第六天魔王
翌日もジャグリングをして大盛況じゃった。
昼からはタマと2人で弁慶と牛若丸の芝居を披露する。
衣装や武器や笛は城下町で仕入れた。高価じゃが投げ銭で稼いだ金がある。
タマ扮する牛若丸が欄干で笛を吹いて登場する。
わしはチビじゃが弁慶に扮して牛若丸に勝負を挑んだ。
「われは武蔵坊弁慶なり!貴様の腰にさしておる刀を寄こすがよい!」
「ほう。貴殿が鬼とウワサの弁慶か。何本の刀を奪った?」
「貴様の刀でちょうど千本目よ!」
わしは薙刀でタマに斬りかかる。タマはくるりと跳んでかわすと再び欄干に着地する。
さすが猫忍じゃ。橋を埋め尽くす観客はどよめく。
わしは頭上でくるくる薙刀を回す。
「えーい!ちょこまかとすばしっこいやつよ!」
怒りに任せて薙刀を振るうがタマはすべて簡単にかわしてみせる。わしが息切れした頃合いを見計らい橋に舞い降りたタマは黄金の太刀を抜いてみねうちでわしを打ちふせた。
「おみそれいたしました!拙者を家来にしてくだされ!」
「よいぞ。一生わらわに尽くすがよい。我が名は牛若丸じゃ」
「ははぁ。牛若丸様、我が命を賭けて一生お守りいたす!」
拍手喝采が巻き起こった。桶は投げ銭で溢れておる。
わしとタマはお辞儀する。これなら遠からぬうちに城が建つわい。わしはほくほく顔じゃ。
「よき芝居じゃ。しかし、これでは橋が通れぬな。ここでの芝居は禁止じゃ」
拍手する観客の中に1人のたくましい若者の姿があった。
派手なひもでテキトーに髪をたばねたあらっぽいヘアスタイルに、着物の片そでをぬいでうでを出し、トラやヒョウの皮を使った短いはかまをはいて、こしにまいた縄にはひょうたんやわらじをぶらさげておる。
「信長様っ!」
信長様は軽く目を見開いた。
「オレを知っておるのか?」
「村の若者と相撲をとっておるのを何度か見かけたことがあります」
わしは慌てて言いつくろうた。
「そうか。貴様の名前はなんという?」
「木下藤吉郎でございます。こちらは妹のタマです」
タマは見た目が出会った頃と変わらないので妹ということにしておる。
2人でちょこんと正座する。
「貴様らの芝居をまた観たい。芝居小屋を作ってやろう。そこで存分に披露するがよい」
「ははぁ!ありがたき幸せにございます!」
「明日、城に来い。いつでもよいぞ」
「ははぁ!」
頭を床にこすりつける。信長様は颯爽と去って行かれた。
道は自然と開かれ子分と思われるガラの悪い若者たちが付き従う。
信長様はちょうど家督を継がれた頃合いか。
すさまじい覇気をみなぎらせておったな。
両替商に立ち寄り両替をすませる。
倉庫がわりに長屋を借りたので荷物を置き、腹が減ったので近所の茶屋に入った。
座敷に案内され注文をすませる。しばらくして机にごちそうが並ぶ。
タマはエビのさしみをつまんだ。
「あれがうつけって評判の織田信長かぁ。ヤンキーファッションだったね。カリスマ性がやばい。ちょっぴり目が怖い」
「第六天魔王じゃからなぁ」
「あんたの残酷の師匠でしょ?」
「まあのぉ」
タマは額にひとさし指をあてる。猫目になるのはネット検索をしておる時の顔じゃ。
過去や未来の情報が書かれたとても便利な辞書が頭の中に入っておるらしい。
「信長を鉄砲で暗殺しようとして失敗して指名手配中だった杉谷善住坊っていう男を3年後に逮捕した時、通常の斬首ではなく、体を頭だけ出した直立状態で道端に埋め、その首を行き交う人にノコギリで引かせて殺すという残忍な処刑を行った。だって。こわっ!信長も大河の主役にしちゃダメな男だよねぇ」
「古今東西、歴史上の人物は美化されるものなのであろう。そなたのようにそれを許せぬ者もおる」
「そりゃ許せないよ!信長の冷酷さをあんたによく思い出してもらうためにも歴史家の山岸良二先生の記事を読むね。
長島長島一向一揆殲滅
1574(天正2)年7月、それまで2度にわたり信長の侵攻を妨げ、彼の弟や重臣が失われるなど織田勢を苦しめた伊勢長島の一向一揆に対し、信長はほぼ総動員に近い大軍を率いてこれを殲滅しました。
籠城する一揆軍に対し、包囲による干殺しのほか、最後は城をまるごと焼き討ちし、男女二万数千人が殺害されたといわれています。
越前一向一揆殲滅
1575(天正3)年8月、朝倉氏滅亡後の越前(福井県)では一向一揆が台頭し、信長の支配が及ばなくなっていたため、再び越前を取り戻すべく、信長は侵攻を開始します。
このときの戦闘で一揆勢約2000人が討ち取られ、さらに捕虜となった1万2000人も容赦なく処刑されたといわれています。
天正伊賀の乱
1581(天正9)年9月、信長からの支配を拒み自主独立を掲げる伊賀惣国一揆に対し、信長は大軍を率い、伊賀(三重県西部)へ至るあらゆるルートから侵攻を開始しました。集落や寺院はことごとく焼かれ、逃げ場のない人々は一方的に殺戮されました。
一説では、「伊賀全体の人口9万のうち、およそ3万余が殺害された」といわれています。
比叡山焼き討ち
1571(元亀2)年9月、越前(福井県)の朝倉氏に協力して反信長連合に加担していた比叡山延暦寺は、信長からの再三の中立勧告に背き続けたため、ついに攻撃を受けます。
このとき、すべての堂宇は放火され、寺の僧侶はおろか山麓の町から避難してきた一般信徒も含む多くの人がことごとく殺害されたと伝えられます。
死者数は『信長公記』で数千人、宣教師フロイスの書簡では約3000人、貴族の日記にも3000~4000人とあり、多くの人命が失われたと記されています。だってさ。虐殺魔じゃん!」
タマの言葉で遠い日の記憶が蘇る。
「そんなこともあったのぉ。今となっては思えば、人生50年のうちに天下統一を果たそうとして人命を軽視しすぎておった。南無阿弥陀」
わしは念仏を唱えて手を合わせた。
「ほかにもあるよ!次は渡邉大門先生の記事ねッ!」
◎足軽の首を無言で刎ねる
永禄12年(1569)2月、信長は将軍足利義昭の邸宅を造営した。その際、信長は自ら陣頭指揮を執り、現場に赴いて作業員を叱咤したという。信長の姿を見た作業員は、皆恐れおののいたといわれている。
ある日、1人の足軽が現場を通りかかった女性の顔を覗き込んだ。すると、信長はその足軽のもとへ歩み寄ると、無言のまま太刀を引き抜いて、その足軽の首をいきなり刎ねたという。
信長が足軽を殺した理由については、判然としないところがある。単なる注意ではなく、足軽の首を斬ったのだから、ほかの作業員に対する見せしめということもあろう。だってさ。
無表情に人を殺すって訓練されたアサシンだよ」
わしは信長様との会話を思い出す思い出す。
「信長様は義父のマムシの道三殿のやりかたを手本にしたと言うておったな。マムシ殿は罪人に牛裂きの刑、釜茹での刑を科しておった。釜茹での刑を行う時は罪人の親族に火を焚かせたといわれておる。軽い罪であっても残酷な処刑をしておったから、犯罪抑止の見せしめじゃな。野犬のような連中が多くてそうせねば治安が維持できんかったんじゃ」
「ドクロの杯で乾杯したエピソードも有名だよね?ホラーじゃん」
「金のドクロじゃったな。朝倉義景、浅井久政・長政父子の頭蓋骨じゃな。敵将を完全に敗北させたと誇示する見せしめ(肴)としての役割じゃ。飲めと言われてみな震えて飲んでおった」
「信長残酷列伝でとくにドン引きなのが、荒木一族の処刑だね。あんたの秀次事件はこれを手本にしたんじゃない?これも渡邉大門先生が記事にしてるから読むね?
天正6年(1578)、荒木村重は織田信長に反旗を翻したが、やがて劣勢に追い込まれると、翌年9月に有岡城(兵庫県伊丹市)を脱出し、尼崎城(同尼崎市)に移った。これを知った信長は、村重の妻女らを処刑としたので、その経緯を取り上げることにしよう。
村重が有岡城から尼崎城に移ったことについては、村重が信長に許しを乞うても無駄と考え、家臣らに気付かれないよう脱出した、とフロイスの『日本史』に書かれている。この点については、尼崎城に移って大坂本願寺との連携を図ったという説もある。
いずれにせよ、有岡城に残った村重の妻女には、前代未聞といわれる悲劇が待ち受けていた。信長は裏切った村重に対して、激しい怒りを覚えていたからだ。以下、フロイスの『日本史』により、信長が無慈悲にも決行した処刑の模様について確認することにしよう。
信長は、村重の妻、2人の娘ら近親者36名をすべて捕縛するように命じた。捕らえられた村重の妻らは、死刑の判決を記した板を立てた荷車に乗せられ、京都市中を引き回しにされると、処刑場となる法華宗の大寺院に到着したのである。
村重の妻は「だし」といい、貞淑さと天性の美貌を誇っており、常に大いなる安らぎを表情にあらわしていた。「だし」は荷車から降りる際、振り乱れた髪を結び、身だしなみを保つため、腰帯を締めると、高価な衣装を身にまとったが、ほかの者たちとともに斬首された。
次に、有岡城に籠っていた貴婦人120名が捕縛され、最後の判決を持っていた。その親族らは彼女らを救う方法がないかと考えたが、それは成功しなかった。貴婦人は処刑になることが決定し。尼崎の七松というところで磔刑に処されたのである。
貴婦人の中には幼子のいた者もいたが、母親を苦しめるため、幼子を母親の胸に括り付け磔刑に処された。全員が磔にされると、刑吏が銃弾あるいは槍で彼女らを殺害したのである。処刑の現場を見た人は肝をつぶし、何日も放心状態で過ごしたという。
その後、514名の男女は小屋に入れられ、生きたまま焼き殺された。まさしく阿鼻叫喚の生き地獄だったが、それは信長の村重に対する怒りが爆発したものといえよう。だってさ。
あまりにも残酷すぎて作り話かと思っちゃうよ」
わしは天を仰いだ。
「荒木殿には降伏を説得したんじゃがなぁ。まさか一族や家臣を置き去りにして逃走するとはのぉ。荒木一族の処刑は目を背けたくなるほどむごかった。裏切り者にはこれほど苛烈な仕置きをしなければならぬのだと心に刻んだものじゃ。タマの推測通り秀次への仕置きを決定した時のお手本じゃ」
わしは荒木一族を処刑した時の光景を思い出す。
まず、家臣の妻や上級侍女など身分の高い女性122名が、美しく着飾った状態で磔柱に縛り付けられた。多くは幼い子を抱いたままじゃった。
わしらは容赦なく鉄砲で撃ち槍で突き刺して彼女らを殺害した。
女たちの絶叫は遠く響き渡った。
それから、下級の女性388名と若党(男性従者)124名、合計512名が四軒の民家に押し込めた。
民家の周囲には枯草が山と積まれ、わしが火を放った。
まるで網の中で魚が跳ねるように、炎の中で人々が跳ね回る――。その凄惨さは、まさに地獄の光景そのものじゃった。地獄よりむごい。地獄を知るわしが断言する。
しかし、それをわしは見て笑っておった。すでに心が壊れておったのかもしれん。
タマは追加注文して届いた焼き魚にむしゃぶりつく。
「信長もぜったい無間地獄だね」
「でおうてはないが、まず間違いなかろう」
わしはタマに同意する。
「竹島生事件も有名だよね?
安土城の信長が琵琶湖の竹生島に参詣したときのこと。遠路ということで、信長は羽柴秀吉の居城・長浜城に泊まるに違いないと考えた女房衆は桑実寺へお詣りに出かけたりして羽をのばしました。
ところが信長はなんと当日に戻ってきてしまう。信長は女房衆の怠慢に激怒、縛り上げて即刻差し出すよう寺に命令します。女房衆は恐れおののいて寺の長老に助けを求め、長老は同情して慈悲を願いますが信長はそれを見てますます怒り、長老もろとも女房衆を成敗しました。
(『信長公記』天正9年4月10日の項より)」
「わしは信長様が泊まる準備を整えておった。引き止めておけば良かったのぉ」
「何も言えないよね。あんたも壁の落書きの件でもっと酷いことしてるし」
陰惨な話ばかりしておるのにタマはうまそうに飯を食らう。
わしは食欲が落ちたので少ししか食べなかった。タマは残らず食べる。
家族と近所のものに着物や団子などの土産を買って家に帰った。
村人の心もつかまぬといけぬ。
翌朝、タマと秀長の3人で那古野城に向かった。芝居の衣装と道具を運ばねばならぬから秀長は荷物持ちじゃ。
なにかめずらしい手土産を用意しようと、茶屋に立ち寄った。天ぷらを作って大皿に入れて風呂敷の包む。この頃にはまだ存在しない料理じゃからよろこばれるじゃろう。
城門をくぐりいざ懐かしの那古野城に足を踏み入れる。
大広間に通され信長様とはすぐに対面できた。
「よくぞ参った。藤吉郎。さっそく芝居を見せてくれ」
大広間には帰蝶殿や家臣たちが集まっておる。
わしの憧れお市様までおる。
池田恒興殿、織田信光殿、織田広良殿、坂井政尚殿、佐久間信盛殿、柴田勝家殿、武井夕庵殿、道家尾張守殿、丹羽長秀殿、平手政秀殿、簗田出羽守殿。
懐かしい面々じゃ。みな若いのぉ。少し目がうるむ。
「信長様。芝居の前にお土産でございます。天ぷらという食べ物を持って参りました」
「ふむ?天ぷらとな?」
「南蛮の料理でございます」
わしは風呂敷を串に刺した穴子、ハゼ、小魚、芝海老の天ぷらを披露する。
みなが欲しがるかもしれぬから、はしも多めに用意してある。
平手殿が歩み出た。
「殿。毒味をいたします」
「いや、よい。こやつを信じる」
信長様は天ぷらを口にする。サクッと音が響く。信長様は目を丸くする。
「美味じゃ!」
「揚げたてはもっとうもうございます。あとで料理人に作り方を教えましょう」
「うむ!頼んだぞ!」
「兄さま、私くしにも」
「おう。お市、食べてみろ。帰蝶も食え」
「わーすごくおいしい!」
「まあ、たいへん美味しゅうございます♩」
お市様と帰蝶殿は顔をほころばせる。家臣たちも興味津々じゃ。
「おぬしらも食べてみろ。うまいぞ」
信長様は上機嫌に家臣たちに勧める。
「おおっ!うますぎる!」
「なんだこれは?はじめての味じゃ!」
みなは絶賛した。
「塩を振っただけでございますがタレで食べる方法もございます。タレの作り方もあとで料理人に伝えておきましょう」
「そうか。楽しみじゃ」
「では、さっそくジャグリングと芝居を披露いたします」
みなの胃袋をつかんだ後は、芸で心をつかむ。わしはジャグリングを開始した。信長様も昨日は芝居しか観ておらんかったからびっくりしておる。
ジャグリングのあとは牛若丸と弁慶の芝居を披露した。ついでに悪い殿様にさらわれた姫君を正義の侍が助ける芝居も披露した。悪い殿様はわしじゃ。前世を演じればええだけじゃから簡単じゃった。
最後は3人で歌と舞を踊った。昨晩、3人で稽古した。
曲と動きが遅いと物足りぬので、もともとある歌と踊りを早回しで披露する。
タマいわく時代の先取りらしい。
見世物は大成功して拍手喝采で幕を閉じる。その後、わしらをねぎらううたげがはじまった。
大広間に豪勢なごちそうが並ぶ。
わしがてんぷらとタレの作り方を教えたのでタレ付きの天ぷらもある。
信長様は盃を片手にわしの肩を組む。
「藤吉郎!おぬしはういやつじゃ!」
「私くしはタマ殿のかわいさに惚れ申した。お慕いしたく存じ上げます」
「お市もタマちゃん好き!」
「最高じゃった!これは国中のみんなに見せるべきじゃ!」
「いや全国の大名に見せつけて自慢するのじゃ!我が殿は天下に誇る歌舞伎者を飼っておるとな!」
ばっちりみんなの心をつかめたわい。信長様は上機嫌に笑う。
「よしよし。なんでもほうびをとらせようぞ」
「では、わしを家来にしてください」
「なんじゃそんなことか。おぬしはすでにわしの家来じゃ」
拍手が巻き起こる。
「みなさまよろしくお願い申し上げます。わしのことは親しみを込めてサルとお呼びくだされ」
「わかったぞサル!みなのもの仲良うしてやれ!」
「ははぁ」
織田家の家臣団は信長様に頭を垂れる。
「屋敷を用意するからおぬしらは城下町に住め」
「かしこまりました」
わしらは城下町に住むことになった。立派なお屋敷をもらったので家族を呼び寄せる。
見世物小屋ができるまでは織田家と家臣団の面々を楽しませた。
木に縄を張って綱渡りを披露したり、大きな木製のボールに乗って移動してみたり、新しい芝居や歌や踊りを考えて披露した。秀長も剣の型や歌と踊りを熱心に覚えてくれて大助かりじゃ。
姉のともと妹のあさひも演者として協力したいというので芝居に参加させた。
今世の豊臣家は芸能一家じゃ。
1ヶ月後、信長様は立派な見世物小屋を建ててくださった。わしは舞台にも立ち裏方の仕事もする興行主となる。町や村で評判の美少女たちを誘って舞台に立たせ人気者に仕立て上げたり、さえないチビ侍がなぜか美少女たちからモテるまくという芝居を考えて披露した。
浮世絵師に役者の似顔絵も描かせた。目が細いと可愛くないのでぱっちりさせて髪には光沢を入れさせて頬を赤く染めさせた。この役者絵はとんでもなく売れる。
すべて当たってわしはまたたくまに国1番の億万長者になった。
その金でわしはふるさとである中中村の村長に座を買った。
参考文献
『麒麟がくる』では描かれなかった、信長の教育係・平手政秀切腹のもう1つの説
こざきゆう(編集ライター、伝記作家)/真山知幸(著述家) ネット記事引用
戦国史上最も苛烈な粛清劇―六条河原に散った荒木村重一族の悲劇
note hiro | ゆる歴史かわら版 引用
「虐殺者」織田信長は、ここまで残酷だった」そこまでやる?「本当の姿」を知っていますか
山岸 良二 : 歴史家 ネット記事引用
織田信長は無言で足軽の首を刎ねた。あまりに恐ろしかった信長の残酷な逸話3選 渡邉大門 ネット記事引用
フロイスは見た!荒木村重の妻女らが残酷にも処刑された、目を覆わんばかりの光景とは?
渡邉大門 ネット記事引用
戦国・織豊時代、見せしめとして罪人などに科された、無慈悲な処刑3選
渡邉大門 ネット記事引用




