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裏切られた、といった感情は、残っていないことはない。大人になった今の美月なら、あの頃の彼女との約束は他愛のないモノで、大人の都合で簡単に反故されてしまうモノだといったことが、理解できている。
同じ高校に行こう、だなんて、美月と結衣の学力を鑑みれば、土台無理な話だった。美月のレベルに合わせた高校への進学なんて、結衣の両親や教師が反対し、考え直すように結衣を説得して当然だろうし、中学生といった子どもならば、ソレらに逆らうことはできない。
けれども、子どもの美月は、結衣と強く、強く約束した。あの時の美月と結衣の関係性から、結衣が美月へ何の相談もなく反故するとは思わなかった。思っていなかった。また、反故したことを内緒にするなんて、考えもしなかった。
そもそも美月だって、できない子どもではなかった。テストでは、たいてい学年の上位15%以内には入っていた。でもソレでは結衣の学力には到底及ばなかったのだ。努力だけでは縮めることができない、差。
結衣は、地頭が良い。
地頭が良い相手には、美月がどれだけ努力しても、その差を縮めることができなかった。
もし、結衣が大人の説得に応じず、美月との約束を大事にして同じ高校へ進学していたら。
それはそれで、後々美月が酷く後悔していただろう。
大きく飛び立つことのできた大切な友人の足枷になってしまったことに、どこかで気づき、美月も結衣も傷ついていたかもしれない。
けれどもソレは、大人になった今の美月だから、そう思うことだ。
あの頃の、中学生の美月では、そのような考えには到底至っていなかった。結衣の、美月に内緒でワンランク上の、県外の高校を受験し、進学することが決定していた事を結衣本人ではなく、クラスメイトから知らされたときには、裏切られた感が美月の心を大きく占め、怒りと悲しさで彼女を避けるといった行動に移してしまったのだから。
けれども。
美月のその当時の気持ちや行動は、自分本位だ。結衣のことも、結衣の先々の人生のことも考えてはいなかったし、そこまで視野は広くなかった。
「あ、うん。」
結衣の美月のその提案への返事は、歯切れが悪い。
「あ、そうか。旦那さんと子どもさん、一緒だっけ。」
大学進学により実家から出て、この年齢まで気ままな独り暮らしをしてきている身分だと、そのような家族関係に思いが至らない。
しかし、美月のその言葉に、結衣は頭を振ると、
「子どもはシッターさんにお願いをしてきたから、今日は連れて来ていないんだけど。」
美術館に2歳前の子どもはちょっとね、と付け加える。
シッターさん、といった単語に、結衣の今の経済状況が垣間見えた。
「じゃあ、今日は旦那さんとだけ、一緒なんだね。旦那さんは、今ドコに?」
美月のその言葉に、結衣はちらりとショップの出口の方に視線を向けた。美月も結衣に釣られ、そちらに視線を向ける。
視線を向けた先、ショップの出口付近に紺のジャケットを着た中肉中背の、失礼ながら特に特徴のない男性が所在なさそうにスマホをいじっていた。
「旦那さん?」
と、美月が訊くと、結衣がうなずく。
「ご挨拶、しようか?イヤじゃなければ、一緒にお茶でも。」
と、美月がそこまで言ったところで、結衣はゆっくりと頭を振った。
ソレは、拒否。美月の今の提案に対する、結衣からの拒否の意思表示だ。
どれに対する拒否なのか。挨拶か、一緒のお茶か。
それとも、両方か。
「子どもが家で待っているし、もう、帰らなきゃ。」
ごめんね、と、結衣が謝る。
結衣の謝罪に、謝らなくていいよ、と美月は笑んで返すと、
「じゃあ、挨拶だけでも。」
との、続けての美月の言葉にも彼女は頭を振る。
「美月とわたしの、今度、時間があるときに落ち着いた場所で、どうかな。」
結衣からのその提案は提案のようで、完全なる美月への拒否だ。
そうか。
そうだよね。
美月から結衣との交流を、中学生といった子どもだったとは言え、美月の身勝手な感情で絶ったのだった。それから、もう何年も経ってしまっている。
美月は結衣からのその提案に、わかった、と笑顔を浮かべて片手をあげる。結衣も間髪入れず、片手をあげて美月の上げた手にハイタッチをしてきた。
それは中学校時代の、ふたりの別れ際の儀式。身体が自然に動いていた。
その行為に、美月と結衣から自然と笑顔がこぼれる。
結衣はその笑顔のまま、
「夫が待っているから。またね。」
と、踵を返して男性が待つ出口へと、足早に去っていった。
「またね。」
美月も結衣の背中に、別れの挨拶の声をかけた。美月から、別れの挨拶の言葉をかけられた結衣は、美月へ振り返らない。
そう。
美月も。
たぶん、結衣も理解している。
また、は、もう、ない。
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ともだち?と、ショップの出口で結衣を待っていた夫へ近付いてきた結衣に対して、夫からそう訊ねられた結衣は、
「昔の、たんなる知り合いだよ。」
と、答えていた。
その結衣の言葉に、更に、良かったのか?と気遣う夫に、
「ちょっとだけ挨拶をして、世間話をしてただけ。」
肯定の意で良かったのだと、うん、とうなずく。
それでも。
結衣はそう言いながらも知らずショップの中へと視線を移し、ショップに置いてきた美月の姿を探していた。
けれども、今、さっきまでふたりで話していた場所に、美月の姿はもうなく、少し遠目からざっと見渡した店内に、彼女の姿を見つけることは出来なかった。
彼女も気づいていたはずだ。またね、は、もうないことを。
なのに、美月はそれに異を唱えることなく、承諾した。
彼女らしいと思う。結衣がそのようなことを、事情を知らずにされれば、美月のように立ち居振舞えない。真似は出来ない。羨ましく、大好きだった、友人。
美月は、彼女自身は気づいてないようだったが、彼女は中学生の頃から『自分』というモノを、その芯に持っていた。いつもその背筋は真っ直ぐに伸びていて、何があってもその背筋が揺るぐことがなかった。凛とした美月の、そのような姿はキレイで、結衣にはオトナびて見えていた。
その姿は10年以上経った今でも、変わっていなかった。だから、結衣は美月にすぐに気づくことが出来た。意識せず、声をかけていた。
中学校に入ってから、顔見知りにもなっていなかった美月を結衣は一方的に知っていたし、美月に対して、憧れに近い感情を、結衣はいつしか抱くようになっていた。
そのように、気になっていた美月と実際に話をしてみれば、彼女は結衣と感性が似ていて、一緒にいてとても楽しかった。一緒にいる時間は、あっという間に過ぎてしまって、足りないくらいだった。
けれども、その自分の感情に反して。
結衣は、彼女と時間を供にすればするほど、そのような美月が大嫌いになっていった。
相反する感情。
大好き。
だけれど、大嫌い。
ずっと一緒にいたい。けれども一緒にいると、イラつきがでてきた。
誰に対しての、イラつきか。
美月は変わらず、彼女のままだった。結衣と親友といった仲の良さになっても、美月は美月のままだった。結衣に引きずられることはなかった。
その姿は結衣の理想であり、憧れだった。
だけれども、結衣は、美月にはなれなかった。
それは、勉強ができる、とかではない部分だ。人そのものの部分だ。
だから、結衣は美月から逃げた。
一緒にいれば、楽しい。大好きの感情はあった。もっと、ずっと一緒にいたかった。もっと話がしたかった。話を聴いてもらいたかった。美月の話が聴きたかった。
けれども近付けば近付くほど、大嫌いの感情も芽生えた。結衣のコントロール下に置くことができない、自分でも驚く、黒くて汚い感情。
それは、大人になった今でも、美月と思いがけず再会して、話してみて、変わらず結衣の中に鎮座していることを再確認した感情だった。
だからたぶんきっと、これからもこの感情は結衣の中から消えることがないのだろう。
「またね。」
結衣は、小さく呟く。
連絡先を、訊かなかった。
連絡先を、訊かれなかった。
そのような行動が美月らしくて、変わらないのが、嬉しくて。そして、ソレが憎々しくて。
「またね、美月。」
決して果たされることのない、果たすことのない約束事を、再び結衣は小さな呟きで落とした。




