六十九、墨家の領地改革
「キーサラっ!」
「マサ様。また突然ですね」
「今日は本当に突然。早めに話をしておいたほうがいいと思ってねぇ」
キサラの仕事が終わる頃、沼地にやってきたマサは、深刻そうな顔をしている。
キサラの小屋に入ると思いきや、ここでいい、と手を上げる。
「実は、中央領の大学校から依頼が来ている」
『中央領の大学校から依頼』
マサがわざわざここに来て、小屋を眺めている。
嫌な予感がする。
「医者を目指す学生の数名を、ここに派遣しようとしているらしい」
「……また藪から棒に……」
「まぁ、これもアキ先生とキサラ先生の成果のたまものだねぇ」
さて、とマサは小屋を眺めた。
「ということで、この小屋を改修しよう」
「……はい?」
「こんな小屋の診療所だと受け入れできないだろ?ついでに、学生とキサラの個人部屋も作る!」
「ですが、そんなお金は……」
「問題はない。墨家がすべて持つことになった」
キサラは眉をひそめる。
この沼地に肩入りする理由が見えなかった。
墨家にも、紅家の藤のような当主の秘書がいるはずで、その秘書が考える理由があるはず。
「それは……墨家に利益があるのでしょうか?」
「もちろん!ここは北領にとって重要な拠点にするため!」
「こんな沼を?」
マサの笑顔は、わかっていっているのか、自分の一族を信じて言っているのか、わからない。
しかし、いつもは見えない彼の紺色の瞳が陰る。
「我が国は、妖怪と人間の協同によって発展してきた」
「はい」
「僕たち妖怪には、”ちょうどいい”気候というのがある。北領のように寒い場所のほうが妖力が安定するとか、鬼の妖力の恩恵を受けることができるとか、昔の契約によるものとか」
「だけど、人間はどう?」と聞かれる。
キサラは自分で考えている。
妖力がわからないキサラでさえ、どの領でも生活できると思う。
寒がり、暑がりといった好みはあるが、それだけで生活する場所を決めない。
仕事や学校、家族。
「人間は放置していると中央領に近いところで生活することが多い。妖怪による庇護が強く、町も発展している。それに、暑すぎず寒すぎない。だから、こういう辺鄙な土地は不利だ」
「そう、ですね……」
キサラも、この沼地だからこそ働くことができているともいえる。
他の妖怪もいなくて、病院も少ない。
「だが、ここに働く場所ができたら?人間が生活しやすくなれば?妖怪との仲がよければどう?状況がかわるかもしれない」
「それを……私が望まないとしても………?」
「これは、北領を治める墨家の方針。まぁいわば、領地計画だねぇ」
「他にも同様に強化すべき地域はあるのではないかと」
北領といえど、国の五分の一を占める広さ。
ここだけではないはずだ。
「ここは君もいるし、河童の一族もいる。井戸の件のときにシノとも仲良くなれたしねぇ。その上、中央領の大学校からの派遣依頼。今が一番動き始めとしては都合いいんだよねぇ」
「……」
八方塞がりだ。
拒否権はないのだと察する。
「実は、アキもここに来たいらしい。キサラ先生の元で勉強したいって。アキは元々うちの専属医にならないといけない人じゃないし」
「はぁ……」
「最終的に墨家が認める診療所にしたいと思ってるんだよねぇ」
マサが浮かべているのはいつもの笑み。
これには逆らってはいけない、と本能的な感覚が言う。
やはり拒否権はない。
「……マサ様。一つお願いがあります」
「なにかなぁ?」
笑みは崩れない。
ある程度の要望は聞いてくれそうだ。
キサラは大きく息を吸う。
「一度、砦を見せてくれませんか?」
* * *
「キサラ先生!」
「……いらっしゃい、アキ先生」
「こ、こんにちは……」
一ヶ月後。
アキとともに大学校の学生が数名やってきた。
沼地にこれほどの人間が集まることがあっただろうか。
それを迎えるのはキサラ。
嫌悪ではない、友好的な視線を向けられる。
遠くで笑みを浮かべているマサがキサラを観察している。
キサラは無理矢理に笑顔を浮かべた。
「ここで医師をしています、円弧キサラです。ようこそいらっしゃいました」




