六十七、『なんとなく嫌』
「ああ、一つだけ言い忘れたことが」
「なんですか?」
食事が終わり、解散するころ。
ナツヒがキサラを引き留めた。
「妖狐は基本的にキサラには興味がないし、人間として生きるならそれでいい、という回答だった。でも、一人だけ、キサラに恨みをもっている妖狐がいる」
すぐに思いついた。
キサラはもう数十年も会ってないが。
「ヤスロウの父親ですね」
「ああ。キサラが『闇医者』だと噂を流したのは彼だと、マサが言ってた」
「マサ様も関わってたんですか……」
「北領の話だしな」
そう言われれば、納得してしまう。
随分と、ナツヒに甘くなったのかもしれない。
「だから、キサラは墨家だけじゃなくて、紅家ともつながりがあるようにしておくほうがいいだろう、という俺の意見」
「……ありがとうございます」
そう言うと、予想通り、ナツヒの目が微笑む。
単純な反応が思った通りに返ってくるのは楽しい。
マサの気持ちが少しわかるような気もする。
「食事をする目的はわかりました」
「それと、俺はまだ諦めていない」
ナツヒの手がキサラの手をつかむ。
「俺の想いが本物だって、証明する」
「ナツヒ様」
キサラは冷静に、静かに、言葉を選んでいく。
「私たち人間は、論理的に物事を判断するのが得意です」
「ああ」
「私が来週の食事を受けるのは、ナツヒ様だけでなくその後ろにある紅家のお考えに従うまでですから、お忘れなきよう」
「でも」
キサラがナツヒの手を振り払おうとしても、逆にその力は強くなる。
「人間だって、感情がないわけじゃないだろ?」
「そうですね」
「なら、俺は嫌いか?」
「いいえ」
「好きだろ?」
「いいえ」
「なんで!」
よくわからん、とナツヒの目がキサラをのぞき込む。
久しぶりにみた赤い瞳の奥底。
それは病気の時も、元気になっても、変わらない光を持っている。
「ナツヒ様。おっしゃるように、私にも感情がないわけではないんですが、先行する別の考えがあるんですよ」
「たとえばなんだ?」
「次期当主のナツヒ様なんですよ。紅家の評判が落ちないか、紅家に嫁ぎたい鬼に申し訳ないな、とか」
「それは俺や君が考えることじゃないな。父上が解決してくれるだろう」
「当主夫人にも迷惑じゃないかとか」
「父上に言っておこう」
「自分は『闇医者』ぐらいがちょうどいいな、とか」
「あの沼地を気に入っているんだな」
「そうですね」
多分、あの沼地を離れるのが嫌なんだろう。
キサラが沼地を離れてしまうと、大きな病院に見捨てられてキサラを頼ってくるような妖怪はどうなってしまうのか、わからない。
「あとは」
キサラはうつむきながら考える。
こういうことを口にするのは苦手だ。
「なんかわからないですけど、ナツヒ様の思い通りになるのは、なんとなく嫌です」
「嫌⁈」
『なんとなく嫌』
その考え方は、妖怪寄りのかもしれない。
『嫌だ』という理由のない感情で行動を決める。
人間にもそんな要素があるのか、それともこれがキサラの妖怪らしいところなのか。
「……わかった」
だが、ナツヒは納得したように、キサラの手を離した。
「時間をかけよう」
「ナツヒ様?」
「その気持ち、なんかわかるから。俺にもキサラにも、時間が必要だと思う」
ナツヒはそう言って微笑む。
「よくわからない感情を考える時間。その時間を俺との食事にほしい。そう思ってくれていい」
な、と同意を求められる。
それに『なんとなく嫌』はなかった。
キサラは渋々うなずくのだった。




