七十四、早退のキサラ
「おーナツヒ様じゃないですかー!」
「お邪魔します、テツさん。次に俺が来る時までに作るって言った資料はできました?」
「フフ、フフフ……」
怪しい笑みを浮かべるテツに笑いかけるナツヒ。
ナツヒが一週ごとにくるので、テツはナツヒに次の週までの課題を勝手に宣言して、締め切りにしているらしい。
「キサラ、体調はどうだ?」
「大丈夫ですよ、お気遣いありがとうございます」
ナツヒに改めて求婚されたあと、キサラはまっすぐナツヒを見ることができなかった。
軽く会釈だけして机に向かう。
「砦に行ったって聞いたけど、本当に大丈夫だったか?」
ナツヒがテツから離れてキサラの方に寄ってくる。
「……顔色がいつもより悪い」
「まぁ……そうかも、しれませんね」
「キサラ、体調が悪いのか?」
さらにテツがナツヒの後ろからキサラを伺う。
「早退するか?あ、でもそうしたら、ナツヒ様がキサラとご飯にいけないですね」
「キサラの体調の方が大事だ。むしろ、沼地まで送る」
「その方がいいですね」
「そこで話を進めないでください」
はぁ、と息を吐く。
ドキドキ、と心臓がうるさい。
「体調は悪くないので、食事は行けますよ」
「キサラ、無理はしないほうがいい」
「そうだ。今は学生も来ていることだし」
ナツヒとテツが立て続けにそう言ってくる。
正直、アキも来てくれているので、キサラがいなくても診療所は回る。
アキが優秀な医師というのは本当らしい。
すぐにあの診療所やキサラの仕事を覚えてしまった。
「……」
ちらり、とキサラはナツヒを見た。
ナツヒの雰囲気は前とは少し違う。
おそらく、前のナツヒならキサラを抱えてでも沼地に連れて帰るか、早退を促していただろう。
しかし、今はこちらを見て、静かにキサラの返事を待っている。
先日も待つ時間を認めてくれている。
「キサラ、どうするんだ?」
「この際、ナツヒ様に連れて帰ってもらったほうがいいんじゃ?今日は実習や講義もないし」
「……ナツヒ様」
ずっと逃げていては、自分が納得できない。
キサラはナツヒに向かい合った。
今にも、落ちてしまいそうな深い紅をのぞき込む。
「……今日お時間をいただきたいので、食事に行きましょう」
「体調は大丈夫なのか?」
「大丈夫です」
何かを言いたげに口を開いて、すぐに閉じる。
ナツヒは、キサラの琥珀色の瞳ともう一度向き合って、苦笑した。
「その目には弱いんだ、俺は」
「わかった、無理はするなよ」と釘を刺される。
キサラは静かにうなずき、自分の机に向かった。
「テツ。ちょっと寝る」
「ん?あ?資料手伝ってくれるのでは??」
「早退扱いで」
「おい」
キサラはそのまま突っ伏して目を閉じた。
モヤモヤしたままでは、家に帰ったとしても寝れる気がしない。




