四十一、ナツヒの兄 エン
坂城に引き継ぎを終え、部屋の片付けを始めたキサラ。
あの妖気が渦巻く部屋から抜け出して、調子は大分よくなった。
淡々と部屋を片付ける。
不思議と感情は動かなかった。
涙も出ず、悲しくもなかった。
――「これはあなたのためでもある」
カゲツのその言葉の意味は、なんとなくわかる。
キサラはナツヒの結婚相手にはふさわしくない。
ナツヒの思いには応えられない気まずさ。
そこから解放される、という安心感もある。
『コンコン』
「はい」
「失礼」
扉をたたく音。
返事をすると、扉が開いて入ってきた姿を見たキサラは、すぐに立ち上がった。
「エン様……」
「突然、申し訳ない」
「いえ……」
入ってきたのはエン。
きちんと話をするのは初めてだ。
キサラは妙に緊張してしまう。
「えっと……」
「座ろうか」
部屋に用意されている椅子を持って来て、エンとキサラは座った。
「まず、今回、あの机を用意したことをお詫びします」
「あ、いえ……」
紅家は最終的にキサラを人間として扱った。
ならば、四角い机は間違いだった、という結論だろう。
「君は人間だ。紅家として、今回円卓を用意しなかったのは失礼だったと、謝罪しないといけない。立場上、父や母は謝罪できないから。ナツヒはあんな調子だし」
「そうですね」
先ほどキサラもナツヒの様子を見に行ったが、音沙汰はなかった。
前に立つ女の執事は「妖気が乱れているので、人間のあなたは入らないほうがいいですよ」と言っていた。
「それと、確認なんですが、キサラさんは妖気を感じない方ですね?」
「そうですね。人間並みだと思います」
強い妖気にならないと、キサラは異常を感じない。
これは人間と変わらない。
なので、人間と同様に強い妖気には当てられ、その時の煎じ薬は人間と同様によく効く。
「やはりそうですね」
エンははぁ、と短くため息をついた。
「ナツヒについてですが」
その表情は弟を思う兄。
「ナツヒは病気になってから、父も私も会いにいっていません。その理由はおそらく同じだと思います。僕たちはナツヒの病気が進行したとき、彼の姿をみるよりも早く、ナツヒの妖気がどんどん弱っていくのがわかった。それで知っている気になった」
ナツヒの言っていた「一度も部屋にこなかったくせに」とはこのことか。
きっとナツヒの言葉は寂しさの表れだった。
それをエンもわかっている。
「私も父も、それを目の当たりにするのが怖かったのだと思う。紅家が終わる。ナツヒの弱体化はそう言う意味ですからね。それを優先してしまったんです」
「だから」と、エンはキサラをまっすぐ見た。
「私はたまに人間がうらやましく思うんです。そして、キサラさんが、人間としての要素が、うらやましく思いました。あなたは円卓だとしてもそうじゃないとしても、決して怒ることはなかった」
「それは、私がどちらでも正しいと思っているからです」
「そう、人間的思考でね。もし妖怪だったら、怒っていたでしょう」
確かにそうかもしれない。
わかっている、キサラは人間だ。
「紅家として、私はあなたが最初から最後まで人間として貫いてくれたことは、私たちの信頼を勝ち取る結果になりました。ただ、ナツヒの兄としては複雑な気持ちです」
「というのは?」
「ナツヒがあなたを好きな理由が少しだけわかります。それはあなたの妖怪的な要素だと思います。あなたが妖怪であれば、ナツヒの希望はもっとすんなり叶えられたかもしれない」
確かに、あの場で当主は「人間と妖怪の結婚」を話題に出した。
逆に、キサラが妖怪だったらその話題は出ていないはずだ。
キサラは少し気分を害され、眉をひそめた。
そんなキサラをみて、エンは焦る。
「ち、違うんです、そうじゃなくて、えっと、ナツヒが人間だったら、とか、角なしだったらとか、考えたら、違った展開になったんじゃないかとか……」
もごもごと言うエンは、気まずさからキサラと目を合わせようとしない。
今までエンは静かに当主のそばにいることが多く、感情を見せたことがなかった。
申し訳なさそうなエンが意外で、なんと声をかけていいかわからなくなる。
「その……私が言いたいのは、私はキサラさんとナツヒがうらやましいんだと思います」
「はい?」
さらに予想外の言葉が出てきて、思わず聞き返した。
エンは言いにくそうに、言葉をつないだ。
「キサラさんの人間らしいところも、ナツヒの気持ちをまっすぐ伝えることも、私にとってはうらやましい。私が言いたいのは、あなたとナツヒを応援しています。それを伝えたくて」
「邪魔をしてすいませんでした」と早口に言ったエンは、足早に部屋を出て行く。
「……なんで?」
ぽかん、としたキサラを残して。




