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二律背反  作者: つきたておもち


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「たかさき、みつき、さん?」

 美術館の展示物を見終わり、展示室の出口から続くショップで、何か気になる物はないか、とレプリカの小物を手にしていると、美月は自分の右隣に立って同じく物販を見ていた女性から突然に、フルネームで声をかけられた。

 振り向くと、そこには丸みのショートボブの女性が少し驚いた表情で美月を見ている。

 鼻梁の通った、整った顔立ち。目はあまり大きくはないが、二重目蓋で、黒目が大きめの、左目下に泣き黒子がある、キレイな女性。

 見覚えのある、カオ。

 ただし、美月が憶えているカオは、もっと幼さがあった。

「…結衣?」

 反射的に、美月はその女性にそう呼びかけていた。


 *


 課内回覧のファイルの中に一枚だけ残っていた、美術館の招待券。

 それはたぶん、会社のどこか得意先か取引先か、または関連機関から貰ったものなのだろう。

 もともと中途半端な枚数だったのか。それとも高碕美月の手元に回覧が回ってくるまでに、誰かが貰ってしまったのか。とりあえず、ファイルの中には美術館の展示内容の案内フライヤーと、一枚の招待券が残っていた。

 普段なら美月は回覧ファイルの中身をざっと確認したら、そのまま次の人に回しているのだが、今回はそのフライヤーをファイルから取り出し手に取っていた。

 美術館の展示物は、『うつわ』がテーマであり、焼き物から青磁、ガラス、縄文時代から現代までの『器』が展示されているようだった。展示期間は、と確認すると、この日曜日までだ。

「コレ、貰って良いかな。」

 美月は隣席の、同期の中で唯一の女性で同僚である多嶋に、招待券とフライヤーを見せながらそう声をかけていた。

 多嶋はPCのキーボードを打っている手を止めると、美月が手にしているフライヤーを取り上げ、中身を確認しながら、

「日曜日までだし、招待券、一枚だけだしね。誰も行かないんじゃないかな。」

 貰って良いんじゃない、とフライヤーを美月に返した。

「高碕って、美術に興味があるんだ。」

 再びモニターをにらみつけながらキーボードを叩くように打ち始めた多嶋から、意外、と付け加えられた失礼な感想混じりの問いに、

「これでも結構、美術館巡りをしているんですケド。」

 と、苦笑で返した。

「じゃ、なら、なおさら貰って良いんじゃない。」

 と、多嶋は美月からの返事に、モニターから目を離すことなくそう答える。多嶋の美月へのその対応は、何となく面倒臭さが見え始めていた。

 そういえば、彼女は仕事の納期が近い。と言うより、彼女の今している仕事は、午後一番に課長へ提出しなければならない案件だったことを、美月は思い出す。現在の時刻は11時30分を少し回っている。となれば今、まさに最高潮、山場。多嶋は美月との他愛のない会話を楽しんでいる余裕など、これっぽちもない状況だ。

 と言うものの、実のところ、美月も今日中に課長に提出しなければならない会議資料を作成中の、多忙の部類に入っている。朝、課長は美月の顔を見るなり、美月からの朝の挨拶に応えもせずに、開口一番、会議資料の提出期限を念押ししてきた。

 今年、異動してきた課長は、期限に厳しい。

「じゃぁ、貰おうっと。」

 仕事へ専念すべくこの会話を打ち切った美月へ、

「でも、ソレ、一枚だけじゃん。ひとりで行くの?」

 続けての、彼女からの問い。

 美月に興味があるのか。それとも、彼女が今手がけているその仕事の、段取りに目処がついたのか。

 今さっきは面倒臭そうに答えてたじゃん、という、不満をおくびにも出さずに、

「多嶋、一緒に行く?」

 美月は多嶋へ、そう返した。

 彼女が同行する筈がない。

 多嶋と席を隣にして3年になるが、それこそ彼女が美術館へ行った話は聞いたことがない。彼女の彼氏とのデートは、専らアクティビティの方だ。

「まさか。あたしは興味ないし。」

 案の定の、多嶋からの答え。

「あたしは、高碕は、彼氏と行かないのか、と聞いているの。」

 よし、できた、といった呟きとともに、多嶋は視線をモニターから外して美月へと移し、そう攻め入ってくる。

「まぁ、あとの一枚は彼氏が購入すれば良いんだけどね。」

 余計なお世話だと思う。

 美月に特別な異性が居ないことを知らないのか、知っていて話題を振ってきたのか。

 美月は生まれて30歳に近いこの年齢まで、特別な異性が居たことがない。ただ、そのことが美月には、つまらないとか、淋しいとか、不便とか感じたことがなかったので、現在も流れに身を任せている。

 特別な異性が居る、友人知人をちょっぴりは羨ましく思うこともあるが、それはホンのちょっぴりだけだ。美月に浮いた話がないことにヘンに焦ってきだしたのは、美月の両親くらいだ。

 そもそも、美月は、特別な異性の作り方、なんてわからない。両想い、なんて聞くが、どうすればそのようにお互いが好き合えるのか。そのこと自体に懐疑的だった。

 そのようなことを考えてしまう自分が、自分でもどこか壊れているのだとの自覚はある。

 この調子だとたぶん、おそらく、この先ずっと、お独り様で過ごすのだろうと、美月は自身で予言している。

「独りで、行くよ。わたし彼氏、居ないし。」

 美月のその返事に、意外にも多嶋は驚いた表情を見せた。多嶋のその表情から、彼女は美月に特別な異性が居ないことを、知らなかったらしい。

「高碕、可愛いのに。何?今、フリーなの?」

 30歳手前の女性に、可愛いはないだろう、と思うが、褒めてもらえるのは幾つになっても嬉しいものだ。

 今、フリーも何も、ずっとフリーなのだが。

 と、美月が答えようとした時。

「多嶋さん。出来たのなら持ってきてくれ。」

 と、美月たちが無駄口を叩いていることに気づいた上席から、催促の声がかかる。

 続いての、高碕さんも資料が出来たのか、との声には、もう少しです、と美月は返し、多嶋との会話は終了した。


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