デッドゲーム・11
二月一日(水)
PM 1:43
すでに間宮は動きだしていた。
早紀が会社にいる日中は狙われる危険性はないだろう。その間ならば十分に動くことが出来る。早めにカードマンたちの動きを押さえる必要がある。特に『コールマン』と呼ばれる木崎勉はすでに早紀の電話番号を突き止めている。
(木崎勉……ここだな……)
目の前に古ぼけた安っぽい2階建てのアパートがあった。すでに築十年は軽く越えているだろう。裏手にある工場のせいで陽が遮られている。下水の匂いがわずかに漂っていた。
煙草を一本取出すと間宮はアパートの一室を見上げた。カーテンが半分閉じられている。時折、カーテンが揺らぐのが見える。
おそらく木崎はなかにいるのだろう。
(さて、どうするかな)
煙草をくわえライターで火をつける。
鞄のなかには今朝会社から預かってきた一千万が入っている。準備金としての一千万円の仮払伝票を提出した時の驚いた課長の顔が思い出される。もちろん、それはカードマンを買収するための資金に他ならない。
だが、間宮の気持ちは次第に変わりつつあった。
(カードマン一人に二百万か……もったいない話だ)
間宮にとって今回のデッド・ゲームはいろいろな意味で大きなチャンスだった。この仕事を成功させることで会社での立場を強くすることも出来るし、今後のより大きな収入源としてデッド・ゲームを活用することも出来る。どちらにせよ、このチャンスを逃すわけにはいかない。
(さてと、行くか)
煙草の火を隣の民家のコンクリート塀でもみ消すと間宮は階段を昇りはじめた。
木崎のことはインターネットでの追跡でかなり細かなことまでわかっている。都内の大学に通う学生ということも、その大学にも行かずに毎日のようにインターネットに興じていることもわかっている。
(ただのガキだ)
間宮は部屋の前に立つとチャイムを押してレンズを指で隠す。ドアを開けてもらわなければ交渉することも出来ない。
ドアの向こうで人の気配がする。
「はい、誰です?」
ガサガサと物音が聞こえ、やがてドアがガチャリと開く。
間宮はすかさずそのドアを掴み、一歩なかへ踏み込んだ。
「な……」
驚いたように一人の若者が間宮を見上げる。度のきつそうな眼鏡をかけた小柄な若者だった。汚いジーンズにトレーナーを二枚重ねしている。
「やぁ、木崎君だね」
「な……なんだよあんたは?」
間宮に踏み込まれ木崎は後退りした。やけにおどおどしている。
部屋に入り、後ろ手にドアを閉めると間宮は部屋をぐるりと見回した。
汚らしい1Kの部屋。部屋の奥に電源の入ったPCが見える。そして、その両脇にも2台のPCが置かれている。
(真っ昼間からインターネットってわけか)
「ちょっと話があるんだ」
わざと笑顔を作ってみせた。
「なんだよ話しって」
「ゆっくり話そうじゃないか」
そう言うと間宮は靴を脱ぎ部屋の奥へと入っていった。部屋のなかはろくに暖房もなく空気がひんやりとしている。
「お……おい」
木崎は正体のわからない間宮にびくびくしながらも後に続いた。
「さあ、座って……と言っても君の部屋だけどね」
明るい口調だが腕を掴むように木崎を座らせると、部屋の真中に置かれた小さなガラステーブルを挟んで間宮も腰をおろした。ちらりとPCの画面を見る。インターネットの掲示板に汚らしい言葉を書き連ねた書込が見える。
そのPCに間宮は興味を持った。
木崎はデッド・ゲーム開始直前にすでに電話帳に載せていない早紀の電話番号を調べあげている。その調査能力に間宮は興味を持っていた。調査中に見た掲示板のなかでも木崎は自分のことを一流のハッカーであると自負していた。ひょっとしたら間宮も調べることの出来ないようなデッド・ゲームに関する情報をも木崎は持っているかもしれない。
「あんた、何なんだよ……話ってなんだよ?」
未だに正体のわからない間宮に怯えながらも木崎は強い口調で言った。間宮は木崎をまっすぐに見ると口を開いた。
「ゲームの話をしようじゃないか」
怯える木崎に間宮は回りくどく話をするのをやめることにした。この男ならば交渉は簡単だろう、と間宮は木崎を判断した。
「ゲーム?」
「デッド・ゲームの話だ」
間宮の言葉に木崎の顔色が変わった。
「なんだよ……それ……何のことか知らねえよ……」
一応、警察に捕まるのではないかという不安はあるのだろう。
「今更惚ける必要なんてないんだよ。コールマン木崎君」
「な……あんたは?」
「心配することはない。私はターゲットの代理人だよ」
「代理人? いったい何のことだよ?」
木崎は訝しげな表情で間宮を見た。
「私は今回のターゲットである藤谷さんを護るよう彼女と契約を結んだんだ。君は彼女を狙うカードマンなんだろ?」
「……それじゃあの女がその呼び方を知ってたのは――」
「そうだ、私が君のことを彼女に伝えたんだ」
「……」
「隠すことはない。これはゲームなんだからね。君はまだカードマンに登録しただけで彼女を狙ったわけじゃない。まだ違法なことは何もやっていないんだ。せいぜい彼女に電話をしただけのことだ。君はまだ犯罪者じゃない。そうだろう?」
わざと間宮は『違法』、『犯罪者』という言葉のアクセントを強く言った。
「いったいあんたは何が言いたいんだ?」
「それじゃ腹をわって話そう。私は君にカードマンを放棄してほしい」
「放棄?」
「そう、今回はターゲットを狙わないと約束してもらいたい」
間宮は木崎の様子をじっと見守った。
(さて、どうでてくる?)
「ふん、何の話かと思ったらそんな話しか、くだらねえ」
木崎はそっぽをむいた。
「くだらない? そう確かに君のようなカードマンにとってはただの楽しいゲームかもしれない。けど、ターゲットにとっては命の問題だ」
「そんなこと知らねえよ。本人が自分で申し込んだんだろ。そいつはゲームに勝てば大金が転がりこむんだろ? それなのに今更カードマンを放棄しろ? そんなことして俺に何の得があるって?」
この男に早紀が誤ってターゲットになったのだと言ってみたところで何の意味もないだろう。
「犯罪者にならなくて済むじゃないか? カードマンとしての権利を使うということは犯罪者になるということだ。金のために殺人を犯せば死刑ということだってありえるんだよ。それくらいはわかっているだろ?」
子供を諭すように間宮は一言一言に力をこめた。
「捕まらなければ大金が手に入るじゃないか」
「捕まらない自信でもあるのかい? 日本の警察は優秀だよ」
「あんたは知らないのか? ゲームには[掃除人]がいるんだ。ゲームのなかで行なわれた殺人はよほどのやりかたさえしなきゃ[掃除人]が後始末してくれる。捕まる心配などする必要なんてないさ」
それがどんな存在かはよくわからなかったが、間宮もデッド・ゲームの情報を集めていくなかで[掃除人]と呼ばれる人間の存在は知っていた。
「確かにそんな噂もあるみたいだね。君の言うのもわかる。けどね――」
「噂? 何も知らないくせに……いいから出ていってくれよ。あんたは部外者なんだろ。ゲームはフェアにやらなきゃなあ」
木崎はまるでバカにしたように間宮に言った。だが、そんなことでいちいち腹を立てていては交渉など出来るはずもない。
間宮は肩を竦めてみせ、鞄のなかから札束を一つ取出すと無造作にテーブルに置いた。
木崎の目が驚きに変わる。
「ここに百万ある」
「百万……」
テーブルに置かれた百万から木崎は目をそらせなくなっている。
もちろん鞄のなかには木崎に渡すべき金がもう一束入っている。だが、間宮はこの百万で全て収めてしまうつもりでいた。
(こんなガキにはこの程度で十分だ)
「意味はわかるね」
そう言ってじっと黙って木崎を見た。
「あ……ああ」
「君がターゲットに手を出さなければそれでいい。君にとっては簡単なことだろ? たったそれだけでその金は君のものだよ」
木崎の手が金にのびるのを見て間宮はこの交渉が成功したことを確信した。だが、次に木崎の言った言葉は間宮の予想を裏切るものだった。
「ゲームの賞金は五千万だよな」
「……ああ」
「なら、もう少し払ってもいいんじゃないか? たった百万でカードマンの権利を捨てろって? 俺がその気になれば五千万全て手に入れることだって出来るんだぜ」
明らかに木崎は間宮が金を出したことによって、自分の立場がうえであると思い込んだようだった。
その言葉を聞き、間宮の表情はひきつった。目の前で木崎が金を数えている。その様子に間宮は自分の心が冷たくなっていくのを自覚していた。
(こいつ……)
たかが二十二歳の学生が自分を脅している。それが間宮にとっては許せなかった。間宮の目に怪しい光が浮かんだ。
「その額じゃ不満だってことかい?」
「賞金五千万ってことを考えたらこれじゃ少なすぎるだろ」
木崎はすっかり自分が強い立場でいると考えているように見えた。
「何も苦労することなく百万手に入るんだよ」
「足りないって言ってるんだ。せめて一千万はもらわないとなぁ」
「……そうか」
間宮は覚悟を決めた。
再び鞄を開くと手を突っ込んだ。木崎がその手元を覗き込むように見ている。だが、間宮の手に握られているものを見た瞬間、木崎の顔が恐怖に歪んだ。
間宮の手には通販で購入した鋭利な大型のシースナイフが握られている。
思わず木崎の体が身構える。けれど、それよりも早く間宮は今握り締めたナイフを木崎の胸に突き刺していた。
「うぅ……」
間宮のナイフは的確に木崎の心臓を捕らえていた。
ビクビクと木崎の体が震え、力なく倒れていく。木崎の身体が仰向けに倒れ、その口から血がボコボコと溢れ口の周りを塗らした。
人を殺すのはこれが二度目だった。初めて人を殺したのは四年前。飲み屋でチンピラ風の男たちと喧嘩になったとき、相手の男の頭をコンクリートの壁に何度も叩きつけて殺してしまったことがある。あの時も恐怖感などまったく感じなかった。
相手は暴力団の構成員だったため間宮はすぐにその仲間たちの手で事務所に連れていかれたが、不思議とその幹部に間宮は気に入られ、今でも何か事があるたびに力を貸してもらうようになっている。
やがて、木崎の身体はピクリとも動かなくなった。その姿を見て間宮は満足げに目を細めた。
「あーあ、結構気に入ってたのになぁ」
間宮は木崎の身体に突き立てられ、血に染まったナイフを見てつぶやいた。
イタリア地中海の湾曲した波をモチーフにした刃。貴重な鹿の角からまるごと削り出したハンドル。
間宮が何本も持つナイフのなかでも間宮が最も気に入ってる一本で、常に持ち歩いているものだった。間宮は武器マニアで、部屋には何本ものナイフやボーガン、そしてライフルや拳銃までも所持している。
(このほうがよほど簡単だ)
間宮は動かなくなった木崎を見つめにやりと笑った。