六十二、『修行の古井戸』
マサの案内で、三人は屋敷の外を回っていく。
「今から行く井戸で、昔から『修行の古井戸』って言われてる。子どもの頃、僕とナツヒでこの古井戸に潜ったんだ」
「今思うと、そのあとからちょっとずつ調子が悪くなった。水との関わりで思いついたのがここだった」
「だから『ミズタマリ』の原因があるんじゃないか、ということですね」
「その通りぃ!」
一行の目の前に井戸が見える。
周りにはすでにマサの部下なのだろう、鬼が多く控えていた。
「キサラ先生~!!」
「アキ先生」
井戸のそばには短髪の人間、アキがキサラに手を振っていた。
「シノ様も!こんにちは!」
「こ、こんにちは」
「アキ……?」
アキはシノにも笑みを浮かべる。
『アキ』という名前を聞いて、ナツヒがぴくり、と眉を動かす。
「ああ、ナツヒとは初めてだね。アキ」
「初めまして、紅 ナツヒ様。墨家の専属医をしています、アキと申します」
「あ、ああ……」
ナツヒは殴りかかることなく、じろじろとアキを見て納得した顔をした。
それがナツヒが見たというキサラの家に来た『男』と勘違いした姿と合ったのだろう。
「さて」
マサが部下から黒い縄で出来た綱を受け取る。
「これからすることをアキから説明してもらうよ」
「はい」
アキが井戸を指さした。
「今からマサ様がこの井戸の中に入ります。井戸の中は、流速が早いと聞いています」
「ああ」
ナツヒは静かにうなずいた。
一度入ったことがあるので、知っているのだろう。
「なので、マサ様にはこの綱を腰に巻いてもらいます」
「巻いたぞー」
「そして、この綱をナツヒ様、以下、墨家の鬼たちが支えます」
「わかった」
綱をナツヒが受け取る。
キサラは、普通と違うその綱から目が離せなくなる。
それに気付いたアキが笑顔になる。
「さすがキサラ先生!こちらの綱は毛倡妓の髪から作ったもので、どんな力がかかっても切れない丈夫な綱になります!」
「つまり、俺たちは遠慮せずに引っ張ればいいということだな」
「はい」
マサには、試験管のようなものを渡しながら、そう返事する。
アキはナツヒに頷く。
「また、ナツヒ様には井戸の中を照らす光を用意してほしいのです」
「わかった」
ナツヒが右手で指を鳴らすと、左手に球体の光が浮かび出す。
「水面の上に浮かぶようにしておく」
「ありがとうございます」
キサラが眺めていると、ナツヒの手を離れた光が井戸の上に浮かぶ。
これが本来の鬼の力。
属性の力を空間に出現させる。
それを攻撃として利用することも、防御として利用することもできる。
「シノ様は、マサ様が入ったあとの支援をお願いします」
「は、はいぃ?!」
お茶を淹れることしか考えていなかったシノは大声を上げる。
だが、よく考えれば、シノもマサと同様に水属性の妖怪。
水の中での作業になるなら、地の利があるのだろう。
「な、なななななんで私がぁああ??」
「……マサ様。シノ様に伝えていなかったですね?」
「ああすっかり忘れてたなぁ」
井戸の壁に座りながら、ニコニコと笑うマサ。
それを見たキサラは改めて人間でよかった、と思うのだった。
マサには振り回されそうだ。
「シノ。僕がこの井戸の中に入るから、その後を追いかけてほしい」
「ででですが、なぜ私が……!」
「河童なら水にも強い。それと、井戸の底から試料をとったあと、井戸の上に届ける必要がある。そのためには、小柄なその体が役に立つと思ってね」
「そそそそそれなら、私が先に」
「いや」
我先にと井戸に飛び込もうとするシノをマサが止める。
浮かべている笑みは、いつもの面白そうな笑みではない。
「こういうときは主人を先に行かせるべきだよ、河童の次期当主さん」
「はははははい」
マサはシノを持ち上げて、一緒に井戸の壁に座る。
その光景をみながら、キサラは首をかしげた。
シノは河童の一族だとは聞いていたが。
「次の当主なのか、あの河童は」
綱を持ったナツヒがそう呟く。
それを聞いたのだろう、マサは「そうさ」と伝えた。
「河童の一族はあの沼一帯を任せてる。シノは次の当主だ。こちらとしても仲良くしておきたいと思ってたんだよねぇ」
「シノ、そうだったんだ……」
次からは様付けをしないといけないのか、とキサラは小さく呟いた。
それがシノの耳に入ったらしい。
「師匠!シノはシノです!様付けとかいらないですからね!」
「あーそう?」
水を散らしながら言うものだから、従ったほうがよさそうだ。
マサと打ち合わせで話をするシノの横顔を見て、寂しい気持ちになる。
みんな自分の立場を認めて、受け入れて、変わっていく。
「よし、行くぞ」
マサとシノが井戸の壁の上に立ち、井戸の底を見下ろす。
ナツヒが綱を握りしめる。
キサラは、アキとともに井戸の横で待機する。
マサが井戸から飛び降り、水がはねる音が聞こえた。




