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五十三、墨家の専属医

「今日はありがとう」

「こちらこそですよっ、キサラ先生」


(だん)(とう)だったとはいえ、寒さが和らぐと気持ちがいいものだ。

暖かくなるにつれて、夜まで仕事をしてしまう。

キサラは招き入れていた客人を見送る。


「泊まってもらってもいいのだけど……」

「そんなことをしたら、キサラ先生が風邪を引きますから。それにっ!」


墨家の専属医は短髪を揺らしながら、空を見た。


「この時期の夜は散歩するにはもってこいですっ!」

「散歩と言っても……」


今から墨家まで帰る予定らしい。

人間の足だと夜中をこえるだろう。

やはり泊まった方がいいのでは、とキサラは考える。

しかし、相手は気にしていない。


「何よりもこの論文を早く出したくてっ!」


そう言われてしまう。

キサラは苦笑して、お願いね、と伝えた。


「また来ますからっ!」

「気をつけて」


そう言って、客人を送り出す。

背中が見えなくなるまで送り、ふと空を見上げた。


「……梅が……」


紺色の背景にちらりと(うつ)る白い花。

小屋の背中にある丘の上には梅が多く植えられており、冬が和らぐと梅の花が咲く。

坂城からの連絡では、ナツヒも順調に薬を減らすことができているらしい。


「……元気かな……」


紅家を後にしてかなり経つ。

きっとすぐ、ナツヒに会ってから一年を迎えるだろう。

そして、気がつけば、紅家を去って一年経つ。

時々、最後の夕食会を思い出すことがある。


「妖怪ってそうだよね……」


思わず呟き、嘲笑する。

紅家ではナツヒは顔を合わせるごとに『結婚』と言われた。

しかし、紅家を離れてしまえば、何も変わらない日常。

それどころか、新しい許嫁が決まったらしい、と噂で聞いた。

感情が移りかわるとともに、行動が変わる。

それが妖怪だ。


「知ってた。やっぱ人間のほうがいいや」


()(ちょう)の言葉は、沼の泥に沈んでいく。

空を見上げるキサラは気付かない。

橋の向こう、木々の間から伺い、そこから動けなくなっている影があることには。

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