人たちも自分と同じような苦労をしてるんだろうか……)
座席に座ったまま、一人一人の顔をぼんやりと見つめる。帰宅途中のサラリーマンやOL、そして学生、その全てが自分よりも幸せなところにいるように思えた。
ふと、視線が止まった。
(誰……?)
満員電車の隙間を通して、電車の入り口付近に女性が一人立っているのが見える。白い肌、ふっくらとしたかわいらしい顔つき。どこかで見た記憶があった。
(誰だったろう……)
記憶の糸をたどっていく。
近所の人々。取引先の窓口の女性……。
はっとした。
(ターゲット?)
[risk]に出ていた顔写真を思い出していた。ゲーム開始の前日に土居のもとにもカードマン認定の通知が届いていた。
インターネットのなかだけは別人になれる。それが土居がインターネットにのめり込む理由だった。もともとパソコンを買ったのは洋子だった。だが、洋子の興味はすぐに冷め、それを土居がもらいうけるて使い始めたのだった。
カードマンに応募したのはほんの興味本位からだ。いつも他人に対しびくびくして暮らしていた土居にとって『狙う側』の権利は魅力的だった。もちろん実際にターゲットを捜すつもりも、狙うつもりもなかった。もともとどうやってターゲットを捜せばいいのかもわからないし、ましてやターゲットを殺すような勇気など有りはしない。
だが――
今そのターゲットが目の前にいる。
その偶然に驚いていた。
(本当にデッド・ゲームは存在していたんだ)
カードマン認定の通知が届いた時にも、まだデッド・ゲームが現実に行われているという意識は薄かったが、実際にターゲットの女性を目の当たりにして土居の気持ちは高揚していた。
心臓がドキドキ高鳴っている。
高校2年の時に一度だけデパートの屋上で売出しはじめた新人アイドルを見たときがある。ちょうどあの時と同じような感じがした。
カードマンに認定された時から時折インターネットに接続するたびにホームページに出ている早紀の顔を見ている。なぜ彼女はターゲットになったのだろう。どんな生活をしているのだろう。ホームページに載っている早紀の顔を見ながら勝手な想像を膨らませていた。
(間違いない)
突然、じわっと手に汗がわいてくる。相手が自分のことを知らないのはわかっていたが、毎日のようにホームページで見ているとまるで知り合いのように思えて、思わず声をかけたくなる。
気付かれないように気を付けながら早紀の顔をちらちらと眺めた。インターネットで見た写真よりもずっとかわいらしく見える。
カードマンは自分以外に4人いるはずだ。今もどこかで他のカードマンが彼女を狙っているのかもしれない。土井は慎重に早紀の周囲をうかがった。
(彼女は誰かに殺されるのだろうか……)
その時、ガタリと大きく身体が揺れ電車が止まった。扉が開くと、早紀は人並みに押し出されるようにドアから出ていった。
(あ……)
そして、再びドアが閉まった時、早紀の姿は電車のなかにはなかった。
(ここが?)
土居は思わず駅を確認した。
もちろん彼女がここに住んでいるかどうかもわからない。友達のもとへ遊びに来たのかもしれない。もし、彼女が帰宅途中だったとしても駅がわかったところで二度と会えるかどうかわかるはずもない。
ただの一度きりの偶然。土居はそう思っていた。