駒姫
わしは再び赤ん坊として生まれた。
懐かしい両親と姉、弟、妹に囲まれて幸せじゃ。
夕食時、家族団らんの中、母の手に抱かれていると、そこに見知らぬ少女が加わっていた。
白い猫耳の金髪美少女で愛猫家のわしにはたまらんかわいさじゃ。
「母上。あたしにも抱かせて」
猫娘は母の手からわしを取り上げると、やさしい声で子守唄を歌ってくれる。
「キャッキャ♩バブーバブー♩」
わしは心が踊りおもわずはしゃいでしまう。
みんなが寝静まったあと、猫娘はささやいた。
「あたしはタマ。コロちゃんからあんたのこと聞いて駆けつけたの。周りにはあんたの姉って思いこませるまじないをかけてるわ」
コロの友だちか。相棒がおるのは心強い。そう思ったのも束の間、タマは底意地の悪い笑みを浮かべて恐るべき名を口にする。
「あたし現世では駒姫の飼い猫だったんだぁ。あんたのことは恨んでも恨みつくせないよ」
わしの心臓の鼓動がドクンと跳ね上がる。駒姫。わずか15才で命を散らした哀れな美少女の名じゃ。わしが処刑を命じた。
甥の秀次に権力を継承するつもりじゃったが、実子の秀頼が誕生したことで、甥である秀次の存在が邪魔になり、秀頼へ権力を継承させるために排除した。
甥の秀次の切腹後、秀次の幼い子供や妻、側室、侍女ら計39人を京都の三条河原へ引き立てて処刑するように命じた。その中に側室候補の駒姫も含まれる。
わしは 処刑の際、あらかじめ運ばれていた秀次の首を彼女たちの前に置き、それを直視させた状態で一人ずつ斬首していくようにも命じた。
見せしめのために公開処刑したが、見に来た見物人が後悔するほど残忍な処刑が繰り広げられたと家臣から聞いておる。
あの時のわしは恐怖で民衆を支配することが正しいと思っておったし、他人の痛みをこれっぽっちも感じない狂人じゃった。
わしの脳裏に幼子を処刑された母親の記憶がよみがえる。鬼の形相をした処刑人が小さな子供を子犬のように持ち上げ手足をばたつかせているところをやりで刺し殺す。
周囲からは悲鳴と叫び声が上がる。
母親は血まみれの子供の遺体を抱きしめて泣き崩れた。
なんという残虐な行いをしてしもうたんじゃ。わしは青ざめて泣き叫ぶ。
「おぎゃーおぎゃー!」
タマはくすくす笑う。
「のちの世であんたは足軽から天下人までのぼりつめた偉人として紹介されて、大河ドラマっていう日本人みんなが観る物語の主役になるんだけど笑っちゃうよね。あんたの生前の行いを考えれば大河ドラマの主役になんて絶対しちゃいけない極悪人なのにさ。とくに秀次事件なんて残虐すぎて全カットされてるよ。とてもじゃないけど描けないからね。白装束を着せられた女性や子供が牛車で河原に運ばれて次々に処刑される。母親の前で子供を串刺しにしたり、少女の細い首を跳ねたり、秀次公縁起って絵巻物が残ってるけど正直、正視できないレベルだね。
ひょうきんで人たらしっていう側面ばかり描かれて残忍で虐殺を繰り返した冷酷な側面はまったく描かれないんだから。大河ドラマはファンタジーだよ」
タマはわしのどんぐりまなこを見つめる。
「あたしはあんたがみずから命を断つことを望んでいる。その姿をあざ笑いたいんだ。あんたが前世で何度も他人の死をあざ笑ってきたようにね」
それ以降、タマはわしをおんぶしたり抱っこしたりする時に必ず過去の残虐な行いを語るようになった。手をおさえられ耳を塞ぐこともできず無抵抗で聞くしかなかった。
しかしそうされても仕方がない。わしは黙って聞いておった。
「駒姫のおっかさんは娘が処刑された悲しさでみずから命を絶ったよ。あーあ、かわいそうにね。駒姫のおっとさんはあんたが死んだあと、石田三成と徳川家康の戦った関ヶ原の戦いで徳川がたについて大活躍してるよ。結果は徳川家康が勝利。妻子の敵討ちだね。三成は、京都市中を引き回されて斬首。みじめだねぇ」
佐吉の最期に胸が詰まる。素直で気の利くええやつじゃった。
わしに仕えたばかりに悲惨な最期を迎えてしもうた。
「あんた遺言で徳川家康に秀頼を頼むって懇願して死んだのに、家康は秀頼も淀君も自害に追い込んでるし裏切られすぎでしょ。あんたの前では約束は守るって言ってたんでしょ?安心して死んだのに妻も子も自害だってさ。超ウケる。自業自得じゃん。自分の妻子を大事にするように駒姫の命も大事にしてあげればよかったんだ」
タマの言うとおり親の因果が子に報うじゃ。
家康はタヌキ親父じゃし、わしを腹の底で軽蔑しておったんじゃから約束など守るはずがない。
それでも病魔に襲われておったわしはワラにもすがる思いで豊臣家を守ってくれるように必死で懇願した。家康は優しく微笑んでおったが心のうちでは大笑いしておったじゃろう。
だれが約束など守るかばかタレが!とな。
悔しいがしょうがない。わしも心にもない言動で他人をなぐさめつつ心のうちでは大笑いしておったことが何度もある。同じことをされただけじゃ。
「ついでに教えておくとあんたの孫の豊臣国松は市中引き回しの上、斬首されてるからね。これも家康のしわざ。家康はあんたの残虐な振る舞い見てるから三条河原で処刑された駒姫たちの仇をとってくれたのかもしれないわ」
孫にも罰があたったか。強い自責の念に駆られる。
わしは小田原征伐で後北条氏を降伏させた時、家康と連れションをした。陣所の高台(笠懸山石垣山城)に家康を伴い、城下を望みながら並んで小便をし、家康に対して関八州の統治を頼んだ。
わしは家康が家康が5カ国(三河・駿河・遠江・甲斐・信濃)を安定的に支配していることを警戒し、あえて地縁の薄い関東八州への移封を命じたのじゃ。
当時の江戸は未開の地で葦が生い茂る湿地帯で家臣たちを住まわせる土地にも事欠くありさまじゃった。
しかし家康は見事に荒野を開拓して豊かな地盤を築き上げよった。
家康を弱体化するつもりが逆に強靭にしてしもうたわい。
わしの失着で子孫は家康に好き放題された。わしが江戸を手に入れておけばこんなことにはならなんだのにのぉ。あさはかじゃった。
「あんたって切腹させるの大好きだよね。千利休が有名だけど、そのほかにもいっぱい切腹を命じてる。秀次事件で秀次を擁護した家臣たちも3人切腹させたでしょ?小田原合戦であんたに敗北した北条がたの4人にも自害を命じてる。家康は北条氏政の助命嘆願しているのにあんたは聞き届けなかった。家康があんた嫌いなのっていじわるだからでしょうね。家康に嫌な思いさせたかったんでしょ?悲しませて心を傷つけたかった。いじめっこの発想よ。猿顔でチビで指が六つだから差別やいじめを受けてきた。だから権力を手にしたら他人にいじわるする。やられたことを誰かにやり返したいだけでしょ。大道寺政繁なんて豊臣がたに寝返って軍功をあげたのに戦後は切腹させてるしさ。他人に腹を切らせるのを楽しんでただけじゃない?悪趣味ね」
すべてタマの言うとおりじゃ。
わしは武士が恐怖で冷や汗を流し悔しそうに切腹する姿を想像して笑いを堪えきれんかった。
さぞ無念であろうし、みんなが悲しむ。
清水宗治の切腹は潔すぎて物足りんかった。武士の鑑と褒め称えたが内心は舌打ちじゃった。
武士が切腹せざるおえない状況に追い込むのが楽しゅうてたまらんかった。
わしは絶対に切腹はごめんじゃが、他人に押し付けるのは楽しくてワクワクした。信孝が切腹した時は悔しさのあまり自ら腹に手を突っ込んで内臓を引きずり出して壁に叩きつけたと聞いて爆笑したわい。ほんとに最低な人間じゃった。
いじわるなのは幼少の頃より差別されいじめられてきた世の中への復讐じゃ。
「上月城を攻めた時、毛利家への見せしめとして女・子供200人余のうち子供を串刺しにし、女を磔にして並べ置いた件も覚えてる?
鳥取城で兵糧攻めもしたよね?人間が共食いするまで追い詰めるなんて酷すぎない?
石川五右衛門の釜茹でも熱くて苦しそう」
すべて覚えておる。戦乱の世はちょっとでも気をゆるせばわしに逆らう者が出てきて命が危うい。想像を絶する恐怖を与えて支配するのが正しいと信じ込んでおった。
「腹違いの姉妹にもひどい仕打ちをしたね。天下人となったあんたは、貧しい農民だった自身の血縁(姉妹や兄弟)の存在が、血統が賤しいことを世間に知らせる不都合な存在になると考えた。
姉妹に対し「相応の処遇をする」と偽って京へ呼び寄せ、到着するや否や捕らえて惨殺した。きれいなお召し物で歓迎されると思って喜んで来た人を殺す。希望を持たせて絶望に突き落とす。人の心をもてあそんで楽しかったのかな?」
楽しかったんじゃ。わしは人ではなく悪魔じゃった。
「ほかにもフロイス『日本史』第12章にはこう書いてある。一人の若者が、いずれも美々しく豪華な衣裳をまとった二、三十人の身分の高い武士を従えて、大坂の政庁(大坂城)に現れるという出来事があった。この若者は伊勢の国から来たのであり、関白(秀吉)の実の兄弟と自称し、同人を知る多くの人がそれを確信していた。でも、この人たちもみんな首をはねちゃったよね?
それらの首は棒に刺され、都への街道筋に曝された。このように関白(秀吉)は己の肉親者や血族の者すら(己に不都合とあれば)許しはしなかったのである、だってさ。お金や地位を要求されたからなのか、お母さんが不特定多数の男性と関係を結んでいた事実を世に知られたくなかったのか知らないけど残虐すぎない?」
残虐すぎる。わしは鬼じゃ。
「産まれた子供をちょっと汚れた手で取り上げた産婆も斬首してるよね。産婆の両親も殺してる」
ほんとに心の狭い人間じゃった。妻や家臣たちもみんなわしの顔色をうかがって作り笑いを浮かべておった。
少しでも機嫌を損なえば即座に手討ちにされる恐怖で震えており、その様子がわしの支配欲を満たしてくれて楽しかった。
人間の腹の底には他人を屈服させたい。支配したいと言う欲が渦巻いており、わしはその欲を常に満たしておきたかった。悪しき欲が満腹でなければ安心して眠れんかった。
「だまし討ちと言えば九戸政実の乱もひどいよね。開城すれば命は助けるって言ったのに裏切って女こどもふくめて皆殺しにしたやつ。あんたは指揮官じゃなかったけど、あんたのよろこぶやりかたを知ってたんじゃない?」
確かに家臣からのどのような戦法で勝利したのか聞いてわしは大喜びした。わしの喜ぶ卑怯な戦法を熟知しておったのじゃろう。
「朝鮮出兵もひどすぎ。秀吉の軍の従軍僧として戦地に渡った慶念が記した『朝鮮日々記』には秀吉軍による略奪・殺人・焼き討ちが地獄のようであり、道が無数の死人で溢れ返り、二度と見るべきでない惨状だと記されている。なお「文禄の役」では、7万人もの人々が秀吉の指示によってほぼ皆殺しにされたという記録もある。だってさ。
侵攻した日本軍は朝鮮全土で民間人を殺害し、家屋や食料、文化財を掠奪したんだけど、これって無差別殺戮と掠奪だよね?
あんたのせいで未来の日本人は朝鮮の人たちからずっと恨まれてるんですけど?あんたのくだらない野心のせいで日本と朝鮮半島の関係に亀裂が入っていい迷惑よ」
わしの悪行のせいで未来の日本人にまで迷惑えおかけておるとは知らなんだ。
反省だけなら猿でもできると言われるかも知れぬが大いに反省したい。
わしは信長様を超えたかった。そのために世界征服して全人類を支配下におきたかったのじゃ。
国内で戦争を禁じたゆえに余った兵力を海外に向けてしまった。
あの時、軍人を減らして新たな仕事を作り、農業や土木技術、医学・医療の発展に国力を投じればよかった。
わし史上最大のあやまちじゃ。
「あんた門に落書きされて激怒したんだって?あたしの頭はネットにつながってるから歴史学者の渡邊 大門先生の記事を読むね」
ネットが何かは知らぬが、タマの頭脳は情報の宝庫のようじゃ。
「秀吉は自身や政権を揶揄する行為を決して看過しなかった。天正17年(1589)2月、聚楽第南側の鉄門に、秀吉を揶揄する「落書き」が貼り出される事件が起こる。落書きの具体的な内容は一次史料には残されていないが、当時の落書きとは、匿名で人目につく場所に政治風刺や批判、揶揄を内容とする文書を掲示する行為を指していた。
落書きを知った秀吉は激怒したものの、犯人を特定することはできなかった。そこで秀吉は、警備に不備があったとして門番衆17人の責任を問い、死罪を命じる。その刑罰は、初日に鼻を削ぎ、翌日に耳を削ぎ、三日目に逆さ磔とするという、常軌を逸した極めて残酷なものであった。
門番衆に直接の落ち度があったわけではない。それでもこのような刑が科された背景には、秀吉の怒りの激しさがあったと考えられる。その後も秀吉は執拗に犯人捜しを続け、その結果、尾藤道休という人物が容疑者として浮上する。ただし、道休は来歴などが不明な人物であった。
やがて道休が天満の本願寺に逃げ込んだとの情報が入り、秀吉は顕如に身柄の引き渡しを要求する。命を受けた石田三成と増田長盛が本願寺に赴くと、願得寺顕悟という僧侶が、落書きに関与したと思われる牢人をほかにも匿っていたことが判明した。いわば芋づる式に関係者が次々と明らかになったのである。
■京都六条河原で磔刑。
顕如はただちに道休と顕悟に切腹を命じ、その首を秀吉に差し出した。しかし、これでも秀吉の怒りは収まらなかった。秀吉は両者の屋敷を破却し、さらに寺内町を焼き討ちにして、関係者を次々と捕縛していく。
同年3月9日、道休の妻子を含む63人が、犯人を匿った罪で京都へ連行された。このうち3人は切腹を命じられ、残る60人は六条河原で磔刑に処されている。処刑された中には子どもや高齢者も含まれており、年齢や性別を問わない苛烈な処罰であった。
天下人となった秀吉は、自身や政権を嘲笑されることを決して許さなかった。落書きという匿名の批判に対しても、徹底的に犯人を追及し、過酷な処罰を加えたのは、人々に強烈な恐怖と服従を植え付けるためだったと考えられる。だってさ。むごすぎてなんも言えないわ」
人間の心を取り戻したわしも前世のわしの残虐行為にドン引きじゃ。
無間地獄に落ちて当然じゃった。
「ほんとに処刑好きだよね。独裁者は粛清と称して気に触る人間を物理的に消滅するけど生きた人間を鼻を噛んだティッシュを燃やすようにこの世界から消し去るのはどうなの?人の心がなさすぎ」
自分の命令一つで簡単に人が死ぬのが面白かったんじゃ。
かんぺきに狂っておったな。
「悪行はまだまだあるよ。宣教師ルイス・フロイスの『日本史』によると秀吉の宮殿内において女房衆の「不行跡」が多く見られ、その結果、多数の男女や僧侶が処刑されたと記されている。
火刑(火炙り)や斬刑(斬首)に処された者は30名を超えたというから、その規模は尋常ではない。単なる内部規律違反として片付けられるものではなく、異例の大量処刑であったことは間違いないだろう。これ覚えてる?」
しっかり覚えておる。いまのわしには信じられん残虐な行いじゃ。
あの頃のわしを斬り殺してやりたい。
「ほかにもあるね。■不貞を犯した女中をノコギリ轢きに。さらに衝撃的な記録が『時慶記』文禄2年11月4日条に見える。そこには、秀吉に召し抱えられていた一人の女房が、暇(奉公を辞めること)を正式に願い出ないまま、男と結婚したことが記されている。その処分内容は、読む者を震撼させるほど苛烈であった。
三条橋で生まれた子は殺害され(史料には煮殺したと記されている)、女房とその男は土に首だけを出して埋められ、鋸引きの刑に処されたというのである。秀吉の命によって、一組の男女が極めて残酷な刑罰を受けた事実が、ここから明確に読み取れる。
これらの史料を通じて浮かび上がるのは、秀吉の怒りがいかに激しく、また容赦のないものであったかという点である。驚くほど苛烈な処罰は、男女関係の乱れを厳しく禁じるため、見せしめとして行われた可能性が高い。
規律を徹底するための処罰と解釈することは可能だが、なぜここまで苛烈な対応に及んだのか、その真意は判然としない。女房が秀吉の許可を得ず、無断で結婚したこと自体が、天下人の逆鱗に触れたのだろうか。だってさ。逆鱗に触れちゃったの?」
逆鱗に触れたんじゃ。当時のわしは短気で怒ると手がつけられんかった。執念深く恨みも続ける性格じゃった。子供の頃、いじめられた記憶も死ぬまで持ち続けて許せんかったのぉ。
天下人になり昔のいじめっ子を殺してやろうと思うたがすでに死んでおり残念におもうたものじゃ。死ぬまで恨みを持ち続ける性格で燃えさかる恨みの炎が天下人になるという野望を果たすための原動力じゃった。
かつてのわしは本当にどうかしておった。止める者がおらんかったのはみんなわしを恐れて止める者はおらんかった。
「あんた美少女好きで大奥に300人も愛人を囲ってたんだって?美少女のうわさを聞いて村に出かけたら村人に隠されたって言う話も残ってるわ。残酷で美少女好きで黄金好きの成金趣味で人間の欲望の権化みたいね」
美少女好きじゃった。独占欲も強かった。金の茶室や黄金の茶道具、金の成り瓢箪など成金趣味じゃった。タマの言うとおり欲望が人間の皮をかぶって歩いておったな。
「悪口を言った町人8人を耳鼻削いで逆さ磔にして処刑したってほんと?独裁者は悪口を嫌うよね。疑心暗鬼なのかな。山上宗二って茶人を耳鼻削いで首をはねたって話もあるよ?反論も許さないなら何も言えないよ。恐怖政治を敷く独裁者が暴走するのは当然だね」
ぜんぶホントじゃ。あやめた人間には許しを乞うしかないがけして許されないじゃろう。
かつての悪行を強制的に聞かされる地獄の日々は永遠に感じられた。
わしは聞きながら死者の魂に手を合わせ続けた。
月日が流れ7才になりようやく言葉がしゃべれるようになる。
わしは原っぱでタマに向き合った。
「タマよ。わしは地獄で命を奪った人間の人生を何度も体験させられた。何万人もの被害者の人生を光速で体感させられたんじゃ。被害者の家族や友だち、飼っておる動物の人生もな。どれほど悲しく、悔しく、怖く、憎いか、それがすべて伝わった。地獄に戻れば、刑期が終わるまでまた何度も味合わされるじゃろう。
わしは罪悪感から地獄で何度も自殺を繰り返した。でも地獄では死ねぬ。じゃから、わしはそなたの気持ちも言いたいこともすべてわかっておる。そなたにも本当にすまぬことをした」
「へーっ、そうなんだ。そんないい刑罰があるんだ」
「獄卒の持っておる金棒で殴られると被害者や関係者の生涯が経験できるのじゃ」
「あたしも欲しいなぁ。その金棒」
タマは指をくわえる。
「自分なりに分析したが、わしが残酷なのには理由がある。いじめられっ子じゃったから復讐心が強かった。わしは自分がされた嫌なことをだれかにやり返してすっきりしたかったんじゃ。それに戦国時代は野心を持ち人の命を奪うことになんのためらいもない武将が多かった。わしが仕えた信長様も残酷なおかたじゃった。信長様は最初に攻めた城で女子供ふくめて皆殺しにした。他の国は逆らえば皆殺しにされると恐怖して早々と降参した。残酷な戦法をとったのは敵の戦意を喪失させるためじゃ。戦でこちらの戦力を減らさぬためにもすばやく降参させねばならん。殺伐とした時代じゃ。恐怖心を植え付けねば敵味方に簡単に裏切られ、こちらが一家郎党皆殺しにされてしまう。妻子を人質に取るのも裏切り防止じゃ。裏切られれば当然、妻子は殺す。敵将の子供を市中引き回しの上、処刑するのも敵将の血が途絶えたことを世間に広く知らせねば、その子供を反撃の旗印にしてまたいつ攻めて来るかもしれぬ。わしは残酷な勝ちかたをすればするほど信長様にほめられて出世した。みんなからもすごいやつじゃと尊敬の眼差しを向けられた。じゃから、それが正解じゃと思い込んでしもうた。戦乱の世では人の命をもて遊び人々に恐怖を与える者こそ尊敬を集めておったのじゃ」
「戦乱の世は残酷競争だね」
「うむ。信長様との戦いに敗れた朝倉義景殿が自害した時、戦後処理にあたった丹羽長秀殿が義景殿の母と妻子を串刺しにしたことがあった。息子の愛王丸は4才じゃった。丹羽殿は信長様にたいそうほめられておったな。主君に敵将の生き残りを殺してこい!と命じられ、はいわかりました!と答え、すばやく殺して帰り報告すれば主君にほめられて信頼を得る。出世の道が開ける。わしはそれを間近で見ておったから、そうすることが正しいと思った。比叡山焼き討ちではあのおだやかな光秀殿も女子供をふくめて皆殺しにして出世した。信長様も絶賛しておった。わしもがんばらねばと思うた。戦乱の世はやるかやられるかじゃ。残忍な人間が勝者となり国の頂点に立ちやすい時代じゃったのじゃ」
「コロちゃんも言ってたように戦乱の世がすべて悪いってわけね。でも、戦乱の世でも善なる心を持って自分を貫いた人もいるわけじゃん?ブッダとか道元禅師とかさ」
「わしは心が弱く欲深く悪に心が染まりやすかったんじゃ」
「今回の人生では善なる心を貫いて欲しいもんだね」
「もちろんそのつもりじゃよ。そのためにまず家を出る」
「家出?どこにいくのさ」
わしはニヤリと笑うてみせた。
「伊賀の里じゃ」
家族に丁寧な手紙を書いたわしは夜明け前に出立した。タマも一緒じゃ。
わしは天下泰平の一歩を踏み出した。
参考文献 渡邉大門先生の記事を特に多く参考・引用してます。
「豊臣秀次事件に連座し、豊臣秀吉から自害を命じられた3人の武将とは?」ネット記事
「小田原合戦で豊臣秀吉に敗北を喫し、自害を命じられた4人の面々とは?」ネット記事
「劣等感にさいなまれた豊臣秀吉は、己の兄弟姉妹を惨殺する残酷な男だった」ネット記事
「小田原合戦で豊臣秀吉に敗北を喫し、自害を命じられた4人の面々とは?」ネット記事
「もはや目を背けるしかない!豊臣秀吉が行ったあまりにむごい残酷な所業3選!」ネット記事
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「未開の地だった江戸に入った徳川家康は、まず何から始めたのか」ネット記事
「関東の連れションベン」Wikipedia
「はりつけ、油茹で、ノコギリ挽き…大河ドラマ「豊臣兄弟!」にはきっと出ない秀吉が命じた残酷な刑罰の数々」ネット記事




